2015.6月
主宰句
八十八夜鬼の山より人のこゑ
春志の音なく人の増えてゐし
ハンカチに小石をつつみ大原志
水無月のうすべりに脱ぐ沓と靴
旅の薬こぼせり夜のほととぎす
母の日の水に映えゆく山陰線
生飯台の立つみつみつの夜の緑
杉苗に丈といふもの夏至の雨
羽抜鶏産みたる卵かへり見し
紫蘇壺を覗く淋しきことしたり
巻頭15句
山尾玉藻推薦
逃水や鉄条網が眼の高さ 大山 文子
蕗味噌や子を思ふとき母思ふ 坂口夫佐子
ジャムパンはグラブのかたち燕来る 蘭定かず子
いつまでも生飯屋根にある春の雪 山本 耀子
さくらさくら濡れ手の運ぶちやんこ鍋 山田美恵子
つぶやける音に広ごる芝火かな 小林 成子
賑はしく余呉の雪間を渡りけり 深澤 鱶
耳うとき夫の寄りたる涅槃絵図 河﨑 尚子
屋根替の呪文のやうに釘ふふむ 髙松由利子
二人居に三つ買ひたる桜餅 松山 直美
菜の花や空にしたがふ水の色 田中 文治
初蝶とやうやう知れる甍かな 西村 節子
亀鳴くやバス路線図のからみあひ 藤田 素子
神杉のずぶ濡れなりし抜け参り 大東由美子
逃水を麒麟の舌が舐めにけり 前田 忍
5句鑑賞
山尾玉藻
逃水や鉄条網が眼の高さ 大山 文子
「逃水」の取り合せに類想類句の見られない新鮮な内容に瞠目しました。「鉄条網」という眼前の特異な現実が大いに際立っているため、遠方の「逃水」が愈々不確かなものとなって立ち上がってくるようです。
蕗味噌や子を思ふとき母思ふ 坂口夫佐子
女親は些細なことで子供のことが気がかりとなるものです。そして、子供のことを案じる時は必ずと言っても良いほど自分も母親に同じ心配をかけたに違いない、などと母を思いだすのです。同じ女としての性がそうさせるのでしょう。ほろとした苦みの「蕗味噌」と取り合せて滋味あふれる一句と成りました。
ジャムパンはグラブのかたち燕来る 蘭定かず子
ジャムパンがグラブの容をしていると誰しもが思っていたのに、これまで誰もそれを一句にしなかったのではないでしょうか。してやられたという思いです。「燕来る」の喜びの季語も的確であり、日常の小事を明るく詩に詠み上げました。
さくらさくら濡れ手の運ぶちやんこ鍋 山田美恵子
作者は大阪場所にそなえる相撲部屋を訪ねられたのでしょう。まだ髷も結えぬざんばら髪の下っ端力士が兄弟子たちのちゃんこ鍋を運んでいるのでしょう。「濡れ手」に焦点を当てることで若い力士の甲斐甲斐しい働きぶりが伝わってきます。
屋根替の呪文のやうに釘ふふむ 髙松由利子
屋根の上で口に釘を含みながら屋根替えの作業をしている人が見えてきます。その人がまた釘を口に含みつつ、傍らの人に何かを語り掛けたのでしょうが、何やらもごもごと不鮮明で作者にははっきりと聞き取れなかったようです。「呪文のやうに」の比喩が愉快です。