2017.10月

 

主宰句    

  

秋潮の屏風岩までひとのびす

 

水ささめけば鶺鴒の長あるき

 

みづひきのむすぶおろそかならぬ紅

 

坂鳥のまして比叡の雨烟

 

子が胸をつきだし林檎拭ひけり

 

ゆづらざる枝々ばかり秋高し

 

腰の篭より雑茸の出るは出るは

 

雨雲に榠樝は拳固めけり

 

榠樝の実落ちたる音を覚えおく

 

閉ざされし牧涛音へ傾ぎをり

 

巻頭15句

                   山尾玉藻推薦             

母の家の夜さり急かする栗の花      深澤  鱶

人影のゆらゆら来たる枇杷葉湯      大山 文子

素つ気なし花屋の壺の長苧殻       山本 耀子

ふるさとの川を下りぬ盆支度       坂口夫佐子

日盛の杜を抜けゆく弓の丈        蘭定かず子

故郷の草笛に息つくしけり        山田美恵子

烏瓜の花と日暮を手繰りけり       大東由美子

農小屋の時計鳴りをり花カンナ      小林 成子

蘇鉄より後れて藜そよぎけり       今澤 淑子

明易の姿見を猫見つめをる        松本 薬夏

桃割れの二階囃子へ声掛けぬ       河﨑 尚子

掌に受くる瓜漬けにほふ端居かな     根本ひろ子

ストローの吸ひきる音す雲の峰      垣岡 暎子

万緑や秘湯の無重力にあり        大内 和憲

雨音のだんだん濡れ来昼寝覚       湯谷  良

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻          

母の家の夜さり急かする栗の花    深澤  鱶

 「栗の花」の匂いは鬱としていて、決してこころ豊かにまた穏やかにするものではありません。久しぶりに故郷を訪ねた夜、母とゆったりと過ごしたいと願う作者ですが、近くの栗の花の匂いが気になりどうも落ち着かないのでしょう。「夜さり急かする」で、そんな切ない心象を描いて見せました。

人影のゆらゆら来たる枇杷葉湯    大山 文子

「枇杷養湯」とは枇杷の葉に肉桂や甘茶などの葉を混ぜたものを煎じたお茶のことで、今も京都の寺院などではそれを冷やしたものが暑気払いとしてふる舞われます。それを頂きつつ涼やかな気分でいた作者の眼に、こちらへ揺れながら来る人影が映ったのです。素直な実感であろう「ゆらゆら来たる」が、日盛の熱気を否応なく伝えています。

素つ気なし花屋の壺の長苧殻     山本 耀子

 「花屋」の「壺」に突っ立てて売られる「苧殻」は、周囲の華やかな花々に比して影が薄く、何となく場違いな感じがするものです。そんな雰囲気を見て取った作者は「苧殻」自身が「素気ない」と感じたのです。なるほど、「苧殻」は他の花々のように我が我がとアピールすることもなく、ただ白々と立っているばかりで、作者のこの思いに賛成します。

ふるさとの川を下りぬ盆支度     坂口夫佐子

 故郷で盆を迎えようとしている作者は、盆の品々を買い求める為に川下の町へ舟で出かけたのでしょうか。それとも盆花を摘みに川に沿って下って行ったのでしょうか。いずれにしても昔のままの川音や水の匂い、川風が作者を優しく包み込み、盆を迎える境地をいよいよ豊かなものとしていったことでしょう。

日盛の杜を抜けゆく弓の丈      蘭定かず子

 神社の奥宮で弓道の試合があるのでしょうか。下五の「弓の丈」の潔さが、深々とした「杜」の下闇を抜けていく弓の形を思わせ、辺りの蝉時雨を断ち切る如く凛と過ぎていく様子が明らかです。「日盛」が「杜」の暗さを強調しています。

故郷の草笛に息つくしけり      山田美恵子

 故郷の土手に座り「草笛」を鳴らしているのでしょうか。その音で急に幼い日々が蘇り、懐かしさに満たされていく作者です。「息つくしけり」の措辞には、万感胸に迫りくる熱い思いが籠められているようです。

烏瓜の花と日暮を手繰りけり     大東由美子

 烏瓜の蔓をたぐりその花を手元に近寄せた瞬間、急に辺りが薄暗く感じられたのでしょう。レースのような真っ白の「烏瓜の花」が妖しい美しさを湛えていたからに違いありません。手繰った対象を「烏瓜の花」と「日暮」を同列に据えた表現で、瞬時の感慨が巧みに伝わっきます。

農小屋の時計鳴りをり花カンナ    小林 成子

 無人の「農小屋」で時計が鈍い音で時を知らせているのでしょう。鈍いと感じたのは、恐らく作者はその音から、「農小屋」の柱に古い柱時計が無造作に掛けられているかも知れぬと想像したからです。真昼の日射しの下の「花カンナ」の鮮やかとは大きなギャップがあり、その想像が一層確かなものとなって来たのです。

  蘇鉄より後れて藜そよぎけり     今澤 淑子

 「蘇鉄」の硬質な葉や「藜」のごちゃついた花から爽やかさは伝わってこなでしょう。両者が間を置いて風にそよいだ所で、一層むっとした暑苦しさが伝わるばかりです。この句の主眼は「蘇鉄」と「藜」がそよぎ合うという不快な調和にあるのです。

  明易の姿見を猫見つめをる      松本 薬夏

明け方目覚めた作者は、ぼんやりと明け始めたうす暗い部屋で愛猫が「姿見」をじっと眺めているのに気付いたのです。鏡に映る自分を見詰めながら、怪訝な顔つきをしていたのでしょうか。辺りが白み始めるに従い、いつまでも合点のゆかぬ様子の猫の姿が白々と浮かび上がってきます。

桃割れの二階囃子へ声掛けぬ     河﨑 尚子

「桃割れ」は十六、七歳位の少女の髪型であり、掲句の人物が初々しい舞妓であることは明らかでしょう。町会所の二階で祇園祭の囃子の稽古が始まる頃、通りがかった舞妓が二階の知り人に声を掛けたのです。まったりとした京都弁で、舞妓と二階の人が交わす話の内容を想像するのも楽しいです。京都らしいほんのりとした艶のある景を切り取った一句です。

掌に受くる瓜漬けにほふ端居かな   根本ひろ子

 ご近所さんが竹床几に集い、世間話に花を咲かせる夕涼みの景でしょう。その内の一人が器にでも入れた自慢の「瓜漬け」を皆に進め始めのです。「掌に受くる」がいかにも庶民的で微笑ましい光景です。

ストローの吸ひきる音す雲の峰    垣岡 暎子

 作者の席の近くでストローでドリンクを吸い切る音がしたのでしょう。余り快くないその音を振り切るかのように窓外へ目を遣った作者は、青空に聳え立つ勇壮な「雲の峰」に眼を見張りました。先程の些事に拘ったことなどすっかり忘れ、「雲の峰」に見入る作者の横顔が微笑ましいですね。

万緑や秘湯の無重力にあり      大内 和憲

 「万緑」は無限大の季語、かたや「無重力」は宇宙的な原理。このとてつもない二物をいともた易く取り合わせ、作者はその中のちっぽけな我を気負いなく描いてみせたのです。「秘湯」という格別の湯に浸り、いや浮きながら、作者は天地の間で万物に抱かれつつこの上なく満ち足りているのでしょう。

雨音のだんだん濡れ来昼寝覚     湯谷  良

「昼寝覚」は意識が不透明なもので、作者も最初はぼんやりと「雨音」を聞いていたのでしょう。しかし、意識がはっきりとするに従い、かなりの雨降りであることに気が付いた様子です。「雨音のだんだん濡れ来」とはそんな実感を捉えて納得させます。