今月の火星作品

主宰句

 

山気纏へる竜胆の丈夫ぶり

 

ひやひやと斜にまみゆる吉祥天

 

袴より抜く脚二本蚯蚓鳴く

 

秋冷の苔に影ひく女連れ

 

来迎印定印笹子きてゐたり

 

けあらしに濡れてをりたるはぐれ鹿

 

鴇いろに明くる山容猟期来る

 

初猟や谿川は音つつしめる

 

八掛のあはき海松(みる)いろ炉を開く

 

水見詰む伏見もどりの懐手

 

巻頭15句          

                  山尾玉藻推薦

 

遺影もう高きに上る昼の虫       湯谷  良

 

われからを聞きたく眼つぶりけり    山田美恵子

 

太息に硝子戸くもる十三夜       大山 文子

 

胸に抱ふる紅萩の昏さかな       山本 耀子

 

草をもたげ草に滑りし秋の蛇      深澤  鱶

 

両の角切られし鹿の嗅ぎあへり     蘭定かず子

 

末社までつづく帚目雁わたし      坂口夫佐子

 

遊郭に階段多し鵙鳴ける        藤田 素子

 

秋冷や鉋は琥珀いろを吐き       上原 悦子

 

食卓のジャポニカノート小鳥来る    尾崎 晶子

 

水の面の空のととのふ牧水忌      小林 成子

 

ムツクリの音にこぼれつぐ草の種    大内 鉄幹

 

暮れがての花野のバスをのがしけり   河﨑 尚子

 

野分中カナリアの水替へにけり     西畑 敦子

 

秋風を大きく招ず戒壇院        越智 伸郎

 

今月の作品鑑賞    

         山尾玉藻

遺影もう高きに上る昼の虫      湯谷  良

 一般に遺影は暫く仏壇に飾られ年忌を重ねた後に相応しい場所に移される。掲句の「高きに上る」からこの遺影は長押に飾り直されたものと思うが、「もう」の一語に故人が一層遥かな存在となってしまったという切なさが滲み出ている。たった一語が紛れもなく句意を深める。

われからを聞きたく眼つぶりけり   山田美恵子

 秋の季語「われから」は藻に生息する虫とされるが実体は不明である。作者はそれを重々承知の上で、耳を傾けるのではなく「眼つぶりけり」と少しとぼけて見せた。何事にも面白がる俳人のエスプリの働いた一句である。

太息に硝子戸くもる十三夜      大山 文子

 その全き美しさで我々を只ただ魅了する中秋の名月と違い、「十三夜」月はその頃の冷気と共に我々に細やかな感覚を抱かせる。作者と並び月を仰いでいた人の豊かな息が「硝子戸」を曇らせた瞬間、ガラス越しの月が青白く滲んだのだろう。十三夜らしい翳りを捉えた一句である。

胸に抱ふる紅萩の昏さかな      山本 耀子

 一見華やかそうで実は翳りを湛えているのが紅色であるが、細やかな咲きぶりの紅萩には余りそのイメージはない。しかしそんな紅萩もひと束となって抱えられると紅が濃くなり、急に翳りを兆す花となるのだろう。女性らしい細やかな観察眼がちょっとした発見を生んだ。

草をもたげ草に滑りし秋の蛇     深澤  鱶

 「草をもたげ」に蛇が鎌首を持ち上げた瞬間を、「草に滑りし」にその滑らかな全長を思う。いずれも蛇の怪しげな動きを言い得ているが、それが穴を探し求める動きであると知ると、忽ち哀れを湛える動きに転じる妙味がある。この場合「秋の蛇」は絶対的季語と言える。

両の角切られし鹿の嗅ぎあへり    蘭定かず子

 角伐会で無理やり角を切り落とされた鹿は、暫く何に対しても敏感となり、不安定な精神状態に違いない。角を無理から失った二頭の鹿が匂いを嗅ぎ合い危ぶみ合っている景も、鹿の落ち着かない感情の表れだろう。

末社までつづく帚目雁わたし     坂口夫佐子

本社より末社まで美しく帚目が続き、境内の清浄な雰囲気が伝わってくる。「雁わたし」からは自然界の悠久さが伝わり、いよいよ荘厳な世界を創造している。

遊郭に階段多し鵙鳴ける       藤田 素子

 大阪の飛田新地には今も150軒ほどの遊郭が残り、料亭として伝統的雰囲気を色濃く残している。暖簾越しに真っ赤な絨毯と拭き込まれた艶やかな階段が見え、奥深い店構えが好奇心をそそる。そのような中で「階段」の切り取りは往年の遊郭の華やかさを大いにイメージさせる。階段を上り下りしたであろう遊女たちの白い裸足や腓が鮮やかに蘇ってくるからだ。

秋冷や鉋は琥珀いろを吐き      上原 悦子

 鉋が引かれる度に鉋から木皮が湧き出る。ごく薄い木皮に日が透け、その色を「琥珀いろ」と捉えた点が眼目の一句。「秋冷」を覚えるこころが働いた色合いである。

食卓のジャポニカノート小鳥来る   尾崎 晶子

 小学生用の「ジャポニカ」学習帳は教科別になっていて多種多様、連絡帳まである。この食卓にはいずれのノートが置かれていたのかと想像が膨らむ。「小鳥来る」がごく一般の日常的なリビングの景に明るさを添える。

水の面の空のととのふ牧水忌     小林 成子

 一読<白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 牧水>を思い出す。生涯旅人であった牧水の寂しい胸中をおもんばかり、「水の面の空のととのふ」の穏やかな景を示して牧水の寂しさにやさしく語りかける作者である。

ムツクリの音にこぼれつぐ草の種   大内 鉄幹

 「ムツクリ」はアイヌの伝統的口琴。自然界の造形を模して奏でられるその響きにこころ癒される思いがする。いかにも「草の実」がこころ惹かれるようにして自ら地に「こぼれつぐ」ような、そんな音色である。

  暮れがての花野のバスをのがしけり  河﨑 尚子

 日に数えるほどしか運行されない「バス」なのかも知れない。目の前に広がる「花野」の夕闇が濃くなるにつれ、心細さが募ってきたことだろう。呟きのような一句だが、読み手にはなかなか気がかりな一句でもある。

野分中カナリアの水替へにけり    西畑 敦子

野分なか軍配躍る楽日かな      林  範昭

 対照的な「野分」の句を並べた。一句目、野分の最中は家籠りをしていても落ち着かぬものである。作者も差し迫って必要でもない「カナリアの水」を替えてはみたものの一向にこころが鎮まらず、また腰を上げる。野分に振り回される人間のちっぽけさが際立つ一句。二句目、武道館での秋場所の景。「軍配躍る」とは大勝負が決まった一瞬の切り取りであり、その上「楽日」なのだから湧き上がる人々の歓声がいやでも聞こえてくる。「野分」との中の全く関わりない世界が描かれ、人が独りではなく集団であると言う根拠のない安心感も象徴されている。

秋風を大きく招ず戒壇院       越智 伸郎

 東大寺「戒壇院」には中央の本堂の他は四囲に特別なものはなく、目に見えない万物を包容する空間を感じさせる。正しく「秋風を大きく招ず」的空間であり、思い切りよい擬人法も爽快である。