2017.7月

 

主宰句   

 

竹山のそよぎいろなり夏祓

 

鈴音と夕べ出でゆく薄衣

 

風つれて紺帷子の父がくる

 

寄る波のとほり抜けゆく籠枕

 

昼寝覚階下なにやら揉めゐたる

 

撒水車岩のやうなる影つれ来

 

ナプキンを膝に夕立遣りにけり

 

白玉にくれなゐ滲む三和詣

 

聖堂に遅参の日傘倒れけり

 

箸立に吾の箸ばかり雲の峰

 

巻頭15句

                   山尾玉藻推薦               

老桜のことしの塵を掃きにけり      山本 耀子

花の昼小屋の奈落へ段梯子        河﨑 尚子

竹秋の風ひきゆけり夕鴉         坂口夫佐子

靑饅や兄のさみしき賑やかし       深澤  鱶

鉤の手の廊に日当たる松の芯       根本ひろ子

夕永し煙草の箱のチェ・ゲバラ      大山 文子

春光よりまつすぐに来る弓袋       山田美恵子

部屋干しのシャツと靴下猫の恋      蘭定かず子

あをさぎの飛び立ちし音春深し      小林 成子

白絹へ織り込む与謝の青田風       白数 宏子

炉塞ぎの真中を余し座りけり       上林ふらと

列組んで気の強さうなチューリップ    藤田 素子

さくらんぼ嬉しきことはすぐ母に     大東由美子

池の面にあぶく生まるる牧開き      助口 もも

遠足の子らを覆ひぬ大マンタ       前田  忍

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

老桜のことしの塵を掃きにけり      山本 耀子

今年も庭の桜の老樹が変わりなく咲き、それも散り始めた様子。恐らく作者のこれまでの苦楽を黙って見守ってきた桜でしょう。「来年もまたこの桜の下に立ちたい」という祈りに近い思いにさせるのが桜の花であり、掲句にも来年もこの桜と共に恙なく春を迎えたいという静かな願いが籠められています。

花の昼小屋の奈落へ段梯子        河﨑 尚子

出石の芝居小屋の嘱目詠と聞いています。読み手は桜の花が咲き満ちる真昼の景から、突如薄暗い芝居小屋へ招じ入れられ、自ずと奈落の暗さを印象付けられます。その上で、下五に据えた段梯子により、奈落の深さを嫌でも実感させられるでしょう。

竹秋の風ひきゆけり夕鴉         坂口夫佐子

 木々が新芽を吹きだす春、勢いを失ない茶褐色となった竹が辺りを染めている景はうっとうしいものです。そんな竹林の辺りを漆黒の鴉が過る景はいよいよ心塞ぐものでしょう。その感応を「竹秋の風ひきゆけり」と述べ、鬱とした余波を色濃いものにしています。

青饅や兄のさみしき賑やかし       深澤  鱶

 酒席でしょうか、失礼ながら兄上も数の内と誘われたのでしょうが、恐らく当の兄上も余り楽しそうな雰囲気ではないのでしょう。作者はそんな兄上が徐々に気掛かりとなってきたのです。ひやりとした食感の「青饅」がもたらした感慨でしょう。

鉤の手の廊に日当たる松の芯       根本ひろ子

 南東角に鉤の手になる寺院の廊の景でしょう。日が東から南へ移りゆく途中、鉤の手の両廊に日が溢れる寸時を切り取りました。廊の傍の松の芯にもたっぷりとした陽光が降り注ぐ明るい一景。

夕永し煙草の箱のチェ・ゲバラ      大山 文子

チェ・ゲバラはキューバ革命を成功させた革命家で、その顔がデザインされた洋もくがあります。何しろゲバラはハンサム、その上黒赤白の配色なので渋くて粋なパッケージです。作者も気になり暫く眺めていたのでしょう。「夕永し」がそれをもの語っています。

春光よりまつすぐに来る弓袋       山田美恵子

 季語「春光」は春の日光を指すのではなく早春らしい風光、風色を指します。春めいてきた眺めから、作者の方へ進んでくる弓袋はきらきらと輝き、それはさぞ早春に相応しい景だったことでしょう。

部屋干しのシャツと靴下猫の恋      蘭定かず子

 部屋干ししてあるものがシャツと靴下だけの景からは、家族の気配は感じられず、どうも独身男性のもの哀しい生活ぶりが思われます。その上、対照的な「猫の恋」と取り合せ、この部屋の主の侘しさを募らせました。この作者にしては珍しいアイロニカルな匂いのする一句です。

あをさぎの飛び立ちし音春深し      小林 成子

 川辺や水田に佇むその影を人影と見まがうほど、青鷺は結構大きな鳥です。突然に飛び立つ羽音にもインパクトがあります。その大らかでゆったりとした羽音に、作者は忽ち春の深まりを感じたのです。

白絹へ織り込む与謝の青田風       白数 宏子

 作者は与謝の人、最近まで丹後ちりめんの紡績を生業とされていて、電話口の向こうから活気ある機織機の音が聞こえたりしたものです。一面の青田の風を受けつつ白絹を織りすすめる景はとても優雅でこころ惹かれるものがあります。しかしもうあの機織り音を聞くことはできないのです。

炉塞ぎの真中を余し座りけり       上林ふらと

お茶を頂く座の席順は決まっており、上座には熟練者や年配者、下座には新参者が座り、座の間は空けるものではないでしょう。しかし掲句、真ん中の座が空っぽなのです。恐らく作法を詳しく知らぬ者同士が遠慮し合った結果でしょう。少々締まりのない茶室の景の中、緊張で身を固くしている人物が想像されて愉快です。

列組んで気の強さうなチューリップ    藤田 素子

 チューリップに明朗さではなく「気の強さうな」と感じた点に独自の踏み込みがあります。一列に咲く様子を「列成して」ではなく「列組んで」と捉えて団結力を感じさせ、その上一花一花の意志の強そうな堅固な咲きぶりが伝わって来ます。

さくらんぼ嬉しきことはすぐ母に     大東由美子

 母に告げる人物が子どもであっても大人であっても、「嬉しきことはすぐ母に」のフレーズが万人の胸にひびくことでしょう。其処に普遍があります。「さくらんぼ」との取り合せが心にくい。

池の面にあぶく生まるる牧開き      助口 もも

冬季畜舎に閉じ込められていた牛や馬が、嬉嬉として動き回り牧草を食べている景から、春を迎えた歓びが存分に伝わって来ます。池中に生息するものたちも活動し始めたに違いありません。それを思わせる「あぶく」です。  

遠足の子らを覆ひぬ大マンタ       前田  忍

 水族館のマンタの大水槽の前で遠足子らが眼を見張り歓声を上げています。その子供らの前でマンタがゆらりと翻ったのです。それはまるで三角形の大マントのような形で、一瞬子供たちに覆いかぶさったように見えたのでしょう。「覆ひぬ」に臨場感があり、またマンタの大きさと子供たちの小ささを的確に表出しています。