2016.2月

 

主宰句    

 

初しぐれ走りし護摩木焚かれけり

 

御火焚の杉樽に水しづかなり

 

御火焚にすこし出できし弥陀の風

 

嵐電の笛に御火焚勢へり

 

山伏の問答に来し雪ぼたる

 

木守の柿に乾燥注意報

 

柴犬の見てゐし水底の落葉

 

鴨たちの映ゆる鏡に化粧せり

 

得手不得手あり鳰の水走り

 

雪暗や渡岸寺の名の猫車

 

観音の腰見てもどる蕪畑

 

さう思ひ抓む海鼠の腰あたり

 

俎の上の海鼠にうらおもて

 

六道の辻につまづくマスクかな

 

揚げられし鯉に眼力(めぢから)ある寒さ

 

背きあひ縋りあひ蓮枯れゐたり

 

抱く松の匂へり雨の果弘法

 

よつこらしよと己を恃む煤日和

 

湯の柚を掻き寄せて首定めたる

 

歳晩の軒を乗り()し飛行船

 

飛行船のましぐらに年暮れんとす

 

淡からずあり臘日の朝の月

 

初声や床の柳の大むすび

 

初雀来るペン皿の体温計

 

初便りと花びら餅を供へけり

 

おうと手を上げそれよりの御慶かな

 

福寿草ひらきし男手前かな

 

初夢もなくて花びら餅やはし

 

手毬唄怖きところも声合はせ

 

四日かなおみいと声にしてひとり

             おみい・味噌仕立ての粥をいう船場ことば

綯初やまづてのひらをひらきみて

 

地に近き風のあかるき薺籠

 

干し足袋の回りはじめし月の軒

 

凍滝の前唇の重りきし

 

腑に落ちぬ眼が水餠をさぐりけり

 

袖口に拳がふたつ寒に入る

 

寒林のとば口にゐし割烹着

 

蔵王堂よりの風すぢ寒豆腐

 

山中の巌のにほふ寒土用

 

あはうみの星のくまなき厄落し

 

啓蟄と思へり眼鏡さがしゐて

 

 巻頭15句

                             山尾玉藻推薦                 

            

 

初鴨のまう水鳥としての水尾        深澤 鱶

 

香煙の外れにをりし酢茎売         山本耀子

 

山間の四方より寄れる七五三        小林成子

 

上段は星に触れゐし懸大根        蘭定かず子

 

はればれと桜紅葉の残る空        山田美恵子

 

翅たたみ影ひとすぢに秋の蝶       坂口夫佐子

 

空を読む頤に冬立ちにけり         大山文子

 

春来たることぶれに鳴く山鴉        白数康弘

 

嶺々に丹波時雨のかさなれる        松山直美

 

冬の日に凭せてありし松葉杖        西村節子

 

葉なんぞとほに落ちしよ榠樝の実     大東由美子

 

鳥となれトナカイとなれ大枯木       藤田素子

 

夫が子に手紙書きをり初時雨        高尾豊子

 

雲水の頭の寒き紫野            河﨑尚子

 

泡とびぬ体育の日の洗濯機         涼野海音

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻

           

      初鴨のまう水鳥としての水尾     深澤  鱶

長旅を終えた鴨が疲れを見せる暇もなく、直ぐにゆったりと泳ぎ出したのです。その健気さにこころ動かされた作者。中七以降の老練な詠みぶりでそのちょっとした感動を力みなく伝えていて、好感を覚える一句です 

香煙の外れにをりし酢茎売      山本 耀子

門前か境内の隅にでも酢茎売が出ていたのでしょう。流れて来る香煙に煙る酢茎売の貌が想像され、いかにも京らしい冬の風物詩を描いています。

山間の四方より寄れる七五三     小林 成子

あちらの山裾からこちらの山路から、愛らしく装おわれた子供達が手を引かれて産土神に詣でに来るのでしょう。普段は寂しげな山間にも七五三の今日だけは華やかさが漂うのでしょう。「四方より寄れる」の措辞が山間の風土や暮しぶりを巧まずして描いています。

上段は星に触れゐし懸大根      蘭定かず子

高みに在って星に触れている美しいものは多々あるでしょう。しかしそれが「掛大根」という謂わば瑣末なものであるからこそ俳句と言う詩となったのです。常に詩の在りどころをわきまえる作者です。

はればれと桜紅葉の残る空      山田美恵子

他の紅葉に比べ桜は一足早く紅葉し、散るのも早く、潔ぎ良さを感じさせます。それだけに樹に残っている真っ赤な葉は眼をひくもの。「はればれと」はいかにも桜紅葉の真をついた表現です。

翅たたみ影ひとすぢとなる秋蝶    坂口夫佐子

秋日の濃く沁む石にでも止まる秋蝶でしょう。翅を畳んだ瞬間、石の上に影が一筋の線となっ様子ですが、作者はその影の細さにふと蝶の行く末を案じたのでしょう。夏の蝶ではない、間違いなく秋蝶の一句です。

を読む頤に冬立ちにけり      大山 文子

この人物、空を仰ぎながら何を察知しようとしているのかは不明。しかしその横顔の顎の尖りようが想像され、読み手のこころも少し引き締まります。季語「冬立つ」の効果でしょう。

春来ることぶれに鳴く山鴉      白数 康弘

何時も耳にする山鴉の声ですが、今日作者には少し違ったひびきとして伝わって来のです。漸く春らしくなった気配にややハイとなった作者の思いがそう聞こえさせたのでしょう。  

嶺々に丹波時雨のかさなれる     松山 直美

兵庫と京都に境を接する奥深い丹波は、霧の名所と言われ、また恐竜化石発掘の地でもあり、都会人にとって容易に計り知れぬ魅力を蔵する地です。突然の時雨が一層の時雨を呼び、周囲の山容が水墨画のように黒々とに変貌して行ったのでしょう。巧みな詠みぶりで丹波地方の神秘的な風土性を掬いりました。

冬の日に凭せてありし松葉杖     西村 節子

「松葉杖」が日向に立てかけてある景に過ぎなのですが、単なる写生句ではありません。暖かそうな冬日を浴びる松葉杖だけに、それを必要とする人の身になった思いがそっと寄り添っている写生句です。

葉なんぞたふに落ちしよ榠樝の実   大東由美子

落葉してすっきりした枝々に執拗に下がっているのが凸凹とした榠樝の実だから愉快な絵となりました。榠樝の実を揶揄するようなすっ呆けた表現にもユーモアのセンスが光ります。

鳥となれトナカイとなれ大枯木    藤田 素子

モダンな感性になる詠みはこの作者の持ち味。枯木の枝々が大空へ伸びやかに広がった様子を見て、「鳥となれ」とは言えても、それが「トナカイとなれ」へと展開したところにその感性を光ります。聖夜の頃、華やかに電飾された木々を詠んで類想がないでしょう。

夫が子に手紙書きをり初時雨     高尾 豊子

いつもは電話やメール、ラインで事足っているのでしょうが、珍しく夫が我が子に手紙を書いています。神妙な顔つきの夫をのぞき見しながら、作者には手紙の内容がおおよそ見当がついている様子、悪い内容ではないでしょうがちょっと改まった内容なのでしょうか。そのことを「初時雨」の初がそれとなく指し示しています。

雲水の頭の寒き紫野         河﨑 尚子

京都市北区の大徳寺辺り一が紫野ですが、東一帯に広がる畑では愛宕山颪がきびしく吹き抜けます。そこを過ぎゆく雲水の頭に焦点を絞り、一帯の寒さを一層印象付けた一句です。

泡とびぬ体育の日の洗濯機      涼野 海音

最近の若者はいとわず家事をこなすがようです、作者もその一人。洗濯機の泡が勢いよく飛び散るのを目にして、今日が「体育の日」であることを意識してます。日常的な洗濯機の泡から体育の日への意識の繋がりが若々しく新鮮です。