今月の火星作品

主宰句

 

輪唱のさざなみ通る雑木の芽

 

破顔して掌の蕗の薹見せなさる

 

引責の人のながびく春の風邪

 

水温む辺へ神鹿の脚はこび

 

春の雪伝へおくこと尽きずあり

 

ごつごつの手こそやさしき接穂かな

 

樹は声を地中に伝へ朧かな

 

山笑ふ方へバーガーショップの席

 

げんげ田を白雲逸り易きかな

 

白猫の胴の流れし春の闇

 

巻頭15句          

      山尾玉藻推薦

 

梟の影人の世に加はれり       するきいつこ

 

ラジオより夫婦万歳松の内      蘭定かず子

 

おろがめば指を貫く初護摩火     大内 鉄幹

 

一村を櫟いろにす冬銀河       福盛 孝明

 

風花に腰浮かせたる巫(めかんなぎ)     山田美恵子

 

東山蹴つて錦へ寒鴉         坂口夫佐子

 

寒晴や一糸纏はぬガスタンク     湯谷  良

 

ぬばたまの闇の芯より木菟のこゑ   五島 節子

 

繭玉の奥華やげり母に客       今澤 淑子

 

鮟鱇のずべらと嵌る糶の箱      亀元  緑

 

取り巻かれ母小さくなる二日かな   藤田 素子

 

包まれて初賀客なる赤ん坊      高尾 豊子

 

寒鯉のまどろみに居て相寄りぬ    本宮 玲奈

 

高やかに弥陀の寿ぐ鏡餅       藤井 玲子

 

強霜の更地に引かれゐし図面     西村 裕子

 

今月の作品鑑賞    

               山尾玉藻

 

梟の影人の世に加はれり      するきいつこ

 梟は昼間は森の茂みや樹の洞に住み、鼠、小型の鳥類、蛙、昆虫などを捕獲する為に夜間に森に現れます。そこで我々がその姿を確認するのはなかなか困難なのですが、それを作者は「梟の影」と巧みに梟を陰影化して読み手に印象付けています。その上で「人の世に加はれり」として梟をどこか神聖化し、人の世に対し静かにアイロニカルな視線を投げかけている様にさえ感じさせる、とても魅力的な一句です。

ラジオより夫婦漫才松の内      蘭定かず子

 現在は漫才ブームですが、その中に活躍中の夫婦漫才師は余りおられないように思います。昭和時代は多くのコンビが活躍され、夫婦ならではの人間的な臭みや可笑しみが魅力でした。掲句からもそんな昭和のような穏やかな空気感が伝わってきます。「松の内」から漂うやすらかな目出度さが、ちょっとした些事を柔らかく膨らませています。懐かしさでつい聞き耳を立てたくなるような一景です。

おろがめば指を貫く初護摩火     大内 鉄幹

 煩悩を焼き払おうと初護摩に参じた作者です。有難く護摩火を拝みつつも、気負える護摩火が自分の十指の隙間を漏れてくるのを意識しています。しかしその火の様子を「漏れる」「通る」ようなもどかしい表現にせず、「貫く」とまことに強く言いのけました。その点から新年に仏に恃む強い思いが滲み出ており、また指の隙を来る初護摩火にはっきりと照らされる作者の喜ばしい顔も見えて来ます。

一村を櫟いろにす冬銀河       福盛 孝明

櫟は山野に自生する落葉高木でごつごつと縦に深く割れた樹皮は焦げ茶色で、お世辞にも美しい木肌とは言えません。この一村もそんな櫟林に囲まれた平凡なイメージの集落なのでしょう。しかし凍てつつ煌めく冬銀河の下で櫟の村は妖しく黝く浮かび上がり、日中では見せぬ貌を露わにしているようです。「櫟いろにす」は簡単に言えそうでなかなか言えない表現だと感じ入ります。

 

風花に腰浮かせたる巫(めかんなぎ)   山田美恵子

 巫(めかんなぎ)とは巫女のこと。エアコンの時代となった現在でも社務所に火鉢が置かれていることがあり、良い雰囲気を生んでいます。この巫女も火鉢に手をかざしていたのか、ふと舞い始めた風花に気づいたのです。嬉しさに咄嗟に立ち上がろうと腰を浮かせた瞬時の景ですが、その折の巫女の袴の緋色がとても印象的だったと思われます

東山蹴つて錦へ寒鴉         坂口夫佐子

 寒鴉が東山を蹴って発つとはなかなか大胆な詠みぶりで、構図的にも鮮明に描かれています。寒中の鴉の引き締まった動きを目の当りにするようです。この「錦へ」とは錦市場がある方へ、ほどに解釈すればよいでしょう。鴉が餌の乏しい寒中に錦市場に餌を求めに飛び立ったなど、野暮な読みは決してしないで下さい。

寒晴や一糸纏はぬガスタンク     湯谷  良

 ガスタンクが「一糸纏はぬ」とはごく当然の景です。しかしこう述べられると、読者はぬっと立つ巨大な球形のガスタンクを否でも応でも想像するのです。「寒晴や」がその姿をますます強調しています。

ぬばたまの闇の芯より木菟のこゑ   五島 節子

 掲句も木菟を摩訶不思議な対象と捉え、独自の感覚でその姿を描きました。「闇の芯より」で夜闇の濃さや深さを強調しています。なによりも「ぬばたまの」の枕詞が功を奏し、闇の奥の奥からするその鳴き声のいぶかしさやおぼつかなさを一層濃くしているようです。

繭玉の奥華やげり母に客       今澤 淑子

 三が日も過ぎた頃、家庭の主婦に漸くゆとりの時が訪れます。ゆとりを持てた同士でしょうか、今日は母のもとへ客人が集まり、賑やかにおしゃべりの花が咲いているようです。「繭玉の奥」から母の部屋は奥座敷であることが知れ、普段は静かなのだろうなとも思わせます。

鮟鱇のずべらと嵌る糶の箱      亀元  緑

 鮟鱇の糶場での単なる嘱目詠ながら、「ずべらと嵌る」の語彙のもつ力を感じさせる一句です。仮に「だらしなくある」に言い換えると、鮟鱇特有のぬめりある体とぶよぶよと弾力ある皮、またあの図太そうな顔つきを存分に描き切れない筈です。小さな糶箱に平べったい体を任せきる鮟鱇を詠んで、「ずべらと嵌る」以上の表現は無いようにさえ思えてきます。

取り巻かれ母小さくなる二日かな   藤田 素子

 新年二日、日頃は離れ住む家族たちが母の家に集まり、母を囲んで口々に話しかけているのでしょう。無論幸せそうな母が想像されますが、常は静かな環境に居る母は少々戸惑いがちなのかも知れません。作者はそんな母を取り巻かれる所為で小さくなると詩的因果で捉えました。「母小さし」は陳腐な表現ですが、このような独自感覚で因果で結ぶとなかなか新鮮に感じられ、読者にも母の老いぶりが伝わります。

包まれて初賀客なる赤ん坊      高尾 豊子

 新年、作者が待ちに待ったお孫さんが家族と共に年賀にやってきたのです。それも「包まれて」から初々しい乳飲み子であることが知れ、その上「初賀客」と手放しで喜びを伝えています。作者が抱き取った乳飲み子からきっと甘い香りがしたことでしょう。

寒鯉のまどろみに居て相寄りぬ    本宮 玲奈

 鯉は寒中は餌も食べず水底の泥にもぐり冬眠します。掲句の鯉は池の鯉でしょうか、見ると眠っているはずの二尾の鯉が、ふと身を寄せ合ったように感じたのです。波の揺らぎでそう見えたのかも知れませんが、作者が寒鯉の孤独に思いを添わせていた由縁でしょう。

高やかに弥陀の寿ぐ鏡餅       藤井 玲子

 まずは堂内に高だかと立たれる阿弥陀如来像が想像され、その足元に供えられている立派な鏡餅が見えてきます。寺院のなんとも新年らしい尊く厳かな光景かとこころひきしまる思いとなります。そして眼目の「弥陀の寿ぐ」から穏やかで温和な如来の尊顔も偲ばれてきます。

強霜の更地に引かれゐし図面     西村 裕子

霜がびっしりと降りた更地の上に引かれた図面はこれから立てられる建造物の大雑把なものでしょう。図面とはものの誕生を形で語っているだけに、真っ白の霜の上にくっきりと浮かび上がる図面は春遠からじを嬉しく伝える具象そのものと言えるでしょう。