今月の火星作品

主宰句

 

子が出でて湯の柚子の数定まれり

 

年の夜の机辺もとよりしづかなる

 

猩々緋いろなる衣桁年うつる

 

梟の首めぐらする去年今年

 

食国(をすくに)のみ空いただく飾臼

 

あらたまの水底へこそ鳰

 

熊皮に座らされゐし春小袖

 

寒九なる風の菫にほかならず

 

膝もとに色差しゐたる菱葩

 

炉火照りの誰ぞの椿油の香

 

巻頭15句          

      山尾玉藻推薦

 

星々の尖れる葱を引きに出し     蘭定かず子

 

牛の顔動かし難し返り花       湯谷  良

 

枯蓮のたふれきらざる形へ風     山田美恵子

 

ささくれし椋の肌を六つの花     坂口夫佐子

 

丹の橋に月の零しし銀杏の実     今澤 淑子

 

枯蓮の反省もせず直立す       藤田 素子

 

秋冷や菊師亡き家の素焼鉢      福盛 孝明

 

桟橋に続く参道時七五三       上林ふらと

 

の手に分けられてゐる小銭かな   坂倉 一光

 

古本の紐ほどきをり隙間風      本宮 玲奈

 

星呼べりリハビリ室の聖樹まで    芦田 美幸

 

青首の畝に凩長居せり        石原 暁子

 

誰が聞きし辛夷が冬芽立てし音    永井 喬太

 

病名を告げず問はれず毛糸編む    するきいつこ

 

兄の忌の剥けばかがよふ落花生    根本ひろ子

 

 

今月の作品鑑賞    

       山尾玉藻

 

 星々の尖れる葱を引きに出し     蘭定かず子

 「星々の尖れる」の「尖れる」とは凍て星の鋭く輝く様子を表しており、先ずは読み手に野外の寒気を思わせる効果的措辞なのです。そうすることで引き抜いた葱の冷たさを読み手にも実感させています。

 しかし句会の席でこの「尖れる」に二つの意見がでました。①「尖れる」は葱を修辞するのではないか、②「尖れる」は星と葱のいずれにも係るのではないのか、との質問がでました。①ならば上五は「星下の」でなければならず、②のような二物に係る表現はやや姑息で好ましくない、と私は返答いたしました。さて如何でしょうか。

牛の顔動かし難し返り花       湯谷  良

 ふと「返り花」を見つけ近寄ろうとしたのですが、なんとその横にいる牛がこちらを見ているではありませんか。可憐な返り花とは対照的なぬっとしたその大きな顔に面喰い気後れしている作者です。その心中を語るのに「牛の顔動かし難し」とは、意外でありながらなんとも的確で愉快です。

枯蓮のたふれきらざる形へ風     山田美恵子

 見ると「枯蓮」が今にも倒れんばかりの状態で、作者は危うさを覚えていたのでしょう。そこへ不意に風が吹き枯蓮に危うさが募ります。枯蓮の顛末を見届けようと作者はいよいよ枯蓮から眼が離せなくなったことでしょう。好奇心旺盛な俳人らしい目の輝きが想像されます。

ささくれし椋の肌を六つの花     坂口夫佐子

 「椋」は成長が早く高さ二十メートルにもなり、寿命も長いので天然記念物に指定されたりします。「ささくれし」からこの椋もかなりの老木のようで、樹皮も細かく裂けているのが想像されます。そんな樹皮を潤すかのように雪がやさしく舞い始めたのです。

丹の橋に月の零しし銀杏の実     今澤 淑子

 朱に塗られた橋を渡っていた作者は「銀杏の実」が零れていることに気づき、これは美しかった昨夜の月から零れたものに違いないと確信しています。こう言われると単なる銀杏の実が美しい珠の如くに感じてきます。鮮やかな「丹」色がつき動かした感性と言えるでしょう。

枯蓮の反省もせず直立す       藤田 素子

 季語に「蓮の骨」があるように、「枯蓮」の中には枯れた実をがくんと垂らしつつ茎だけが棒立ちしているものがあります。作者はその様子を「反省」する姿と捉え、目の前の枯蓮にはその兆しもないと言い切っています。「反省もせず」の措辞で蓮の枯れっぷりが見えて来て、なるほど作者は対象物を象徴化する語力に長けていると感心しました。

秋冷や菊師亡き家の素焼鉢      福盛 孝明

 菊の頃、通りすがりにこの家の主の育てた見事な菊を愛でていた作者でしょうか。その主も今は亡く、用済みとなった「素焼鉢」が積み上げられているばかりです。この「菊師」はいわゆる菊職人を指すものではなく、菊を愛する人というほどの意と解すると、「秋冷」の趣が深まるでしょう。

桟橋に続く参道七五三        上林ふらと

 神戸垂水の海(わたつみ)神社のように海辺にごく近くある神社でしょう。船から降り立った小さな子供たちの晴れ着が参道まで駆け始め、付き添いの大人たちが慌ててその後を追うのでしょうか。それともしずしずと手を引かれて神妙な面持ちで参道へと進むのでしょうか。潮の香の中、七五三の時季の華やかで微笑ましい景が繰り広げられます。

の手に分けられてゐる小銭かな   坂倉 一光

 年の市の一景でしょうか。買い手の差し出した代金の小銭を、売り手がの掌の上で確認しています。硬貨が鈍い光を放ち、冷えが一層募るような一句です。この作者はときおり対象を身勝手におもしろがる傾向にありますが、先ずは掲句のような客観写生を心がけ、俳句が辛抱の文芸であることを身をもって示して欲しいと願っています。

古本の紐ほどきをり隙間風      本宮 玲奈 

 昨年亡くなったお父上鱶さんの遺された書籍類でしょうか。その紐をほどきさまざまの書物を開きつつ、これまで知らなかった父の思考や営みの一面に触れ、殊に俳句への深い傾倒ぶりを再認識し、今更ながら深い感慨を抱く作者なのでしょう。「隙間風」が身に沁みます。

星呼べりリハビリ室の聖樹まで    芦田 美幸

 聖樹が飾られる昼間の「リハビリ室」では多くの患者達が懸命にリハビリに励んでいるのでしょう。「星呼べり」は、今はがらんとしたその部屋の聖樹を見た折の正直な寸感であり、リハビリに精を出す人たちへの温かなエールをこめた感応なのです。

青首の畝に凩長居せり        石原 暁子

 「青首大根」は全体的に繊維が少ないので柔らかく美味しくいただけますが、畑の畝から青い首がのぞいている景は冷ややかさを覚えるばかりです。しかもこの日は「凩」が吹きすさび、その景が一層寒々しく感じられたのでしょう。「長居せり」と擬人法で強調した点が効果的です。

誰が聞きし辛夷が冬芽立てし音    永井 喬太

 人が寒さに悴んでいる内に、草木は冬芽をしっかりと結んでいるものです。殊に柔らかな繊毛が銀白色に輝き、先を尖らせつつ突っ立つ辛夷の冬芽は眼を惹きます。その様子から芽立ちにはきっと音がしただろうと作者は感じています。そして他の誰かがそれを聞き止めたかもしれないと、目立ちの音を聞き逃した迂闊さを残念がっています。

病名を告げず問はれず毛糸編む   するきいつこ

 今日あった事を思い出しつつ毛糸を編んでいるのでしょうか、それとも誰かと向き合って毛糸を編んでいる景でしょうか。互いに相手を気遣い深く踏み込まない思いやりが「告げず問はれず」に表出されています。編み棒と指だけが動く人間味ある時間が静かに流れます。

兄の忌の剥けばかがよふ落花生    根本ひろ子

 作者の故郷は千葉、恐らく亡くなった兄上は落花生生産に携わっておられたのでしょう。「剥けばかがよふ」に、生産された落花生を誇らしげに語っていた兄を愛おしく思い出している作者です。