2016.5月

 

主宰句 

 

ぬかるみを来し靴ばかり涅槃寺

 

繋がれし馬の足下へ花つむじ

 

リビングに干せる雨傘桜咲く

 

のぞまれて真つ黄なりけりチューリップ

 

堰音の玉のごとくや知恵詣

 

囀れる方へ首塚傾ぎをり

 

小授鶏の大声ありし祝詞言

 

風傷みのあとの日痛み紫木蓮

 

さざ波に追はれて発ちし雀の子

 

  嗚呼典子さん

ふりむけば風の浅茅が花ばかり

 

巻頭15句

                             山尾玉藻推薦             

 

雪掻きの道のつながる建国日        小林成子

 

鏡に手映して拭ける遅春かな        山田美恵子

 

雛店の風の硝子戸点りけり       蘭定かず子

 

観覧車の海へ落ちゆく遅日かな     坂口夫佐子

 

天王寺の夕べ遊べと亀鳴けり       西村節子

 

火恋し鳥獣戯画を見て来し夜       涼野海音

 

なやらひて屋内がらんとなりにけり    山本耀子

 

撫でつけて兄のポマード年の豆      深澤 鱶

 

春耕の音折り返す飛鳥川        根本ひろ子

 

また一人出で来二月のマンホール     大山文子

 

青空のおおと応ふる松の芯        白数康弘

 

豆はやす木偶のお初の胸の反り      河﨑尚子

 

金色に三日月傾ぐ恋の猫         松山直美

 

春しぐれ砂場の山に指の跡         林 範昭

 

春浅し神のさやぎの五十鈴川        髙松由利子

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻          

 

雪掻きの道のつながる建国日      小林成子  

家々から人が出て通りまで雪掻きをしているのでしょう。我々は季語「建国日」から歴史を積み上げてきた日本特有の慶ばしさを意識しますが、その思いと家々が雪掻き道で一つに繋がる和やかなイメージとが無理なく繋がっています。

鏡に手映して拭ける遅春かな     山田美恵子

鏡を拭くと不思議な感覚となるものです。鏡に映る忙しく動く手、せっせと働く手が、何故か自分の手ではないような、やや幻想的な気分となります。そんなとりとめもない感覚が春遅遅の思いを一層強いものにしたのでしょう。

雛店の風の硝子戸点りけり      蘭定かず子

雛が売り出される頃はまだまだ寒風が吹き、夕暮も早いものです。作者も風に鳴る硝子越しに雛たちを寒々しく眺めていたのでしょう。しかし店内が不意に灯された瞬間、忽ち雛たちに華やかさが蘇り、作者は改めて雛の美しさに見とれたことでしょう。特異な設定で雛の美しさを語らずして語る一句となっています。

観覧車の海へ落ちゆく遅日かな    坂口夫佐子

昨今は繁華街にも観覧車があり、その異様ぶりに驚かされます。しかし掲句の観覧車は海に接した小高い場所のものでしょう。作者の乗るケージはいま海の方へゆっくりと下降しており、「海へ落ちゆく」の臨場感が生き生きと伝わってきます。

天王寺の夕べ遊べと亀鳴けり      西村節子

大阪天王寺の境内に無数の亀が生息する池があります。作者は池を覗きこみ、ふと「亀鳴く」の季語を思い出したのでしょう。天王寺は作者の育った地、ゆったりとした思いが自ずと「夕べ遊べと亀鳴けり」の俳味ある境地へと誘った様子です。

火恋し鳥獣戯画を見て来し夜      涼野海音

京都高山寺の「鳥獣戯画」は遊戯性の濃い絵巻で、日本最古の漫画とも称されます。昼間見た戯画を思い出した作者は、動物達の人間同様の行為に改めて自分の姿を重ねているのでしょう。「火恋し」より微妙なこころの動きが伝わってきます。

なやらひて屋内がらんとなりにけり   山本耀子

大人になっても節分の夜は心が弾むものです。作者も声を張って豆撒きをしたのですが、それだけに撒き終えた家内が妙に静かに感じられたのでしょう。「がらんとなりにけり」はその実感です。

撫でつけて兄のポマード年の豆     深澤 鱶

豊かな白髪をポマードできっちりと整える兄をまぶし気に眺める作者。兄の様子と「年の豆」との取り合せは実にシンプルです。しかしそれだけに逆に、作者が兄へ抱く感情を多面的に鑑賞し得る楽しさが読者にはあります。

春耕の音折り返す飛鳥川       根本ひろ子

飛鳥川に沿う田の耕しの景を描く上で、耕運機の音を手立てとした点で成功しています。耕運機の音が近づいては遠退き、遠退いては近づき、読み手も自ずと耳をそばだてます。「飛鳥川」の固有名詞が澹蕩とした雰囲気をいや増す効果を上げているでしょう。

また一人出で来二月のマンホール    大山文子

下水や函渠の作業風景、いわば俗な景色を捉えています。しかしそれが、不思議なまぶしさを放つ詩の世界へと昇華しているのは、偏に季語「二月」がもたらす力です。二月の町に溢れる冷や冷やとした光のプリズムの働きでしょう。

青空のおおと応ふる松の芯       白数康弘

松の芯が勢いよく揃い立ち、その力に応えるかのような一点の翳りもない碧天でしょう。空を擬人化した「おおと応ふる」の大振りの表現に、この作者らしい渋い実力を感じます。

豆はやす木偶のお初の胸の反り     河﨑尚子

大阪曾根崎のお初天神の節分には「曽根崎心中」のおはつ人形が登場します。人形遣いがお初の身を思い切りそらせて豆撒きの所作をする瞬間を捉え、「胸の反り」と言う一点の景に絞り込みました。いかにもお初らしい愛おしさを表出しています。

金色に三日月傾ぐ恋の猫        松山直美

金色の三日月が空に傾く景は何か徒ならぬ気配を感じさせ、同時に金色の三日月は猫の妖しげな眼をも連想させます。どこか尋常でない月の夜闇を徒ならぬ恋に奔走する猫がいます。

春しぐれ砂場の山に指の跡       林 範昭

さっきまで幼子が遊んでいた砂場に時雨が来て、翳り始めた砂山に小さな指跡が浮かび上がってきたのです。ありふれた対象ながら季節の推移を感じ、力まずして詠んだ点に好感を覚えます。

春浅し神のさやぎの五十鈴川     髙松由利子

伊勢神宮へ詣でると先ず五十鈴川で手を清めます。常に清浄な流れの五十鈴川もそれなりの音を立てていますが、それを「神のさやぎ」と捉えたところに注目しました。この感覚、独自性があり説得力もあります。