2026.1

 

主宰句

 

棹唄の過ぎし葭原枯れ急ぐ

 

白壁の手袋の影よく喋る

 

枯野来し女いよいよ無口なる

 

身に余る影引きいよよ痩せ枯木

 

をんな座しをとこ佇む冬の凪

 

カウンターは常連ばかり虎落笛

 

ほとんどが女人猪鍋ツアーバス

 

鳥潜る間は膝に組み革手袋

 

梟や俳諧とご酒身ほとりに

 

大寄生の宙をまぶしみ年用意

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦        

 

竹藪の人拒みゐる濃霜かな     坂口夫佐子

 

ひとつ用済みし小疲れ鳥渡る    蘭定かず子

 

葛道は水へと続き獣臭さ      山田美恵子

 

原子炉の黙の真上を鳥渡る     大内 鉄幹

 

地軸より出で傾ける曼珠沙華    湯谷  良

 

綿虫や糶し仔牛の耳に札       するきいつこ

 

奥の間に主なき日々障子貼る    上林ふらと

 

花石蕗の黄に夕闇の降り難し    五島 節子

 

枯蓮の折れひさぐ音聞きに来し   永井 亮太

 

褒められて上へ上へと花オクラ   福盛 孝明

 

とちり席の真中あたりの秋扇    亀元  緑

 

どつと咲く母の小菊の曲りやう   根本ひろ子

 

爽やかに連弾の腕交はしけり    藤田 素子

 

ケーキ屋はメルヘンの森暮の秋   石原 暁子

 

池巡りここと決めけり月鏡     西川ゆうこ

 

今月の作品鑑賞     

        山尾玉藻         

竹藪の人拒みゐる濃霜かな   坂口夫佐子

 この季節、竹の育成の為の筵や藁が、竹藪に敷かれているのでしょう。その上に今朝はびっしりと霜の花が咲き、その一面の白さに思わず「人拒みゐる」と竹の心理を慮っていますが、そこに自己投影が鮮やかに感じられます。竹の緑と霜の白との鮮やかコントラストがこの心理を生んだに違いありません。

ひとつ用済みし小疲れ鳥渡る  蘭定かず子

 以前から気がかりであった用事の一つを漸く済ませ、ひと息ついている作者です。「小」は体言や形容詞の上につく接頭語で、事物の程度の少ない意を表します。即ち「小疲れ」も少しの疲労を意味していますが、掲句の場合はちょっとした安堵感と表裏一体の表現であることを察したいものです。

葛道は水へと続き獣臭さ    山田美恵子

 葛の覆い被さる細い山道を辿っていて池か沼に出くわした作者。その水を見て、咄嗟に今の道は獣道であった事に気づき、忽ち辺りに獣臭さえ覚え始めたのです。「獣臭さ」の面白い言い放ちが、僅かな動機が人の心理に大きく働きかける事実を証明するような一句です。

原子炉の黙の真上を鳥渡る   大内 鉄幹

原子炉は万一の事故に備え放射性物質の漏洩を防ぐコンクリート造りです。しかし内部の様子が見えず、どうしても不気味さと危うさを覚えます。その思いを「黙」の一語に託した点に大いに頷きました。そんな中でも自然の営みは営々と変わらず、鳥が渡ってゆきます。人工的な力と大自然の力、いずれが絶対なのでしょうか。

地軸より出で傾ける曼珠沙華   湯谷  良

 その色の所為でもありますが、曼珠沙華には畦や野に不意に天へ向いて咲く花との印象を抱きます。作者はそれを「地軸より出で」のやや大げさな感受で独自性を生み、傾いている意外性にも注目しています。

綿虫や糶し仔牛の耳に札      するきいつこ

 牛の耳のタグには個体識別番号が記されていて、牛の性別や種別、生年月日、流通情況等が記載されていて、消費者の安心安全に繋がるもののようです。しかし仔牛のそれはどこか痛々しく感じます。日向で舞う綿虫が買われてゆく仔牛をまるで慰めているかのようで、季語がよく働いて慈愛ある一句となっています。

奥の間に主なき日々障子貼る   上林ふらと

 以前奥の間は母上の部屋だったのかも知れません。今はその部屋もひっそりと昼の薄闇を湛えています。

日の射す別の部屋の障子を張り替えながら、その薄闇の部屋を意識しつつ、母の死後の時の経つ速さをしみじみと思う作者でしょう。

花石蕗の黄に夕闇の降り難し   五島 節子

 人の心の在りように関わらず石蕗の花は常に全き明るさを湛え、時には咲き過ぎている思いにもさせます。辺りに夕闇が迫る中で石蕗の黄色だけが頑張っている様子を捉えた「夕闇の降り難し」の具体的表現に大いに共鳴致します。

枯蓮の折れひさぐ音聞きに来し  永井 亮太

 我々は枯蓮の景はよく目にしますが、茎が折れ蓮の実が潰れる瞬間の音を耳にした経験はまずないでしょう。ですが作者はそれを是非とも聞きたくて来たのだと断言します。これこそ俳人が持つべき好奇心というものです。

 

褒められて上へ上へと花オクラ  福盛 孝明

 オクラの花は中心が赤紫で花弁はクーム色の柔らかな透明感のある美しいものです。一日花ではありますが、生命力旺盛なオクラが育つほどに花も次々開き続けます。「褒められて」はその美しさを、「上へ上へと」は花の盛んに増える様子を巧みに捉えた表現と言えます。

とちり席の真中あたりの秋扇   亀元  緑

 「とちり席」とは劇場で一番観劇し易い席を言います。昔の芝居小屋の席は前列から「いろはにほへと」と数えたので、「とちり」の席辺りが最も観劇し易かったことに由来します。その辺りの観客の一人が使う秋扇がゆっくりと動いているのでしょう。夏の扇は多くの人が使うので目立たず、「秋扇」ならではの一句と言えます。

 

どつと咲く母の小菊の曲りやう  根本ひろ子

 生前母上が手を尽くして楽しまれていた小菊なのでしょう。しかし今は手入れが行き届かないながらも健気に咲いています。「どつと咲く」は小菊らしい修辞ですが、この句の場合は寂しさを漂わせており、下五の「曲りやう」のとどめが一層侘しさを募らせています。

爽やかに連弾の腕交はしけり   藤田 素子

 季語が「爽やかに」ですので、この連弾は大人同士のものでしょう。四本の腕がためらい無く交わり解ける景は、さぞ清々しく快かったことでしょう。

ケーキ屋はメルヘンの森暮の秋  石原 暁子

 最近のケーキは豪華な上に、子供が喜びそうなメルヘンティックなデコレーションがとりどり成されています。故にケーキ屋に足を踏み入れた瞬間の作者の「メルヘンの森」の感慨は、読者の眼に鮮やかに実写化されてくるでしょう。一見安易そうな季語「暮の秋」には華やかな景を抑える効果があるようです。

池巡りここと決めけり月鏡    西川ゆうこ

 池の上の月を愛でつつ、月に映える池の面の美しさに心惹かれています。そして此処から眺める池面が最も美しいと決め込んでいます。「ここと決めけり」の確かな思いが造語「月鏡」に抵抗を覚えさせないのでしょう。