2018.4月

 

主宰句 

 

佐保姫に会ひにゆく飯結びけり

 

魚は氷にのぼり羽音は縹いろ

 

後ろ手に父の出でゆく雛の日

 

剪定に空かぎりなし李村

 

土ざつと起こしてありし花辛夷

 

蟇穴を出で人ごゑのむさくるし

 

雨傘の畳まれはじむ植樹祭

 

指し棒のゆたかに撓ふ涅槃絵図

 

田螺和つかひふるしの声の出で

 

風の古巣もとより風の形なる

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦       

七草の水に浮くもの沈むもの       大山 文子

眠りすぎたる淋しさの白障子       蘭定かず子

辛夷の芽谺古びて戻りきし        山田美恵子

喪ごもりの根方に残る雪の嵩       湯谷  良

寄せ太鼓に弾かれ出でし初雀       松山 直美

炭斗や雪崩ありたる山しづか       深澤  鱶

冬耕や厄神道のしらじらと        小林 成子

神鶏の尾の引きゆける初昔        坂口夫佐子

野の鳥の風に乗つたる恵方かな      大東由美子

冬眠のゆるぶ水面ををんな声       今澤 淑子

冬夕焼羊のこゑの裏がへる        井上 淳子

南京町四方より寒波来たりけり      髙松由利子

引力をたち切つて立つ炬燵かな      山本 耀子

誰も見ぬテレビが笑ふ三日かな      藤田 素子

読み手酔ふほどによかりし歌がるた    西村 節子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻       

七草の水に浮くもの沈むもの      大山 文子

 春の七草の中で水に浮くものなら芹か薺か、沈むものならすずなかすずしろか、などと思っているとあたかもいにしえ人となって広やかな野で摘草をしているような穏やかな気分となってきます。掲句の「七草」と「水」が創り出す小さな景は、日本人が共有するこころの原景へと誘ってくれるようです。十七文字が想像させる空間は限りなく広やかです。

眠りぎたる淋しさの白障子      蘭定かず子

 ぐっすり熟睡していた所為か、目覚めると随分と時間が過ぎていることに驚かされることがあります。そんな時は世の中の人に置いてけぼりをくったような気分となるものです。「眠り過ぎたる淋しさ」とはまさしくそんな心情でしょう。「白障子」に閉ざされた中で目覚めれば、そんな感慨は一入であったことでしょうね。

辛夷の芽谺古びて戻りきし       山田美恵子

 早春、他の花に先駆けてきっぱりと咲く純白の花辛夷に、強い意志と凛とした潔癖さを覚えるものですが、空へ向かってきりりと立ち並ぶ「辛夷の芽」にも同様のイメージを抱きます。その頃の山気は未だ冷え冷えとしており、作者も「谺」を寒々しく聞いているのでしょう。「谺古びて戻りきし」とは、生気そのもののような「辛夷の芽」に触発された素直な思いでしょう。

喪ごもりの根方に残る雪の嵩      湯谷  良

 喪中の家を訪れた作者は、ふと庭先の樹々の根方にこころをとどめました。辺りに過日降った雪の痕跡はほとんどなかったのでしょうが、木々の根元にだけは雪が相当残っていたからでしょう。作者はその残雪の嵩に、喪に困るこの家人たちの悲しみを見て取ったのです。簡潔な表現にしみじみとした心情を湛える一句です。

寄せ太鼓に弾かれ出でし初雀      松山 直美

 不意に打たれた寄せ太鼓と同時に小屋の前にいた雀が飛び立つ瞬間を、目出度く関わらせた点が巧みです。殊に「弾かれ出でし」の表現に新年らしい華やかさが感じられます。

炭斗や雪崩ありたる山しづか      深澤  鱶

作者は「炭斗」を手にしながら、ついこの間雪崩を引き起こした山を眺めているのでしょうが、その山が静か過ぎるのがどうも気掛かりな様子です。「炭斗」がごく日常的な代物だけに、何かしら特異な怖さが漂う一句です。

冬耕や厄神道のしらじらと       小林 成子

辺りが枯色に静まる中、耕された田畑だけが黒々と際立ち、その黒の世界を分かつように厄神への一すじの道が伸びているのです。「しらじらと」の寒々しい感慨から、乾びきった冬ざれの参道が思われ、両脇の田畑の黒さが一層想像されるでしょう。

神鶏の尾の引きゆける初昔       坂口夫佐子

 石清水八幡宮には尾長鶏が放し飼いされているのでしょうか。玉砂利の上を豊かな尾を引きながら歩むその姿をついこの間も目にした作者だけに、それが早や去年であるという感慨を一層深めたのでしょう。鮮やかな切り取りで「初昔」の思いを伝えています。

野の鳥の風に乗つたる恵方かな     大東由美子

 人とは単純で素直なもので、その年の恵方とされる方角がつい気掛かりとなものです。だからこそ、恵方の方角にいつも目にする野の鳥がいつもと変わらぬ風に乗った景ですら、目出度い気分となるのでしょう。小さな普遍をほいと掬い取った一句です。

冬眠のゆるぶ水面ををんな声      今澤 淑子

 「冬眠のゆるぶ水面」と述べてますが、冬季池の澱場に動かない鯉や鮒、亀などばかりでなく、辺りの山中の穴に眠る獣類をも想像してよいでしょう。そんないわゆる「水温む」頃、水面を渡る女の声に明るさや柔らかさを感じたのしょう。

冬夕焼羊のこゑの裏がへる       井上 淳子

 羊はビブラートがかかるよく通る声で鳴き、それは翁のように髯の貌に不似合でちょっと可笑しものです。「裏がへる」と捉えたのは、その声が不意に極端な高音となったのでしょう。「冬夕焼」の中、その声は際立っていたに違いありません。ところで私は、羊の風貌と裏声からシンガーソングライターの平井堅をどうしてもイメージしてしまいます。彼のファンに叱られそうですね。

南京町四方より寒波来たりけり     髙松由利子

 神戸南京町は東西南北に道が伸び、そのかかり口に楼門が聳え、通りの中央に四阿があります。掲句は恐らくこの四阿での寸感しょう。六甲颪が彩色豊かな小さな南京町を四方から攻め立てます。

引力をたち切つて立つ炬燵かな     山本 耀子

 一読、この「引力」とは暖かい炬燵の誘惑の大きさと、その虜となっていた作者のお尻の重さを喩えた言葉であることが知れるでしょう。日本人が共有する思いを巧みに捉えたこの喩えが眼目となり、上質の俳味を湛える一句となりました。

誰も見ぬテレビが笑ふ三日かな     藤田 素子

 寄り集ってお節で祝うこともなく、テレビがつけっぱなしのリビングに誰も居ない景は、いかにも「三日」らしいですね。ついでに、「テレビが笑ふ」で最近もてはやされるお笑い番組をも少し皮肉りました。

読み手酔ふほどによかりし歌がるた   西村 節子

 読み手が時おりご酒を頂きながら歌がるたを読み上げているのでしょうが、酔うほどに思いを籠めた声音となる様子です。恋の句なら尚更でしょう。艶のある目出度さがとても好もしいです。