2017.2月

 

主宰句   

  

今生のおろそかならず初手水

 

母が膝のり出し正す掛柳

 

まほらまの水谺せる若菜籠

 

寸胴の湯気ゆたかなる餅間

 

小年なる水に白磁の猪口徳利

 

海鼠かむ音かはしけり女正月

 

とんど場のもとより巻ける峽の風

 

てんでんに山墓の照る寒見舞

 

寒雀跳ね合うて影ひとつづつ

 

踏んで風踏んで梅探りけり

 

巻頭15句

                   山尾玉藻推薦         

神留守の妻留守の早ぶてうはふ       深澤  鱶

冬ざくら昼の時報のながれけり       小林 成子

風花や抱へし鯉の力みたる         山田美恵子

ハーブ園の隅にかがよふ蕪菜かな      松山 直美 

群鳩のちりぢりとなる社会鍋        坂口夫佐子

花石蕗やしつかり者で嫌はるる       大山 文子

絡み合ふやうな鳥声柿の空         涼野 海音

海光るたび草の絮発ちにけり        蘭定かず子

杖の音がゐのこづち連れ戻りきし      山本 耀子

ひとところ海しろがねに神の旅       西村 節子

石門の高きに増ゆる雪螢          根本ひろ子

綿虫のぶつかりあうて増えにけり      西畑 敦子

水仙の芽立ちに母が影しをり        井上 淳子

枯山のゴンドラに臍浮きゐたる       大東由美子

くつさめや頑張つてみてこんなもん     藤本千鶴子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

神留守の妻留守の早ぶてうはふ    深澤  鱶

 この度奥様が入院加療され、留守居の作者にご苦労が多々あった様子です。下五「不調法」を平仮名書きにして少々戯れごころを見せていますが、「神留守」の意識に心もとなさがしみじみと籠められていると思いました。

冬ざくら昼の時報のながれけり    小林 成子 

 「冬ざくら」は人目を引くこともなく、儚い風情で散り急ぐこともない花で、「冬ざくら」の咲く辺りはまるで時が留まる異次元の世界のようでもあります。其処へ現実の昼を告げる時報が流れた一齣を捉え、日常と非日常が融和する特異な空間を描き上げました。

風花や抱へし鯉の力みたる      山田美恵子

 鯉揚げの嘱目詠。抱きかかえられた大鯉が渾身の力を絞って身を反らせた瞬間、鯉を抱く人物も驚いて思いきりの力で抱き直したのです。再現力ある一句。美しい季語「風花」が鯉の哀れさを誘うに十分な働きをしています。

ハーブ園の隅にかがよふ蕪菜かな   松山 直美

 神戸ハーブ園吟行では珍しいハーブに気を取られ過ぎ、ハーブ園を大きく捉える事を忘れがちだったようです。しかし作者は冷静な視線を忘れず、瑞々しい「蕪菜」に注目しました。吟行では周囲に惑わされて冷静さを失い、平常心を忘れがちとなるので十分気をつけましょう。

 

群鳩のちりぢりとなる社会鍋     坂口夫佐子

「群鳩のちりぢりとなる」の措辞により、突然飛び立った鳩たちの羽音が寒々しくひびき渡ります。歳晩の街角の一齣を掬い取り、年も押し詰まっ寒気に切迫したものを感じさせます。

花石蕗やしつかり者で嫌はるる    大山 文子

 出る杭は打たれるというが、「確り者」も度が過ぎると目立ち過ぎて人から疎まれるようです。それと同じく「石蕗」が群がり咲く景は少々くどく感じるものですね。べた即きの良さがある一句。

絡み合ふやうな鳥声柿の空      涼野 海音

 「柿の空」の明朗で豊潤なイメージに対して「絡み合ふやうな」の感覚はかなり不調和な印象です。これは、豊かに実った柿を鳥たちが囃し立てつつ狙っているよう気がかりな声と、作者には聞こえたからだと思います。

海光るたび草の絮発ちにけり     蘭定かず子

 高みに立つ作者の足下で「草の絮」が飛びたち、遥かにする海は眩しい輝きを放っているのです。遠近の対象、大小の対象を、因果として融和させ、独自の感性に成る世界を創り出しました。

杖の音がゐのこづち連れ戻りきし   山本 耀子

 ご主人が使われる杖の音でしょうか。杖音はゆっくり確かに戻ってきたのですが、よく見るとズボンには「いのこづち」がびっしり。単なる事実を巧みにシフトチェンジし愉しい詩に仕上げました。

ひとところ海しろがねに神の旅    西村 節子

 雲の隙間から箭が射し込み、鈍色の海面の一ヶ所が白銀に輝いているのです。「神の旅」の意識にはどこか不確かなこころが窺えるものです、作者はこの白銀いろの海面にこころ足ってきた様子です。

石門の高きに増ゆる雪螢       根本ひろ子

綿虫のぶつかりあうて増えにけり   西畑 敦子

 「綿虫」「雪螢」が日射しを浴びて蒼白く浮遊する景を目にするとこころ温まるものです。一句目、そんな「雪螢」と硬く冷ややかな「石門」とを取り合わせ、「雪螢」の柔らかさを増幅させています。二句目、実際には「綿虫」はぶつかり合うことなく、身を交わし合いながら舞っています。しかし「ぶつかり合うて」と見立てることで、作者がそれを眩しげに眺めている様子がありありと窺えます。二句に共通する「増ゆる」の意識に「綿虫」への嬉しさが滲んでいると言えるでしょう。

水仙の芽立ちに母が影しをり     井上 淳子

硬い土を割ってまっ直ぐに出ている「水仙の芽」を発見する度に、楚々とした水仙の何処にこんな力があるのかと感心します。そんな「水仙の芽」に影を置く母上の姿に、清楚ながらも芯の強い一昔前の日本女性のイメージが重なってきます。

枯山のゴンドラに臍浮きゐたる     大東由美子

 これも神戸ハーブ園吟行句。「枯山」を真下に行くゴンドラは何となく宙ぶらりんの感じがして、スリル感にもどこか手応えがないように感じました。「臍浮きゐたる」はその中途半端な感覚を捉えています。

くつさめや頑張つてみてこんなもん   藤本千鶴子

 努力はしたが納得のいく結果が得られなかったのでしょうか。しかし「こんなもん」の言い放ちが自虐的にひびかないのは、思い切り「嚏」をして負の思いを吹き飛ばしている心境が垣間見えるからでしょう。