今月の火星作品

主宰句

 

恋猫の声まとひつく夜干しの手

 

鳥帰るころ琴糸の痩せゐたり

 

春の鳶快楽けらくと輪を重ね

 

首すぢに雨粒おぼゆ菊根分

 

騙されておくがよろしと金鳳花

 

花どきの掌に大椀のうしほ汁

 

我が影を疎みて田螺横歩き

 

ことさらの花冷は水逸るゆゑ

 

遠見えて桜吹雪ける夕机

 

ももいろの子豚押し合ふ立夏かな

 

巻頭15句          

     山尾玉藻推薦

 

遠足のつつかへてゐる地獄絵図     蘭定かず子

 

海鳴りの色を取り出し焼栄螺      五島 節子

 

みなちがふ風を見てゐる花吹雪     するきいつこ

 

キャタピラが芽吹く木のかざ均しゆく  坂口夫佐子

 

千年のとほくてちかき野焼かな     小林 成子

 

花こぶし歩けば気力湧き来たる     山田美恵子

 

花種蒔く日向へ出でし水の音      湯谷  良

 

竜天に登りランナー湧き出づる     藤田 素子

 

風に浮き日に浮き若布乾きゆく     大東由美子

 

春雨の音なき音す絵天井        高尾 豊子

 

春菊の性つよさうな脇芽かな      根本ひろ子

 

紫陽花の芽の濃むらさき無言色     亀元  緑

 

かつかつと雨樋鳴らす恋雀       上林ふらと

 

子の打つて濁音もるる紙風船      上原 悦子

 

寺町は活断層の上つばめ来る      髙松由利子

 

今月の作品鑑賞    

遠足のつつかへてゐる地獄絵図  蘭定かず子

 遠足子たちは地獄図を初めて目の当たりに、驚愕で足がすくんでいるのでしょう。でも中にはこんな絵は迷信とばかりに冷静な眼差しをする子、或いはどんな絵なのかと興味津々で前の子を押す子など、さまざまな子の様子が鮮明に思われます。一見「つつかへてゐる」は単純な表現のようですが、掲句に於いては想像力を喚起させる力を蔵する卓越した表現でしょう。

海鳴りの色を取り出し焼栄螺   五島 節子

 焼き栄螺の腸は深い緑いろをしており苦みがあります。それを「海鳴りの色」と断定して、その色合いと苦みを巧みに象徴化しました。「取り出し」の措辞にも柔らかく千切れやすい腸のあり様が強調されています。それにしてあの香ばしい壺焼きの香が漂ってきて、罪な一句でもあります。

みなちがふ風を見てゐる花吹雪 するきいつこ

 先程から方向の定まらぬ風が吹き、それにつられ辺りの桜がとりどりに吹雪いているのです。「みなちがふ風を見てゐる」とは、居合わせた人々が様々の花吹雪を愛でているという句意なのですが、この表現により花吹雪に色合いや実態感が生れ、ニュアンスに富んだ花吹雪の一句と成っています。

キャタピラが芽吹く木のかざ均しゆく 坂口夫佐子

 ブルドーザーが宅地や道路を造成しているのでしょう。騒音をたて地面を均すキャタピラが、まるでとりどりの雑木が芽吹く入り混じった匂いをも均しているように感じた作者です。木々が芽吹く匂いは気が塞ぐようなやや重い匂いがするからなのでしょう。

千年のとほくてちかき野焼かな  小林 成子

 たとえ千年のスパンで振りかえってみても、人の知恵である野焼の景に今昔の相違は無いでしょう。作者は野焼の炎や煙を見ながら、野焼に本源的なものを感じています。「千年のとほくてちかき」とは絶妙の表現。

花こぶし歩けば気力湧き来たる  山田美恵子

 早春他の木花に先駆けて開く純白の辛夷は、冬期我々が知らず知らず抱え込んでいた負の思いから解放してくれるような花と言えるでしょう。冬は籠りがちであった作者にも、今日はウォーキングをしつつ急にやる気が湧いて来たようです。

花種蒔く日向へ出でし水の音   湯谷  良

 作者は日向で花種を蒔きながら指先を細やかに動かしつつ、同時に木陰から日向へ流れ出る水音をも楽しんでいます。春めくと生きとし生けるものが動き出すのですが、その喜びを実感している作者です。

竜天に登りランナー湧き出づる  藤田 素子

 春の七十二候には「竜天に登る」の他に「魚氷に上る」「鷹化して鳩となる」等ありますが、語彙のイメージを踏まえつつその季感を把握することが肝要です。掲句は竜が天へ登るパワフルさを、湧くように現れる大勢のランナー達の生気に繋げて成功しています。勿論仲春の活気ある季節感を十分に詠み上げています。

風に浮き日に浮き若布乾きゆく  大東由美子

 海岸での若布干しの嘱目詠でしょう。中七までのリズムの良い反復が効を奏し、始めは雫していた若布が風や日差しに浮きあがるほど乾いている様子やその日数までが思われます。作品個々応じてですが、この反復叙法はやたら使う用法では無いので要注意です。

春雨の音なき音す絵天井     高尾 豊子

 春雨は静かに降る雨ですが、どうして作者には堂の屋根越しに雨音が聞こえたのでしょう。恐らく天井には激しい動きの龍や鳳凰などではなく、舞う天女や優し気な草花が描かれていたのでしょう。それを眺める穏やかな境地が音の無き音を聞き止めたのです。

春菊の性つよさうな脇芽かな   根本ひろ子

 春菊は摘み取ると残った茎と葉の間から脇芽が出て育ち、一株から三回ほど収穫できるそうです。また独特の香と苦みがある野菜でもあり、作者もそんなことを思いつつその芽を性が強そうだと感じ取ったのだと思われます。

紫陽花の芽の濃むらさき無言いろ 亀元  緑

 尖がって紫色の紫陽花の花芽を「無言いろ」と捉えた感覚がユニークです。藍、ピンク、白、緑と華やかな咲きぶりの紫陽花は、謂わば自己をアピールする多弁な花。それに比し花芽は余りにも地味だという思いが、自ずと「無言いろ」という感覚を呼んだのでしょう。

かつかつと雨樋鳴らす恋雀    上林ふらと

読みは「かっかっ」ではなく文字通り「かつかつ」。この硬質な韻がこの一句を際立たせています。小さな雀の足爪が金属の雨樋を小刻みに鳴らしていることから、恋する雀の懸命さが伝わってくるでしょう。

子の打つて濁音もるる紙風船   上原 悦子

 紙風船を打つと微かな紙音と共に張り詰めた空気が弾む快い音がします。しかし上手く打てない子供は無駄に耳障りな紙音ばかりさせるのでしょう。そんな音を「濁音もるる」と捉え説得力があります。

寺町は活断層の上つばめ来る   髙松由利子

 寺町は静かで落ち着いたレトロな雰囲気ですが、活断層の上に位置するのは大きな危険を孕んだ地震国日本の現実です。しかし今年も燕が飛来し季節の変化を告げています。この嬉しい景もまた現実なのです。