今月の火星作品

主宰句

 

灯台の痩身しぼる大南風

 

裸馬泰山木の花の下

 

万緑や魚鼓と木槌の存うて

 

夕語りせり母のこと紫蘇のこと

 

中干しの青田に風の行き惑ひ

 

開き切りなにはともあれ水中花

 

伝馬船どうし声かく夕立晴

 

母や留守麦茶沸かしし香をのこし

 

はつたい粉ありつき貌で練り始む

 

運びゐる砂に灼けゐしダンプカー

 

巻頭15句          

       山尾玉藻推薦

 

あをあをと並ぶ受け口夏魚        湯谷  良

 

鴨足草紅さすことを忘れずに      坂口夫佐子

 

息吹き入れ封筒覗く大暑かな      山田美恵子

 

星座いま弓をつがふるハンモック    蘭定かず子

 

盆の市座りなほして渡す釣       するきいつこ

 

電卓と吊り笊の銭鬼灯売        永井 喬太

 

凌霄花内緒話に揺れやみし       藤田 素子

 

夏服の水兵のゐるドーナツ屋      上林ふらと

 

七月の青杉こぞる茶粥かな       根本ひろ子

 

ぬか雨に海月湧きゐるひとところ    五島 節子

 

紫陽花を描く筆先の水重り       大東由美子

 

鍬形や男の子はいつも競ひ好き     福盛 孝明

 

大砂丘いま白南風の走り書き      わたや 栞

 

前山に雲立ちのぼる花茗荷       高尾 豊子

 

白雨来る始めは小鳥降るやうに     今澤 淑子

 

今月の作品鑑賞    

       山尾玉藻

あをあをと並ぶ受け口夏魚     湯谷  良

夏が旬の魚の中で鰹、鯖、鯵などの比較的大きな魚は、新鮮なほど身に秋天のような紺碧色を湛えており、大方は受け口です。掲句、それらの特徴をズバリと指摘し、この魚棚の魚の新鮮さや涼やかな景を想像させます。「夏魚」と一括した詠みで成功しています。

鴨足草紅さすことを忘れずに    坂口夫佐子

 雪の下の花は五弁の形が鴨の足に似ているので鴨足草と表記されます。リボンを結んだように白い二弁が目立ち、白っぽく烟ったような咲きぶりをしています。しかしよく見ると、他の三片は薄紅色を密やかに湛えていて、「紅さすことを忘れずに」との捉え方が誠に的確で、その控えめな愛らしさを増幅させています。

息吹き入れ封筒覗く大暑かな    山田美恵子

 封筒の中の物を確認する際、掲句のような行為をする人を見かけますが、傍から見ていると余り行儀のよいものとは言えません。しかも封筒の中を覗きこむ眼差しに何やら卑しさを感じ取ってしまいます。作者も同じ思いを抱いたようで、その思いが自ずと「大暑」に結び付いたのでしょう。

星座いま弓をつがふるハンモック  蘭定かず子

 「弓をつがふる」星座はギリシャ神話の半身半馬の賢者が弓をつがえる射手座でしょう。さて矢先が的とするのは、ハンモックで横になり涼し気に星座を仰ぐ人物なのでしょうか。ロマンある一句になっています。

 盆の市座りなほして渡す釣     するきいつこ

 盆用意をする境地とはご先祖を迎え故人を偲ぶというそこはかとした敬虔なものと言えるでしょう。盆の市での買い手は勿論のこと、売り手も売らんかなという強引な境地ばかりではなさそうです。「座りなほして」の何気ない行為にそれが見て取れるようです。

電卓と吊り笊の銭鬼灯売      永井 喬太

 浅草の鬼灯市の景でしょうか。売り手は片手にした電卓を素早く叩いて売値を出し、素早く吊り笊から釣銭を取り出すのでしょう。レジスターならぬ吊り笊が愉快ですが、半世紀前なら電卓ではなく算盤であっただろうと思うと、更に愉しくなる一句です。

凌霄花内緒話に揺れやみし     藤田 素子

 鮮明なオレンジ色の凌霄花は暑さを募らせる花、明るさの中に鬱としたものを感じさせる花と言えます。

風がはたと落ちた今、近くで囁かれる内緒話を盗み聞きしようと凌霄花が揺れ止んだと捉えています。凌霄花の翳りが働きかけた感情移入が確かです。

 

夏服の水兵のゐるドーナツ屋    上林ふらと

 作者は舞鶴の住人です。舞鶴には海上自衛隊基地があり、休日の街中で水平姿の若い隊員達に出会うことがあります。一般人に混じり隊員もミスタードーナツ店の列に並んでいるのでしょう。「夏服の水兵」姿がとても眩しく感じられます。

七月の青杉こぞる茶粥かな     根本ひろ子

 七月の中頃までは梅雨の時期ですが、それが明けると旺盛な生気のみなぎりを覚える季節となります。その七月、緑濃い杉の樹々に囲まれながら茶粥を啜ると、忽ち身にこころに清しさが染み渡ったことでしょう。

ぬか雨に海月湧きゐるひとところ  五島 節子

 霧のような細かい雨の降る中、海面の一ケ所に海月の群が漂っています。掲句「ひとところ」とのみ述べ、糠雨が静かに降る海面の色と海月の群れている海面の色の微妙な違いを読み手に巧みに見せています。ポイントのみ抑えた口数の少ない俳句は必ず膨らみを生みます。

紫陽花を描く筆先の水重り     大東由美子

 筆先にたっぷりと藍色の絵の具を含ませ、今まさに紫陽花を描こうとしている作者です。「筆先の水重り」から、作者の眼前の紫陽花の毬の豊かさが思われます。

 

鍬形や男の子はいつも競ひ好き   福盛 孝明

 夏季、およそ女の子が嫌う鍬形や甲虫を男の子は夢中になって捕虫し、捕虫したものの立派さや強さを自慢し合うものです。上五に軽く置かれた「鍬形や」ですが、鍬形の巨大なギザギザの大顎を権力の象徴と解すると、男の子が大人になった折の「競ひ好き」にふと危うさを感じないわけでもありません。

大砂丘いま白南風の走り書き    わたや 栞

 鳥取砂丘でしょうか、強い白南風が砂に風紋を刻み、また次の白南風がその風紋の上に違う風紋を刻んでゆきます。そんな風に変化し続ける風紋を「白南風の走り書き」と捉えた点に詩人としてのセンスが光っています。

前山に雲立ちのぼる花茗荷     高尾 豊子

 眼前の晴れ始めた前山と、足下の花茗荷を融合させた世界がとても瑞々しく、印象的な世界をビジュアル化する静かな力のある一句です。

白雨来る始めは小鳥降るやうに   今澤 淑子

 乾ききった世界に、今恵みの雨が訪れました。その降り始めはキラキラと眩しく、作者はまるで小鳥達が降ってきたようだと喜んでいます。この喩えようが思いがけない白雨を迎えた嬉しさを率直に伝えています。