2019.3月
主宰句
立春の海鼠は影を離さざる
旧正の水に映えゆく弓袋
きさらぎの風城の内城の外
一木に白梅あふる落城図
梅の香も達磨の髭も長けゐたり
春夕べなに燃してゐる父の背
野遊の声参らする猿田彦
のぼさんの空ついそこに花なづな
大堰の珠としぶける出開帳
火を仕舞ひ水を仕舞ひし夜の桜
巻頭15句
山尾玉藻推薦
膝もとをうつろふ日差し障子貼る 山田美恵子
神杉を煙ぬけゆく年の市 山本 耀子
綿虫と同じ日向のみくじ筒 大山 文子
一面の枯蓮にこゑしのばせり 蘭定かず子
息白くひとりとなれば唄ひけり 湯谷 良
水鳥の水に沖あり争へり 深澤 鱶
下り来しふもとの朱欒日当たれる 今澤 淑子
雪吊師午後は隣家の松にをり 西畑 敦子
羊歯刈の雲の行方をうらやめり 西村 節子
大楠にみ空戻りし札納 坂口夫佐子
村口の大堰しぶく枯葎 髙松由利子
雪吊の縄締め日差し締めにけり 上原 悦子
母の愚痴母の嚏に終はりけり 河﨑 尚子
獅子柚子の店さきに暮れクリスマス 小林 成子
ホスピスへ戻る冬帽夕あかり 林 範昭
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
膝もとをうつろふ日差し障子貼る 山田美恵子
「障子貼」はおおよそ好天の日を選びます。障子を取り払った部屋や縁側に冬日が十分に差し込み、温かい内に作業を終えるものです。作者もまめまめしく障子貼りをしつつ、折々の「膝もと」に日差しの動きを感じとっているのでしょう。この季節は急に日の短さを実感するものですが、それを畳んだり伸ばしたりする膝もとに感じるのはいかにも障子貼らしい実感といえます。
神杉を煙ぬけゆく年の市 山本 燿子
神社の境内で「年の市」が開かれている様子です。落葉を焚いているのでしょうか、それともドラム缶の中で何かを燃して暖をとっているのでしょうか。うっすらとした煙が辺りの神杉の間をゆっくりと流れていきます。年末ながら穏やかな一景を描きました。
綿虫と同じ日向のみくじ筒 大山 文子
「綿虫」は日向でないとその姿をはっきりと捉えられないものですが、その日向の続きに「みくじ筒」がどっしりと突っ立っている景です。幽かでどこか現実のものと思えないような綿虫と、人の心理を左右する現実的なみくじ筒のモンタージュは何かを暗示しているようでもあります。
一面の枯蓮にこゑしのばせり 蘭定かず子
好奇心の強い俳人は「枯蓮」をなにかと好みます。私などはそこに痛ましさや哀れさを感じる以上に、枯蓮があえて哀れな姿を誇示して人の気をひき、人の心の内を量っているような気がしてなりません。私のそんな思いと、枯蓮に聞こえないように話す「こゑしのばせり」がぴたりと重なりました。
息白くひとりとなれば唄ひけり 湯谷 良
一緒に歩いていた人が少々気の張る相手の場合、別れて一人になると急に気が緩むものです。作者も同様の思いで、いつの間にか歌いながら歩いている自分に気づいたのでしょう。歌いつつ自分の白い息も楽しんでいる様子です。
水鳥の水に沖あり争へり 深澤 鱶
規律をもって群れている様子の「水鳥」達も、一羽一羽となると諍いもするでしょう。作者はその水鳥同士のささやかな自己主張と広やかな沖とを見比べつつ、ゆったりとした時を楽しんでいる様子です。「沖あり争へり」のリズムもなかなか効果的で、明朗な雰囲気を濃くしています。
下り来しふもとの朱欒日当たれる 今澤 淑子
中七下五に表出された一景から、作者がこれまで歩いてきた山中の暗さを読み手に想像させます。「朱欒」の大ぶりな温かさが山裾の雰囲気を巧みに表出しています。この場合、同じ柑橘類の蜜柑や金柑ではこのちょっとした安穏の趣は創りだせないと考えます。
雪吊師午後は隣家の松にをり 西畑 敦子
先ほど作者がその仕事ぶりに見惚れていた「雪吊師」が、なんと今は「隣家」に登って縄を操っているではありませんか。読み手にも作者の小さな驚きが小気味よく伝わってきます。
羊歯刈の雲の行方をうらやめり 西村 節子
「羊歯刈」の人物が流れゆく雲を眺め、ふと雲を羨む言葉を漏らしたのです。年末の気忙しい思いが、いかにも雲がこころのままに流れてゆくように感じさせたのでしょう。羊歯のごわつく手触り感と雲のふっくら感を比較してみるのも楽しいでしょう。
大楠にみ空もどりし札納 坂口夫佐子
年末「札納」に参った神社や寺院は、普段とは違った清々しい静寂に包まれているものです。作者もご神木の「大楠」を仰ぎ、やはり大杉にはこの碧天が相応しいと実感したのでしょう。その思いが「み空もどりし」の深い感慨へと繋がったのです。
村口の大堰しぶく枯葎 髙松由利子
村落のかかりの「堰」が大きくし吹きつつ辺りの枯葎を濡らしている景です。下五を「枯葎」と結び、水にし吹かれつつも未だに草ぐさの眠りが深いことを示し、春の訪れはまだまだ先であることを想像させる寒々しい一句です。
雪吊の縄締め日差し締めにけり 上原 悦子
心棒に結われた縄が締めて行かれ、しっかりとした「雪吊」の円錐が出来上がりつつあるのでしょう。そのひと締めずつを「日差し」を「締める」と大きく捉え、説得力があります。
母の愚痴母の嚏に終はりけり 河﨑 尚子
作者にとってなんともグッドタイミングな「嚏」だったのです。お蔭で母の愚痴に付き合うことは無くなったものの、今度は母の風邪が気掛かりとなった作者でしょう。
獅子柚子の店さきに暮れクリスマス 小林 成子
街が「クリスマス」一色に塗りつぶされる頃、店先の「獅子柚子」の凸凹顔に暮色が迫ってきたのです。獅子柚子のずっしりとした温顔が陰り始めると、いよいよ街が華やいでくるだろう、などと想像できます。しかし、クリスマスに踊らされる人々の影が鮮鋭に浮かび、ややアイロニカルな句ととれなくもありません。
ホスピスへ戻る冬帽夕あかり 林 範昭
一時帰宅の後に「ホスピス」へ戻る人物の冬帽子に、どうしても昏いイメージを抱いてしまうのですが、下五に据えた「夕あかり」にはなにか一筋の光がさすような救いがあります。作者もそんな境地で冬帽子をいつまでも見送ったことでしょう。