2019.9月

 

主宰句 

 

ちんまりと青毬栗の利発さう

 

神杉を上りゆきたき蟬の殻

 

香具師の灯に影引きゐたる蟬の殻

 

遠雷に匂ひだちたる屋台の灯

 

閻王の前にこぼせり枇杷葉湯

 

透くるもの風に掬へる川床料理

 

川音に声ちりやすし鮎せごし

 

遊び舟をんなばかりが声張つて

 

母の家の裏より土用餅の湯気

 

流木の形に上がる盆の雨

 

 巻頭15句

            山尾玉藻推薦       

 

敷きつむる砂利は濡らさず大噴水     山本 耀子

 

男らに家路ありけり蚊喰鳥        大山 文子

 

黒南風や獣の匂ふ荒土塀         松山 直美

 

河骨のしたたか濡れて十全な       深澤  鱶

 

波ひとつ立てずほどけし蓮巻葉      今澤 淑子

 

銭亀がリビングを這ふ雨ごもり      山田美恵子

 

鳶羽根を畳める音に田草取        湯谷  良

 

雨を来し背広にほへり太宰の忌      蘭定かず子

 

錠剤は骨の成分ひでり梅雨        藤田 素子

 

傘立の白地の映ゆる旱かな        坂口夫佐子

 

明け空へ茄子の引力生まれ初む      小林 成子

 

はんざきへ眼凝らせば風の音       西村 節子

 

白砂に波描きをり夏袴          河﨑 尚子

 

軽鴨の子の紛れざりける群二つ      永井 喬太

 

今年もう漬けぬと決めし梅仰ぐ      井上 淳子

   

今月の作品鑑賞

            山尾玉藻          

敷きつむる砂利は濡らさず大噴水   山本 耀子

 大きな円形の噴水であろう。誰もその美しいしぶきに目を奪われる中、作者は噴水の足元の「砂利」に注目し、其処がまるで噴水に関わりないかのように濡れていないのに気付いた。誰もが見過ごしていたこの発見が、「大噴水」の在りようをまざと具現する。写生という手段でものの在りようを捉えた瞬間の喜び、これこそが俳句の醍醐味といえるだろう。

男らに家路ありけり蚊喰鳥      大山 文子

 いかに疲れ果てていようと癒しの場の家庭があることほど幸せなことはないだろう。しかし掲句からは疲れ切った様子の男性、いやむしろ帰巣本能に従うままに家路をたどる無気力な男性たちが思われ、侘しさばかりが募る。夕景に誘われて発条仕掛けのような舞い方をする「蚊喰鳥」が、どこか不確かさや頼りなさを語りかけるからに違いない。

黒南風や獣の匂ふ荒土塀       松山 直美

 作者が沿っていく土塀はよほど古く崩れかかっているのだろう。しかし「獣の匂ふ」は実際に獣臭がしたのではなく、辺りのうっそうとした山間の景がそう感じさせたのである。心細そうに足を速める作者が見えてくる。

河骨のしたたか濡れて十全な     深澤  鱶

 鮮やかな黄色を発する「河骨」の花は健やかそのもので、その太い茎もその存在を強く主張している。掲句は雨後の景、「十全な」の一語が、河骨のきっぱりとした咲きぶりを見事に言い得ている。命題のような一語であろう。

波ひとつ立てずほどけし蓮巻葉    今澤 淑子

 初々しい緑色でどこか危なげに突っ立つ「蓮巻葉」であるが、日差しを受けてゆるやかに水面を覆う広やかな葉へと大きく変化する。作者はその変貌ぶりに目を見張っており、その驚きぶりが「波ひとつ立てずほどけし」に窺い知れる。

銭亀がリビングを這ふ雨ごもり    山田美恵子

 「リビング」で子供が銭亀と遊んでいるのだろう。床をひょこひょこと這う小さな銭亀ごときが、雨の日の家籠りで塞ぎがちな作者を癒してくれる。

鳶羽根を畳める音に田草取      湯谷  良

 高空を舞って居る時はそれほどとは思わないが、間近に見る「鳶」はかなり大きく、木の枝や地上に勇壮な羽根音を立てて降り立つ姿にびっくりさせられることがある。腰をかがめて夢中に作業していた「田草取」も、その羽根音に驚き振り向いたに違いない。

雨を来し背広にほへり太宰の忌    蘭定かず子

「太宰忌」を詠もうとするとどうしても入水自殺のイメージに拘りがちとなる。しかし、掲句は即かず離れず水の気配を忍ばせている点が大変巧みで、その点で感心させられた。恐らく類想、類句はない。

錠剤は骨の成分ひでり梅雨      藤田 素子

 世にサプリメントなるものが溢れ返っているが、齢を重ねてきた者はどうしても意識してしまう。ましてすり減っていく骨の成分と聞かされればなおのことである。何かにつけて不安を感じさせる「ひでり梅雨」が所を得ていて、なかなか効果的である。

傘立の白地の映ゆる旱かな      坂口夫佐子

この「傘立て」には他にも日傘が立っていたのかも知れないが、作者の眼にその中の白地の日傘がとても眩しく感じられたのだ。折から続く「旱」が必要以上にそう感じさせたのだろう。「日傘」と詠まず巧みに季重なりを避けた。

明け空へ茄子の引力生まれ初む    小林 成子

早暁の畑で「茄子」がしっかりと生り始めている景を、「茄子の引力生まれ初む」と楽しく詠んでいる点が魅力的である。明けてゆく空がこれから茄子がいよいよ立派に育つことを予兆するかのようだ。

はんざきへ眼凝らせば風の音      西村 節子

 「はんざき」に執着しつつ風音を聞き逃がさない点に、五感を集中させる作者が知れる。普通、視覚と聴覚を混用して一句にすると焦点が定まらないものだが、はんざきという特殊な生物が作者の聴覚をも敏感にしたと解せば納得できる。

白砂に波描きをり夏袴        河﨑 尚子

 禰宜が砂掻き棒で枯山水の砂に波を描いている景を見て、手慣れたその動きがいかにも涼やかに感じられた作者である。爽やかに着用する「夏袴」の所為でもあったのだろう。

軽鴨の子の紛れざりける群二つ    永井 喬太

二組の「軽鴨」の親子が泳いでいる景だが、雛はいずれも同じ色彩で同じ顔立ちなので、作者には全く識別できない。しかし雛はそれぞれの親に遅れまいとしっかりと後を追う。「紛れざりける群二つ」に雛たちの動きが見えて微笑ましい。

今年もう漬けぬと決めし梅仰ぐ    井上 淳子

 梅を漬ける作業は根気、気力、体力が必要である。作者は自分の齢を考えてもう今年は漬けないと決めていた筈なのに、今日も実梅を仰いでいる。どこか諦めきれないのだろう。