2017.3月

 

主宰句 

 

低頭のとき寒禽のしづかなり

 

浅沓の退りはじめし吉書揚

 

ごつそり落ちわらわら崩れ吉書揚

 

榾埃浴びて春待つ貌ばかり

 

母の忌の透きとほるまで煮し蕪

 

母の忌のわけても風の水仙花

 

探梅の青丹いろなる淵に出で

 

寒泳の果てたる川を渡りけり

 

きさらぎの光と流れゆく林檎

 

足で正す玄関マット地虫出づ

 

 巻頭15句

                   山尾玉藻推薦         

我が影に遠くて近き寒鴉         山田美恵子

アメ横の灯に新海苔の金の帯       大山 文子

存分の丈となりけり芽水仙        坂口夫佐子

冬川のひと恋ふ幅となりにけり      深澤  鱶

メタセコイアの落葉激しくま静かな    河﨑 尚子

うつばりの百年ゆるぎなき寒さ      蘭定かず子

枯野来て浅く掛けたる緋毛氈       髙松由利子

笹鳴に合はせ杖音戻りきし        山本 耀子

母の居し畳に冬日濃かりけり       松山 直美

息詰めて雪山眠るアーチダム       林  範昭

冬椿の一輪に奥にぎはへり        小林 成子

白鷺の高く飛びゆく渇水期        加古みちよ

小春日の白磁に残る抹茶泡        大谷美根子

啓蟄や蔵の中より灯の漏れて       白数 康弘

杉苔に湯気の立ちゐし厄詣        松井 倫子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

我が影に遠くて近き寒鴉      山田美恵子

 一般に鴉は嫌われもの、中でも人間が悴む寒中でさえ元気な「寒鴉」は一層疎ましく思えるものです。地面にのびる自分の影からかなり隔たって歩く「寒鴉」なのですが、作者にはどうしても気がかりなのです。理に合わぬ「遠くて近き」がその微妙な胸中を的確に表しています。

アメ横の灯に新海苔の金の帯     大山 文子

 東京上野のアメ横には多くの魚介類、乾物の店舗が溢れ、あれこれ買い惑うものです。しかし作者は、うす暗い灯の下で「新海苔の金の帯」を目ざとく見つけたのです。作者の事ですから、極上ものと示す金の帯であっても、しっかり海苔の艶や香りを確かめたことでしょう。

  存分の丈となりけり芽水仙      坂口夫佐子

 固い地面を割って出て来た健気な水仙の芽を、毎日見守ってきた作者でしょう。「存分の丈となりけり」とは、水仙の芽がもう案じる必要のない丈に生育したという安堵感の表れです。

  冬川のひと恋ふ幅となりにけり    深澤  鱶

 「冬川」に沿って下流へと歩いていた作者です。ふと先ほどよりも川幅が広くなったことに気づき、途端に淋しさを覚え始めたのです。たった十七文字にそれまでの経緯と心理の変異が巧みに読み込まれている秀句です。

  メタセコイアの落葉激しくま静かな  河﨑 尚子

 「メタセコイア」は生きる化石と言われるほど生命力に溢れる樹です。大自然に柔軟に対応して生きる知恵をそなえているのでしょうか、枝葉は意外ともろく、黄落期には無風状態でも盛んに茶色の葉を零し続けます。正しく「激しくまし静かに」零れます。

うつばりの百年ゆるぎなき寒さ    蘭定かず子

 屋敷を百年有余支え続ける大梁を感じ入って仰いでいた作者ですが、急に寒さを感じ始めた様子です。勿論「百年ゆるぎなき」の措辞は大梁を修辞するものですが、それ以上にしんしんと身に沁む「寒さ」を巧みに喩えている表現なのです。   

枯野来て浅く掛けたる緋毛氈     髙松由利子

 蕭条とした「枯野」を辿ってきた作者は、寒さや淋しさで身も心も縮こまっていたことでしょう。「緋毛氈」の鮮やかな紅いろにいよいよ圧倒されている心情が、「浅く掛け」の頼りなげな行為によく表れています。

笹鳴に合はせ杖音戻りきし      山本 耀子

 「笹鳴」はちっ、ちっ、と細やかな単調な鳴き声です。まるでその調子に合わせるかのように、ゆっくりと、しかし確かに、「杖音」をひびかせて戻って来るのが聞こえて来たのです。恐らくご主人でしょう。

母の居し畳に冬日濃かりけり     松山 直美

 二年前に母上を亡くされ、帰郷される度に淋しさを募らせる作者です。居間でしょうか、仏間でしょうか、いつも母上が座っておられた畳に日が当たる光景は温かなものですが、だからこそ尚更に胸に染み入る光景です。母上の姿を一層偲ばれたことでしょう。

息詰めて雪山眠るアーチダム    林  範昭

 黒部ダムのような大規模なダムでしょう。雪をきた連峰に囲まれたダムは今は放水を止め、深い谷間は只々静寂の世界に戻っているのでしょう。「息詰めて雪山眠る」の際立った表現には、読み手に深い静寂と厳しい寒さを実感させるだけの力があります。

  冬椿の一輪に奥にぎはへり     小林 成子

 常はあまり使われず静まり返っている奥の間なのでしょうが、今日は楽しそうな話し声や笑い声で満ちているのでしょう。鶴首か竹筒に挿された一本だけの「冬椿」に、殊更改まった雰囲気は感じられず、穏やかな時間が流れる様子が窺い知れます。掲句、凛とした趣の「寒椿」では一句として成立せず、温かな趣を漂わせる「冬椿」ならではの一句です。

白鷺の高く飛びゆく渇水期     加古みちよ

 田に水が張られている時季や、川や池の水量が豊かな季節には、水辺でじっと餌を狙う「白鷺」をよく目にします。しかし今は「渇水期」、作者は高空を飛ぶ「白鷺」を仰ぎつつ、ひもじい思いをしているのではないかと案じているのかも知れません。辺りが枯一色の上を飛ぶ鷺の白さが、淋しくも美しい景です。

小春日の白磁に残る抹茶泡     大谷美根子

 上手く抹茶を啜り終えたと思っても、たいてい茶碗の底に緑色の泡が少し残っているものです。しかし、「白磁」の茶碗ならそれも美しかったことでしょう。「小春日」に相応しいひと齣を切り取って詩となりました。

啓蟄や蔵の中より灯の漏れて    白数 康弘

 蔵の中から漏れて来る仄かな灯が、辺りに漂い始めた春の気配を象徴しているようです。夕暮や夜の景でしょうか、ほの温かく前向きの思いとなる一景です。それは「啓蟄」という季語を得た由縁でしょう。

杉苔に湯気の立ちゐし厄詣     松井 倫子

 夜間の放射冷却で「杉苔」に霜が降りたのでしょう。それが朝の陽光にとけ始めて「湯気」を立てている美しい光景です。「厄詣」という心のちょっとした襞にほのかな湯気がじんわりと染み入るようで、作者は満たされていく思いで「湯気」を眺めていたことでしょう。