2016.9月

 

 

主宰句 

  

夕立にけぶる瓢箪かぞへけり

 

草の吸ふ猫の足音晩夏なる

 

倒れ木を水の越えゆく晩夏かな

 

盆市の手提げだんだん湿りきし

 

茄子の馬母に少しく腰高な

 

盆過ぎの母の青砥が水の底

 

夜の秋のくらがりに吊る草帚

 

秋の灯のカルテの山に吾のカルテ

 

緋袴の膝行三度涼新た

 

ひやひやと山羊の年寄りじみし声

 

 

 巻頭15句

                             山尾玉藻推薦         

治虫館のドーム虹いろラムネ抜く      山本耀子

波板を雀の走る氷旗            大山文子

本堂に鍵の音する蟻地獄         山田美恵子

早乙女の挿し直したる苗姿        坂口夫佐子

荒神輿かかげて空をよろこばす      蘭定かず子

もやもやと講中宿の明易し        深澤  鱶

のうぜんの家にどかんと落暉あり     大東由美子

三伏の野を行く一人逸れゆけり       小林成子

河骨の花掲げゐし水昏し          松山直美

旱畑ほとけに水を捧ぐるやう        小野勝弘

梵鐘の震へに乗りし梅雨の蝶       上林ふらと

螢とぶ硫黄の匂ふ脱衣籠          上原悦子

玻璃籠めの古書と主と猫夕立        河﨑尚子

酢漿草のとびはねやすき種のいろ      西村節子

夏旺ん部屋に隅あるしづけさに       湯谷 良

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻      

治虫館のドーム虹いろラムネ抜く   山本耀子

手塚治虫記念館の一部は円筒形でその窓硝子は虹色に輝いています。昭和中期、女の子は『鉄腕アトム』よりも『リボンの騎士』に夢中になったものですが、その胸の高鳴りが「ラムネ抜く」のあの快音と重なって来ます。ドームの虹色はアニメーションに憧れ続けた手塚治虫の夢の色なのでしょう。

波板を雀の走る氷旗         大山文子

作者は鄙びた茶屋でかき氷でも食べて涼をとっていたのでしょう。しかし、茶屋の屋根に張られた波板を雀たちが跳ね、その賑やかな音が頭上から降って来ます。「氷旗」の文字がむやみに際立ち、蒸し暑さがつのるばかりです。

本堂に鍵の音する蟻地獄      山田美恵子

堂守が本堂の鍵をかけに来たのでしょう。ガチャガチャッという鈍い音がして、その後はまた元の静寂に包まれる世界。しかし、その世界とは異次元のもののように、ひっそりとそして生々しく「蟻地獄」が存在しつづけます。

早乙女の挿し直したる苗姿     坂口夫佐子

御田植の嘱目詠。早乙女が一度挿した苗をもう一度挿し直すなどはごく些細な景。しかしそれが「苗姿」と結ばれることでとても清浄な景に一変します。言葉のもつ力は凄いです。

荒神輿かかげて空をよろこばす   蘭定かず子 

大阪の夏祭で最も早いのが愛染祭。堂前で愛染娘を乗せた神輿が「べっぴんさんじゃ、べっぴんさんじゃ」と荒っぽく大空へ揺り上げられます。その景を「空をよろこばす」と大きく直截に捉え、華やかで勢いある臨場感をこの上なく生んでいます。

もやもやと講中宿の明易し     深澤  鱶

同宿の人たちは伊勢講や大師講の同行者であろう。「もやもやと」で、よく眠れずに頭がおぼろな様子が窺い知れる。恐らく講という折角の善行に対して割り切れない思いでいるであろうところに俳諧味があります。巧みなオノマトペです。

のうぜんの家にどかんと落暉あり  大東由美子

凌霄花はインパクトある花であり、それが盛んに咲く家を遠見にした時の実感が一句になりました。濃い朱色の凌霄花よりも一層強烈な色の落日を目撃した感慨「どかん」は、大袈裟なようですが偽りない実感であったのでしょう。

三伏の野を行く一人逸れゆけり    小林成子

夏野をゆく数人の内の一人が不意に皆とは違う方向へ歩み出したのが見えます。何が起こったのでしょう。しーんとした静かな不思議さが残ります。「三伏」という懐の深い季語の効果。

河骨の花掲げゐし水昏し       松山直美

河骨のぐわんぢやうな黄に山雨急   西畑敦子

河骨の花は鮮烈な黄色、比較的小さな花に対して茎が太くバランスが良いとは言えません。一句目、水面近く突き出る黄色の花の所為で、明るい筈の水に翳りを覚えたのでしょう。二句目、「ぐわんぢやうな黄」とは、花と茎の妙なバランス感から生まれた発想でしょう。

旱畑ほとけに水を捧ぐるやう     小野勝弘

「ほとけに水を捧ぐるやう」の措辞より、旱が続く作物に祈るような思いで水遣りをする心境がよく想像できます。この場合下六ですが、これが意外と恩沢の情をじんわりと念押しするような効果を上げています。

梵鐘の震へに乗りし梅雨の蝶    上林ふらと

梅雨の晴間、梵鐘の音が快く尾をひき、その辺りを蝶がひらひらと舞っている景。それを目にした作者には、蝶の小刻みな動きがまるで梵鐘のひびきに合わせているように感じられたのでしょう。梵鐘の音を追うように舞う蝶の様子を、「梵鐘の震へに乗りし」と見事にシフトチェンジして見せました。

酢漿草のとびつきやすき種のいろ   西村節子

酢漿草の莢は真っ直ぐ上を向いて爆ぜ、中の種は小粒で真っ黒、いかにもはしこそうです。酢漿草がどんどんはびこるのも大いに合点がいきます。「とびつきやすき種のいろ」は率直な感想なのでしょうが、何とも的を射た措辞ではあります。

夏旺ん部屋に隅あるしづけさに    湯谷 良

「夏旺ん」はむっとするようなエネルギーの充溢を思わせる季語ですが、それを昼間のうす暗い部屋の隅に感じた点に独自性があります。読み手は真昼のしんとした部屋の闇を、それも隅っこを思う時、自ずと屋外の灼熱の輝きを感じることとなるでしょう。

老鶯や濡れゐし崖に縄梯子      松井倫子

山中の嘱目詠でしょうか、気がかりな景です。何故崖が濡れていたのか、何の目的の縄梯子であったのか、読み手の想像を大いに喚起します。「老鶯」の勢いある鳴き声が崖の濡れいろをいよいよ深めるばかり。

羽抜鶏一羽のきはへたりゐし    垣岡暎子

仲間といる時は胸を張って闊歩していたあの羽抜鶏が、一羽になると地面にぺたりと坐り込みなんとも不甲斐ない様子です。しかし、どこか人間の素行に似通うところがあるようで、憐憫とも共感とも思える眼差しを向ける作者です。

母に噓なぞりてゐたり遠囃子     近藤 綾

高齢の母の為とは言え嘘をつかねばならない現実はとても辛いです。それを重ねなければならないのは尚更胸が痛むでしょう。折しも世間は楽しい祭の日。「遠囃子」が哀感漂う音となって読み手の胸にもしみじみとひびきます。

滝水のひかりが胸に移りたる     涼野海音

荘厳さを湛えつつきらきらと落下する滝に向き合っていた作者は、その内に自分の身が浄められていくような思いとなったのでしょう。その意識を「ひかりが胸に移りたる」と捉えたところが非常に清新な詩。