2023.5月

 

主宰句 

 

てのひらの銀一文字初もろこ

 

清明の大空仰ぐものわすれ

 

花蘇枋古人(いにしへびと)の妬心いろ

 

ししむらをなほ運びゐし黄砂中

 

はらからより剥がされ仔猫鳴きにけり

 

大堰の喝采に鮎さかのぼる

 

さまざまな夕べが人に花うつぎ

 

八十八夜生成りの帯を低く結ひ

 

先がけの牡丹へ先がけの朝日

 

漱石の癇癪のまた花石榴

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦

 

一すぢの水脈開きゆく山の春       坂口夫佐子

 

積雪の無音の町を列車の灯        蘭定かず子

 

頬杖のはつたと炬燵出でひとり      湯谷  良

 

永き日や眉墨ひかず古ぼけて       山田美恵子

 

篳篥に脚をたためる春の鹿        林  範昭

 

ボルダリングの壁の被さる余寒かな    藤田 素子

 

山祇のこゑしぶかせり春の瀧       五島 節子

 

父の忌の雪の下よりはうれんさう     高尾 豊子

 

まつさらな雪に墓花挿してあり      大東由美子

 

二階には二階の音の春あした       尾崎 晶子

 

涅槃会にもひとり入り来雪明り      小林 成子

 

春日傘さすほどでなく天神さん      するきいつこ

 

花鶏らの散れり夕日に遅れじと      今澤 淑子

 

病室のめがね橋の絵あたたかし      福本 郁子

 

杵の音の届く草餅待つ列に        窪田精一郎

 

今月の作品鑑賞

 

         山尾玉藻  

一すぢの水脈開きゆく山の春     坂口夫佐子

 僅か十七文字で大景を見事に具現している一句です。中央の池の水鳥がゆっくりとこちらへ「水脈」を引き、その動きで四囲の山々の芽吹きや先駆けの花々の様子が、パノラマ化されてゆきます。「水脈開きゆく」の表現が大きな要となって、まるで暗い冬の帳を水脈がゆっくりと開いていくような錯覚さえ覚える一句です。

 

 積雪の無音の町を列車の灯      蘭定かず子

煌と灯ともす夜行列車が、青白い雪一色の町を縫っています。「無音の町」から、雪に早々と眠りについた町が想像され、この静寂さは、まるで今に列車が夜空へ駆け上り、宮沢賢治の銀河鉄道の世界へ誘うようです。

 

頬杖のはつたと炬燵出でひとり    湯谷  良

 先ほどから「頬杖」を突きつつ物思いに耽っていた作者、ふと現実に戻り不意に「炬燵」から立ち上がったのです。そうさせたのは恐らく多忙であった頃の主婦の習性だと思われます。「出でひとり」は寂しい現実です。

 

永き日や眉墨ひかず古ぼけて     山田美恵子

 眉も引かず素顔で通した一日が過ぎようとする時、鏡に映った自嘲の一句。薄々とした眉の所為で顔に締まりがなく、それを捉えた「古ぼけて」のひびきに寂しさと可笑しみが同居しています。自分の齢に抗わず齢を友として大らかに過ごす人生、それは容易ではないでしょうが、是非目指したく思います。

 

篳篥に脚をたためる春の鹿      林  範昭

 奈良飛火野や禰宜道辺りの景でしょう。奈良の春は牡鹿は角を伐られ、牝鹿は身籠り、神鹿の様子にもアンニュイが見て取れます。掲句は牝鹿でしょうか。草に長い足を畳みながら、近くの神社からひびく「篳篥」の音に、わが身のけだるさを癒しているのでしょうか。

 

ボルタリングの壁の被さる余寒かな  藤田 素子

 「ボルタリング」の壁にはとりどりの形と色の石が嵌め込まれていて、これを指力ひとつで上るのはいかにも困難な様子です。その上、その壁は天井近くで急に弓なりに反っており、下から見上げると正しく「被さる」威圧感があり、いかに厳しいスポーツであるかが想像されます。なるほど「余寒かな」に実感が籠っています。

 

山祇のこゑしぶかせり春の瀧     五島 節子

 春になり山間の命あるものが息を吹き返し、それらへかける「山祇」の祝福の声がひびき渡るという、豊かな詩的世界が描かれています。しかし作者の想像はそこに留まらず、勢いを取り戻した「春の瀧」がその山祇の声をもし吹かせたと言うのです。想像の世界ですが、実態にしっかり裏打ちされた虚実一体に説得力があります。

 

   父の忌の雪の下よりはうれんさう    高尾 豊子

 今冬は作者のお住まいの地でもかなりの積雪の日があったと聞いています。雪を掻き分け抜かれた「はうれんさう」は、頼もしいほどの緑を湛えていたことでしょう。「父の忌」に相応しい印象的な一句です。

 

まつさらな雪に墓花挿してあり   大東由美子

 雪深い地ではこのような景は珍しくないのかも知れませんが、雪と縁遠く生活している者にとっては仏様に対し少々乱暴な行為と感じられます。恐らく作者も驚きと懸念の入り混じった心境で、雪中に突っ立つ「墓花」へ複雑な眼差しを向けていたことでしょう。

 

二階には二階の音の春あした    尾崎 晶子

 春早朝、厨で朝餉の支度の音を立てる作者の耳が、二階の家人が起き出した音を捉えたのでしょう。どちらの音も長い冬の間のものではなく、春の嬉しい音なのです。

 

涅槃会にもひとり入り来雪明り   小林 成子

 雪国の涅槃寺の嘱目詠でしょう。外から誰かが入って来る度に、薄暗い堂内に吊られている「涅槃会」に雪明りが射すのでしょう。そしてその一瞬だけ涅槃図が違った世界を見せるのかも知れません。後を追うようにまた一人入ってきました。

 

春日傘さすほどでなく天神さん   するきいつこ

 漸く暖かくなった日、天満宮に詣でる作者です。陽光が待ちに待った春を実感させ、携えてきた日傘も無用の長物なのでしょう。親しみを込めた「天神さん」の快いひびきが、作者のこころの弾みを伝えています。

 

花鶏らの散れり夕日に遅れじと   今澤 淑子

 「花鶏」は秋冬の候にシベリア地方から大群で渡来する鳥で、晩秋の季語。夕刻、その群が樹木から塒へと茜色の空へ飛び立ったのでしょう。「夕日に遅れじと」の措辞には作者の短日への思いが重ねられています。

 

病室のめがね橋の絵あたたかし   福本 郁子

 句会でなんの躊躇もなくこの句を選びました。明確な理由はありません。敢えて言うなら、「めがね橋」のイメージからくる穏やかさ、ゆとり感、大様さがやんわりと実感されたからです。「あたたかし」が絶妙です。

 

杵の音の届く草餅待つ列に     窪田精一郎        

奈良町のかかりの商店街に人気の「草餅」屋があり、常に行列ができています。その行列へ蓬の芳香が漂い、店奥から餅を搗く「杵の音」が聞こえるのですから、作者の待ちきれない思いは募るばかりです。