今月の火星作品

主宰句

 

蜥蜴出でエンタシスなる寺柱

 

み空より麒麟の零す草若し

 

筋塀の五本恃みに鳥の恋

 

ペンギンの濡れ身へ桜吹雪きけり

 

青年の髪へ花片ないしよないしよ

 

花へ花へ漣どきの湖北かな

 

ひと鍬にふた鍬に霽れ植樹祭

 

花蘇枋なにやら咎めらるる色

 

じやがいもの咲く只中の地獄絵図

 

地獄絵図見てきし夜の藤にほふ

 

巻頭15句          

                山尾玉藻推薦

 

後頭部のよく似しふたり寒やいと    湯谷  良

 

どん突きの余寒のノブを握りけり    蘭定かず子

 

涅槃図の月の光を浴びゐたり      五島 節子

 

貝寄風や段々畑の畝の反り       上林ふらと

 

朧月こちら地球はちよつと雨      大東由美子

 

勢ひで刻み過ぎたる春キャベツ     尾崎 晶子

 

二人ゆゑ向ひ合はざる炬燵かな     高尾 豊子

 

陽炎へる女踵を返したる        山田美恵子

 

昼どきの魞挿し舟に舟より来      河﨑 尚子

 

三椏の花へ花へと水の音        坂口夫佐子

 

山映ゆる水余しをり春の鴨       小林 成子

 

折り合ひをつけし齢と朝寝せり     西村 節子

 

一輪の梅に籠りの貌出で来       井上 淳子

 

春愁や孔雀の羽が地を擦れる      松井 倫子

 

母が家に「暮しの手帖」冴返る     藤田 素子

 

今月の作品鑑賞    

          山尾玉藻

   後頭部のよく似しふたり寒やいと  湯谷  良

昔ながらの民間療法である「寒やいと」から、この似通った後頭部の二人は決して若くはないことが知れるでしょう。恐らく年老いた親子あるいは兄弟か姉妹なのでしょう。背中にでもすえられた灸に視線を向けるのではなく、その後頭部に興味を抱いた点がなかなかユニークで可笑しいです。

どん突きの余寒のノブを握りけり  蘭定かず子

 長い廊下の突き当りの部屋のノブでしょうか、それとも非常口のドアのノブなのでしょうか。「どん突き」なるインパクトある表現で厳しい名残りの寒さをいやでも実感させます。

涅槃図の月の光を浴びゐたり    五島 節子

 釈迦入滅は如月望月の日ですので「涅槃図」には必ず満月が描かれています。絵図を拝する我々は、清らかな月明を想像することで、僧侶や生き物たちの嘆きの深さを一層知ることとなります。作者も同じく静謐な境地となったようですが、それをくどくどと述べず、ただ自分も同じ月光を浴びていたと述懐するのみです。深く解釈すれば、自らも絵図の中の一人として釈迦入滅を悲しむ心境となっていたということでしょう。涅槃図の真の教えはここにあるように思います。

  貝寄風や段々畑の畝の反り     上林ふらと

この「反り」とは畝が弓なりにせま苦しく曲がっている様子を述べるもので、急勾配の丘陵地の段々畑であることが理解できます。それも「貝寄風」との取り合せにより、海に面する一層厳しい立地であることが窺い知れます。

  朧月こちら地球はちよつと雨    大東由美子

先ほどから時折小雨が降り、空を見上げるとぼんやりとした月がかかっているのです。そんな春らしいが余り珍しくもない光景を、まるで月と交信しているかのような表現で印象付けています。しかしこの詠法、一度きりで良いでしょう。

勢ひで刻み過ぎたる春キャベツ   尾崎 晶子   

柔らかな春キャベツは思い通りに切れる上、キャベツが立てる音も快く、こちらもこころ踊りを覚えます。作者もついその気になり過ぎて、気づけが千切りキャベツが山となっていたのです。「勢ひで」に実感が籠っていますね。

二人ゆゑ向ひ合はざる炬燵にゐ   高尾 豊子

 新婚なら睦まじく向かい合う炬燵でしょうが、長年連れ添ってきた二人なら互いに相手の顔も見飽きたことでしょうし、それぞれ別々の事をして炬燵に籠っているのでしょう。「二人ゆゑ」とのことわりにしみじみとした諧謔があります。

陽炎へる女踵を返したる      山田美恵子

 遠くより陽炎いながら来る女性をぼんやりと眺めていた作者ですが、女性が不意に引き返したのを見て急に気がかりとなったのです。駘蕩とした思いにさせる「陽炎」ですが、実はこの世の計り知れない現実を包み込んでいるのです。

昼どきの魞挿し舟に舟より来    河﨑 尚子

 魞挿し作業に余念のないの人の舟に、別の舟が近寄って行くのが望めたのでしょう。折しも「昼どき」です。作者は昼の餉が運ばれてきたのかも知れないなどと思いつつ、琵琶湖ならではの春の風物詩を楽しんだことでしょう。

三椏の花へ花へと水の音      坂口夫佐子

 「三椏の花」は三つ叉に分かれた枝の先に一つずつ咲き、黄色の小花が寄り集まったランタン状をしています。間違いなく三つずつ咲くその様子はどことなく絆のようでもあり、ほのぼのとした雰囲気を漂わせます。近くの谷川もそんな咲きぶりを慕い、軽やかな音を立てて流れて来るようです。

山映ゆる水余しをり春の鴨     小林 成子

 鴨のいる湖か池に近くの山容が美しく映えている景です。冬季沢山いた鴨の大方は帰ってしまい、今は残った鴨だけが漂っています。その数の余りの少なさが「水余しをり」の感慨を呼んだのでしょう。寂しさを実感させる巧みな表現です。

折り合ひをつけし齢と朝寝せり   西村 節子

 春の朝寝は実に気持ちよいものです。もう起きなければいけないと思いつつ、一方で齢なのだからもう少し寝ても良いだろう、などと自分に言い聞かせる作者です。「折り合ひをつけし齢と」に、年寄りの悪気のない身勝手さが顔をのぞかせていて、変に納得させられる一句です。

一輪の梅に籠りの貌出で来     井上 淳子

 家籠りも一年以上続くと自ずと籠り貌となるのでしょうか。庭の梅が漸く一輪開いた日、作者は家人に明るい声をかけたのでしょう。暫くして庭に出て来た家人の貌を想像するにつけ、私自身もそんな貌つきとなっているのだろうと思わず苦笑させられた一句です。

 

春愁や孔雀の羽が地を擦れる    松井 倫子

 孔雀の美しさは羽を広げるところにあり、それ以外はのっそりとしているつまらぬ鳥、と言っては孔雀に失礼でしょうか。しかし掲句のように、畳んだ羽を引き摺っている孔雀には哀れささえ覚えることでしょう。「春愁」が効いています。

母が家に「暮しの手帖」冴返る   藤田 素子 

お母様が介護施設に入居された後、実家で「暮しの手帖」を見つけた作者。「暮しの手帖」は七十年以上発刊し続けられる堅実な家庭向け雑誌です。それを愛読する母の律義さと、今はそれさえ読まなくなった母の老いを思い、複雑な胸中となったことでしょう。「冴返る」がそれを語っています。