2015.5月

 

主宰句


ヘッドフォンに挟まるる貌花ぐもり

 

地に触れて人に触れざり糸桜

 

逃水に掛け余したる竹梯子

 

蛇穴を出で遠からぬ翁塚

 

かき揚げの土筆に忌を払ひけり

 

揚げ舟の花菜に溺れゐたりけり

 

まがるべくまがるクローバ編みにけり

 

八橋の八つくぐりゆく春の水

 

ごつごつの虎魚の貌も花の頃

 

花屑の寄る三味線屋ほの暗し

 

 

巻頭15句

       山尾玉藻推薦


下京や一閑張の丹の冴ゆる         坂口夫佐子

 

山の辺の紅梅を行く青年団         山田美恵子

 

蕗の薹水に放てばすぐ浮いて        山本 燿子

 

野火とんでとんで雨雲呼びにけり      大山 文子

 

榛の木の花に水面のよそよそし       西村 節子

 

宇治上の地べたうるはし薄氷        深澤  鱶

 

世話人を頼みにまはる雪間かな       蘭定かず子

 

春の猫検針穴を抜けゆけり         河﨑 尚子

 

まだたれも触れざる今朝の梅の風      小林 成子

 

鵯のひと声走る遠雪崩           大内 和憲

 

ひとまはり大きくなりて山笑ふ       涼野 海音

 

煮凝を捨つる捨てぬと二人かな       高尾 豊子

 

ブランコにすこし休みし梅見かな      波田美智子

 

愛の日の甲板に散るポプコーン       西畑 敦子

 

まんさくや飛石をゆく昼の膳        藤本千鶴子

  

  

5句鑑賞        

     山尾玉藻

下京や一閑張の丹の冴ゆる      坂口夫佐子

一閑張は器の表面に紙を貼り漆を塗った工芸品。本来手触りは温かいものですが、丹色に冷え冷えとした思いを抱いたのは辺りの底冷えの所為でしょう。固有名詞「下京」が絶対的な働きをしています。

 

   山の辺の紅梅を行く青年団      山田美恵子

奉仕活動か訓練があるのでしょうか、青年たちが山辺を行く景はとても明るいものです。お揃いの法被姿に紅梅が鮮やかに映えて、早春の気色が浮き立つようです。この句も「紅梅」が絶対的で、白梅では句になりません。

 

春の猫検針穴を抜けゆけり      河﨑 尚子

奥のメーターが見えるように生垣か塀に穴が開けてあるのでしょうが、そこをちゃっかりと春の猫が抜けていったのです。猫の恋の通い路となっている検針穴が愉快ですね。

 

鵯のひと声走る遠雪崩        大内 和憲

まるで鵯の鋭い一声が遥かな雪山に雪崩を発生させたような詠みぶりですが、余りそこに作為を感じさせません。この句の場合も鋭い声で辺りを払うように鳴く「鵯」が絶対であるからでしょう。

 

煮凝を捨つる捨てぬと二人かな    高尾 豊子

ノスタルジアから煮凝を捨てずにおこうとするご主人と、どうせ食べる筈がないのだから捨てようとする作者でしょう。こんなところにも男と女の(しょう)の相違が見えるようで、その点に普遍が感じられます。このように、ちょっとした普遍を何気なく提示できるのが俳句の醍醐味と言えるでしょう。