2024.2月

 

主宰句 

 

笹鳴の小枝づたひか曽良の墓

 

椿象のみどり零れ来煤日和

 

網代木にしばし添ひきし賀状かな

 

太箸のさき人参の猩々緋

 

手鞠唄ひたぶる窓の雪もまた

 

松の内母に手慣れの草帚

 

闇汁会ひやひや重きもの下げ来

 

寒鯉の尺余の黝が台秤

 

この山路いつより痩せし寒苦鳥

 

海鼠腸を啜ればまざまざと独り

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦                    

 

角材に記号と数字山眠る       山田美恵子

 

群れ離(か)りし鯨に星の出揃へり   蘭定かず子

 

初しぐれ花脊に増ゆる仕込み樽    髙松由利子

 

振り向くと言ふ寂しさの野の兎    湯谷  良

 

凩の空のあかるき観覧車       小林 成子

 

高き枝に夕日凝りゐし干大根     坂口夫佐子

 

本堂を椿象の飛ぶ小春かな      高尾 豊子

 

懸大根豊かに痩せてゆくところ    松山 直美

 

ひろびろと掃かれてありし七五三   今澤 淑子

 

神留守の人体模型螺子あまた     藤田 素子

 

山眠る熊のつめ跡纏ひつつ      大内 鉄幹

 

神さぶる八つの高峰牧閉ざす     窪田精一郎

 

ガムテープの名残ある北塞ぎけり   石井 小邑

 

髪切つて熱燗ことに沁みにけり    西村 節子

 

予後の身に水のまぶしき懐手     五島 節子

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻          

角材に記号と数字山眠る      山田美恵子

 建築現場の角材には記号や数字が書きこまれています。その実景に遠くに臨む冬山とモンタージュし、角材も本来は山の樹木として冬季は深い眠りにあったであろうと顧みている作者です。単なる現実の一景を寂とした奥行きある景へと巧みに導き出した一句です。

群れ離(か)りし鯨に星の出揃へり   蘭定かず子

時おり各地の湾内に「鯨」が迷い込んだというニュースを耳にしますが、掲句もそんな鯨でしょうか。群れから離れてしまった迷い鯨自身、かなり不安に違いありません。そんな鯨を慰める如く満天の星が瞬いています。神秘的ロマンを秘めています。

初しぐれ花脊に増ゆる仕込み樽  髙松由利子

京都市左京区の深山に位置する花脊は京の奥座敷として訪れる人が増えていますが、里人は自然を守りつつつ昔ながらの生活をしています。「初しぐれ」の候、味噌用か漬物用か仕込み樽が盛んに活用され始めます。仕込み樽は厳冬を過ごす里人の生活を象徴するものの一つでしょう。

振り向くと言ふ寂しさの野の兎  湯谷  良

人は心許ない時や満たされない時、ふと過去を振り返る寂しい行為をします。出くわした「兎」が振り向いた景に、作者はふと兎の寂しさを見て取ったのでしょう。そこに生あるものの小さな普遍があるようです。

凩の空のあかるき観覧車      小林 成子

「空のあかるき」は「凩」が雲を吹き飛ばしたからでしょうか。青空に浮かぶ観覧車の鮮やかな色彩も目を引くでしょうが、何よりも強風の中の観覧車の危うさと、その中に閉じ籠められたような状況にある人ののこころの動きが想像される一句です。

高き枝に夕日凝りゐし干大根    坂口夫佐子

 軒下に下がる「干大根」と、今しもその近くの大樹の枝先辺りを夕日が落ちようとしている景を切り取り、「夕日凝りゐし」と巧みな措辞で寒さを強調し、ビジュアル効果を大いに高めています。

本堂を椿象の飛ぶ小春かな     高尾 豊子

今年は「椿象」が異常発生し、初冬の我が家のベランダでもまだ緑のそれをよく見かけました。掲句の本堂でも時おり椿象が羽音をさせて飛ぶのでしょう。でも椿象は攻撃しない限り悪臭を放つこともなく、皆から黙認されている様です。それが「小春」の由縁です。

懸大根豊かに痩せてゆくところ  松山 直美

懸大根が「豊かに痩せてゆく」は理屈に合いませんが、俳句は理屈ではありません。この「豊かに」は辺りの懸大根の多さを代弁しているのです。大量の大根の白さが眩いばかりであるという「豊かに」なのです。

ひろびろと掃かれてありし七五三  今澤 淑子

「ひろびろと掃かれてありし」の場所の明示がありませんが、「七五三」なら当然神前の真砂であることが知れるでしょう。今はまだ参拝者も少なく、神前に静寂が漂うばかりです、季語が働く限り、読み手を信頼する限り、俳句は余計な語を必要としません。

神留守の人体模型螺子あまた     藤田 素子

多くの関節が螺子で繋がれる人体模型を前にすると、わが身が多数の骨で形成されていることを再認識し、またこれも神の崇高なる御業かと改めて感じ入ったりするでしょう。作者も同様の思いから、ふと今が「神の留守」であることを考えていたのでしょう。

山眠る熊のつめ跡纏ひつつ      大内 鉄幹

北海道に生息するのは大きな図体の熊。樹木に残る熊の深く大きな爪跡を山中のあちこちで見かけるのでしょう。「爪跡纏ひつつ」のフレーズがそう思わせます。今は山も熊も深い静かな眠りの中にあるのです。

神さぶる八つの高峰牧閉ざす     窪田精一郎

 八ヶ岳の斜面の牧場が閉じられ、雪の名峰たちが輝きを放つばかりなのです。そんな実景を目の当たりにすると自ずと「神さぶる」の思いが湧くことでしょう。   

  ガムテープの名残ある北塞ぎけり  石井 小邑

 剥がし切れていない去年のガムテープを「ガムテープの名残」と表することで、雑とした感を覚えさせず、北窓が毎年ねんごろに塞がれることを想像させます。

髪切つて熱燗ことに沁みにけり  西村 節子

 髪を切ることと「熱燗」が身に沁みることに物理的因果はありません。ただ人は、殊に女性は髪を切ると何処となく落ちつかぬ常とは違う感覚を抱くものです。作者はその不確かな違和を熱燗にも覚えたのです。

予後の身に水のまぶしき懐手     五島 節子

 水辺に佇みつつ自身の病後の身を労わる心境が、「水のまぶしき」の思いに伺い知れます。下五の「懐手」は無精なイメージのそれではなく、この後のあれこれを思索している様子と捉えるべきでしょう。