2023.12月

 

主宰句 

 

水分の神の灯恃む山別れ

 

少年の尿する影の末枯るる

 

秋の灯の岬の容を機上より

 

木の実降る犀のしづかな甲冑に

 

また嗤ひしか逆光の裂け石榴

 

ウヰスキーは「響」こんなにも夜長

 

冬近し座り働きする母に

 

初冬の空へ投網の花なせり

 

神留守へ参ずる百の緋の鳥居

 

神還り在します陶器市の音

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦                         

 

ひよんの実を鳴らしこの人意外なる   山田美恵子

 

杉桶の水に日の差す帰燕かな      今澤 淑子

 

銀漢や山々とはに押し合へる      蘭定かず子

 

この風を去なし連れ来よ茄子の馬    坂口夫佐子

 

虫鳴くやだんじり小屋に並び住み    湯谷  良

 

団栗を踏みし残響原生林        大内 鉄幹

 

陶片に残る瑠璃色秋澄める       松山 直美

 

入口の暗きに泣く子菊人形       尾崎 晶子

 

ひとつづつ秋日に触るる飴細工     するきいつこ

 

きちきちの追ひ抜きざまのきちきちきち 西村 節子

 

蚋払ふ度に手の泥払ひけり       高尾 豊子

 

葛咲くに始め終ひのなき河原      福盛 孝明

 

髪切つて打つ手尽きたる炎暑かな    亀元  緑

 

白桃の己が重さに傷みをり       大東由美子

 

神杉の罅霧の香を立ちのぼり      上林ふらと

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻  

ひよんの実を鳴らしこの人意外なる   山田美恵子

 普通、初めて「ひよんの実」を鳴らしても好い音は出ないものです。所が、この人物は忽ち巧く鳴らして見せたので、作者は少々驚いた様子です。さて、作者がそれまでこの人物にどのようなイメージを抱いていたのか、ひょんの実の奇妙さが読み手の想像力を深めていくようです。

杉桶の水に日の差す帰燕かな      今澤 淑子

「杉桶の水」に日が射している些事と「帰燕」と言う大自然の営みに全く関わりはありません。しかしこれを一つの景として想像すると、地上の静寂の一景と上空の躍動的景が見事に一体化してきます。そこには理屈はなく、自然が偶然を偶然が自然を呼んだ詩の世界が広がります。

銀漢や山々とはに押し合へる      蘭定かず子

 夏の夜空に帯を描く「銀漢」には無数の星々が群生しており、その美しさもさることながら、宇宙という無限の世界とエネルギーを実感します。作者は銀漢の下で遠くの山々へ目を転じ、そこに「とはに押し合へる」と果てる事のないエネルギーを感じ取っているのです。その感覚と銀漢との取り合わせに独創性があり、印象深い一句と成っています。

この風を去なし連れ来よ茄子の馬    坂口夫佐子

 少々風が強い盆初日、作者はご先祖方の無事の来訪を願い乍ら「茄子の馬」に語りかけています。茄子の馬の責務も重大です。早く風が収まりますように。

虫鳴くやだんじり小屋に並び住み    湯谷  良

 以前作者に電話をした折、電話口に祭囃子の稽古の音が聞こえ、心が弾んだ覚えがあります。今は秋祭も済み「だんじり小屋」は静寂に囲まれ、虫の音だけひびくのです。だんじり小屋に隣り住むと季節の移ろいを確かに感じ取られ、作者は俳人として幸せです。

団栗を踏みし残響原生林        大内 鉄幹

 北海道在住の作者ならば少し足を伸ばせば「原生林」に身を置くことが出来て、独自の感性、感覚が培われることでしょう。団栗が降る音ではなく「踏みし」音は不思議な残響を生み、作者は吾が身の存在を改めて感じていたのです。

陶片に残る瑠璃色秋澄める       松山 直美

 陶器か花瓶の破片が際立った「瑠璃色」を湛えていたのでしょう。「陶片」と言う鮮やかな小さな存在が、自ずと秋の特色を大きく捉えた「秋澄む」の感慨を呼んだのです。

入口の暗きに泣く子菊人形       尾崎 晶子

 小さな子供なら薄暗さに躊躇するものです。ましてよく理解できぬ「菊人形」館の入り口の暗さなら、当然一層の恐怖心を抱くことでしょう。この子、館内の菊人形の異様さに愈々大泣きするに違いありません。可哀想に。

ひとつづつ秋日に触るる飴細工     するきいつこ

 秋祭に出会った飴細工屋の見事な手捌きと細やかな細工に見入る作者です。「ひとつづつ」の表現より、丁寧にしかも手早く飴細工が次々と出来上がる様子が窺え、作者の驚きに満ちた貌が思われます。飴細工も作者の貌も爽やかな「秋日」に眩しく輝いています。

きちきちの追ひ抜きざまのきちきちきち 西村 節子

 「きちきち」の羽音を改めて詠む必要はないと思われる向きもあるでしょう。しかし掲句は単なる羽音を述べたのではありません。自身がそれに追い抜かれた瞬間、きちきちの羽の勢いに少し驚き、そして納得した感応を伝えているからです。作者の胸奥に確かに刻まれた「きちきちきち」なのです。

蚋払ふ度に手の泥払ひけり       高尾 豊子

 畑仕事の最中、執念深く襲ってくる「蚋」を払う都度、手に着いた泥が飛び散らぬよう、先ず手の泥を払っている自分に気づいた作者です。そんな自分を滑稽に思いながらも、また同じ行為を続けているのでしょう。理に適ってはいるのですが、傍目には人は何気なく愉快な行動をしているものです。

葛咲くに始め終ひのなき河原      福盛 孝明

 葛はいつの間にか野山を覆い尽くし、所狭しと花を咲かせているものです。掲句、「河原」を場所設定したことで葛の旺盛な生命力を一層顕著にしており、その表現もなかなか巧みです。

髪切つて打つ手尽きたる炎暑かな    亀元  緑

 この夏の猛暑は異常でした。作者もあれこれ暑さ対策に努め、終には髪まで切ったのですが、それも期待外れだったようです。一見大袈裟なような「打つ手尽きたる」ですが、暑さに遂に屈服した無念の胸中が如実に伝わってきます。

白桃の己が重さに傷みをり       大東由美子

 「白桃」はよほど慎重に扱わないと直ぐに傷むものです。しかも触れずに置いているだけでお尻から腐り始めていたりして、大いに慌てさせます。その点を「己が重さに傷みをり」の擬人法で的確に捉えています。

神杉の罅霧の香を立ちのぼり      上林ふらと

恐らくこの「神杉」はかなりの樹齢のもので、その木肌に亀裂が走っているのでしょう。折しも辺りに霧が立ち込めているのですが、その「罅」の様子を巧みな擬人法で述べて、罅に命を吹き込みました。まるで「罅」が霧深い上空へ駆け登って行くように感じられます。心眼の働いた見事な写生句です。