2017.5月

 

主宰句     

  

きのふ見て過ぎし干潟に遊びけり

 

沈丁の香に水傷む夕べかな

 

篁に日筋さだまる智恵詣

 

日輪に眩み菜の花蝶に化す

 

花房をくぐり山冷えたしかなる

 

水音のうしろへまはる春日傘

 

村人の香となつてきし鶏合

 

さきほどの蝶の潜める万華鏡

 

鳥の巣の吹かるる形にかかりをり

 

繊月を西へ払ひし松の芯

 

 巻頭15句

                   山尾玉藻推薦               

雛段を据ゑし畳のぬくもらず        蘭定かず子

蕗味噌の苦みに適ふ谿の風         大山 文子

牛たちに牛にほひあふ雪のひま       山田美恵子

雛あられの影のこぼれし懐紙かな      小林 成子

畳屋の畳ざうりに日脚伸ぶ         坂口夫佐子

袋角首をはげしく振りにけり        河﨑 尚子

盆梅の紅こぼれゐし夕畳          山本 耀子

大寒やかたまり黒き女学生         深澤  鱶

風花の触れてゆきたる点字板        藤田 素子

永き日の海のにほひの石ひとつ       涼野 海音

末黒野の端の明るきこぬか雨        松山 直美

節分の日の鳥籠の昏れのこり        湯谷  良

凍て鷺の二羽と見えたる一羽かな      今澤 淑子

焼山をそびらに雨の括り猿         髙松由利子

雨ながら日の差しゐたる松の芯       松井 倫子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻        

     

雛段を据ゑし畳のぬくもらず     蘭定かず子

雛を飾り終えると、雛たちの華やかさに自ずとこころ時めくものです。しかし、そんな胸中とは裏腹に、雛を据え終えて座した畳が冷え冷えとしていることに、少なからず違和感を覚えた作者です。「ぬくもらず」とは、自分のこころの色と畳の感触とのギャップにふと漏れた呟きなのです。こころの写生により雛の頃の季節感を巧みに表出したと言えるでしょう。

蕗味噌の苦みに適ふ谿の風      大山 文子

 誰しも蕗味噌の香に春の到来を実感するものですが、殊にそのほろ苦さには懐かしい嬉しさを覚えるでしょう。作者もそんな苦みを楽しみながら、まだ冷たいであろう谿風が身の横を吹き抜けることさえ快く感じているのです。「苦みに適ふ」の卓抜した措辞が光っています。

牛たちに牛にほひあふ雪のひま    山田美恵子

 はだれ雪の野に牛が放たれている景でしょう。「牛たちに牛にほひあふ」とは、小さな雪の隙で巨体を寄せ合っている牛達の様子を的確に描いた措辞であり、目前に見るような実体感を伴います。この表現以外あり得ないでしょう。

雛あられの影のこぼれし懐紙かな   小林 成子

 単に、懐紙に「雛あられ」を分けている寸景ではあるのですが、「影のこぼれし」と見た所に作者の佳きこころの色が窺えます。最近は色彩豊かな雛あられもありますが、結局は雛あられのほろほろとした細かさが女性のこころに適うもので、その一粒一粒に微かな影を意識した点が女性ならではの感覚でしょう。

畳屋の畳ざうりに日脚伸ぶ      坂口夫佐子

 浴衣やジーパン用に若者に人気のある畳草履ですが、これは畳屋が仕事中に掃いているものでしょう。忙しく動き回る畳草履や、新畳に上がり込んだ職人が脱いだ畳草履は、さぞはき込まれて艶光りしていたことでしょう。「日脚伸ぶ」が土間の明るさを伝えています。

袋角首をはげしく振りにけり     河﨑 尚子

 人間の思い込みかも知れませんが、頭に袋角を負う鹿はどことなくもの憂げに見えるものですが、この時季の雄鹿には独自の感覚があるのは確かでしょう。作者はその点を「首をはげしく振りにけり」で主張したのです。<袋角見てはいけないもののやう 玉藻>の感覚も人間の目を通した感覚から生まれた句です。

盆梅の紅こぼれゐし夕畳       山本 耀子

 なんとも美しい景ですが、単に美しいだけではありません。「紅」に「夕」を組み合わせ、情趣に流れない工夫がなされている点に注目しました。絵を描かれる作者ならではのセンスが光っています。

大寒やかたまり黒き女学生      深澤  鱶

最も寒さの厳しい大寒の候、作者らしい独自の視点が働きました。屯する制服姿の女学生は若々しく賑やかで、嫌でも注目する存在です。しかし、それが大寒ともなれば「かたまり黒き」という思いに変容するのも確かでしょう。この場合、男子学生なら詩に成りません。

風花の触れてゆきたる点字板     藤田 素子

最近は野外でも多くの点字の案内板を見かけるようになりました。掲句の点字板はどのようなものか不明ですが、点字に触れて行ったのが明るく柔らかな「風花」だけに、それを目にした作者のこころにも温かなものが流れたことでしょう。

永き日の海のにほひの石ひとつ    涼野 海音

 作者の掌には、以前砂浜で見つけた綺麗な小石がひとつあのです。恐らく懐かしさを蘇らせる、大切な小石なのでしょう。「永き日」の斡旋が自然で、読み手のこころをも満たしてゆきます。

末黒野の端の明るきこぬか雨     松山 直美

 細やかな雨が静かに降り、広やかな末黒野から煤の香がにおい立っているのでしょう。見ると野の端の辺りがぼーっと明るさを帯びています。言外に、その内この雨も上がるに違いないことを充分に想像させる一句です。待春の思いの濃い世界が詠まれています。

節分の日や鳥籠の昏れのこり     湯谷  良

 明日は春が立つ日と言われるからでしょうか、「節分」の日はどこかこころ浮き立ち、温かな気分で過ごすものです。そんな所為でもないでしょうが、日向が失せ始めた縁に吊る鳥籠がぼんやり浮ぶ様子も、いかにも節分の日の一景と言えます。

凍て鷺の二羽と見えたる一羽かな   今澤 淑子

 この鷺は白鷺に違いありません。とは思うものの、はてどう観賞したものかと少々困りました。しかし、餌をもとめて微動だにしない鷺の孤高を再確認したような、そんな作者のこころの動きを確かに感じるのです。主眼点の「凍て」でそのこころの動きが一層鮮やかに伝わって来るでしょう。

焼山をそびらに雨の括り猿      髙松由利子

 山焼きを終えた若草山が雨に濡れて一層漆黒さを増し、それを背景に家々の軒に提げられた真っ赤な括り猿が揺れている景であり、ビジュアルな一句です。一読して鮮やかに景が想像できる句は強いものです。早春の奈良讃歌の一句です。

雨ながら日の差しゐたる松の芯    松井 倫子

 「松の芯」の伸び始めは端正で、日射しを反している景はとても綺麗なものです。まして、辺りに小雨が降り始めた中、松の芯にだけ日差しが残っている景は、一層眼を引く美しい景であったことでしょう。着眼点のよろしさ。