今月の火星作品
主宰句
太閤の紅梅翳り易かりし
辛夷咲き人に夕べのきたりけり
白木蓮にあますぢ鳥にしづみごゑ
ドーム内は熱狂ライブ春一番
山笑ふ方へオルガン漕ぎ出せり
わたつみの呟きのごと桜貝
雀二羽さくら吹雪へつつこめり
比良の嶺へ春辺の声をかけし鴨
春愁や槽の海月が弧をえがき
燕来て空広うせる穴太積
巻頭15句
山尾玉藻推薦
手袋の自在の指にある不安 湯谷 良
薪小屋へかよふぬかるみ春隣 蘭定かず子
薄氷を踏む音をまた踏みにけり 高尾 豊子
ひたすらに不協和音の蜂と蜂 山田美恵子
琅玕に風を呼びたる絵踏かな 髙松由利子
居留守つかへばパンジーのうなづけり 福盛 孝明
春光や低くまつすぐ御所の塀 坂口夫佐子
耐震工事まつただ中の卒業歌 西村 裕子
剪定の木に鳥礫星礫 大内 鉄幹
冬の月船の霧笛の上を渡り 松本 和子
野遊の自転車凹に倒しゐし 大東由美子
きさらぎの水しぶかする古筧 五島 節子
金黒羽白浮かべる池の掌 永井 喬太
蹴られたりめくられたりし春炬燵 坂倉 一光
冤罪を晴らしやるごと桑ほどく 上林ふらと
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
手袋の自在の指にある不安 湯谷 良
手のサイズに合った五本指の手袋は思いのままに五指を動かせ、寒中はとても有難いものです。とは言え手袋は所詮防寒用の覆いものには違いなく、触れたものの実際の感触は全く伝わりません。そんな手袋の実体を「自在」「不安」といういわば対極にあるような無機的表現で実に巧みに捉えています。手袋の実体に迫る一元句として大いに納得します。
薪小屋へかよふぬかるみ春隣 蘭定かず子
薪小屋には炉や風呂焚き用の薪が積まれています。薪小屋の辺りは雪解でぬかるみ、それを踏む長靴の人物が見えます。昨日今日と一度に運ぶ薪の数が少しずつ減り、ぬかるみを踏む足取りも軽やかなのでしょう。「薪小屋」「かよふ」「ぬかるみ」の意と語韻が互いに相乗効果を上げ、読者に寒冷地の春隣を実感させます。
薄氷を踏む音をまた踏みにけり 高尾 豊子
童心に帰り薄氷をまた踏む作者。しかしその行為を「音をまた踏み」と詩的に捉えました。読み手にも「シャリシャリ」という軽やかな音がなんとも快く、作者と共に春の気配を嬉しく共有できます。
ひたすらに不協和音の蜂と蜂 山田美恵子
蜂にもそれぞれ個性があるのでしょう、よく聞けば翅音もそれぞれ異なります。数匹の蜂の翅音に囲まれながら、作者はそれを不協和音と捉えました。なるほど微妙に違う翅音は相互に不和や反目を生んでいるようです。また「ひたすらに」から蜂の生きる為の懸命さが伺い知れます。
琅玕に風を呼びたる絵踏かな 髙松由利子
踏絵のキリスト像は人々に踏まれ続けて摩滅していたのでしょう。それを目にした作者の動揺を象徴するかのように、近くの竹藪で風が騒ぎ始めたのでしょう。踏絵を軸にした表現が深い思いを伝えて印象的です。
居留守つかへばパンジーのうなづけり 福盛 孝明
居留守をつかうと少々後味が悪いものでしょうが、その思いの矛先を庭先のパンジーに向けた作者です。パンジーの花の柄は人の顔のようでもあり、風に揺れるパンジーは作者に旨くだしに使われたようです。
春光や低くまつすぐ御所の塀 坂口夫佐子
京都御苑の中央に御所があり、その周りは格式高い五本の筋塀で囲われています。実際の塀はそれなりの高さがあるのですが、「低く」と捉えたのはその周りの苑の広大さの所為で、ここにこころの眼が働いています。「まつすぐ」も苑の広大無辺さを示す表現。最近季語「春光」は狭義の春の光として用いられる傾向にありますが、本来の義は麗らかな春の眺めを指すもので、この点から季語が動かない一句と言えます。
耐震工事まつただ中の卒業歌 西村 裕子
南海トラフ地震発生への対応が急がれる現在、この学校も耐震工事の最中なのでしょう。折しも今日は卒業式、校歌や卒業歌が流れる中で工事音も響いているのでしょう。卒業式の景をシビアに詠みました。
剪定の木に鳥礫星礫 大内 鉄幹
美しく剪定された木へ昼は鳥達の囀りが、夜は数多の星々が煌めき続けるのです。「礫」という語に命の輝きを象徴し、昼夜を大らかに取り込んだ一句です。
冬の月船の霧笛の上を渡り 松本 和子
高みから夜の海を眺める作者。海は冬霧に覆われ一切目視出来ないものの、船笛を耳にしたことで海を行く船を意識しています。そんな霧籠めの上を何事もないように冬の月が耿と渡る大景を描いて見せました。
野遊の自転車凹に倒しゐし 大東由美子
野辺を歩みながら其処で遊ぶ人たちの声を聞き止め、麗らかな思いとなっている作者。見ると野原の窪みにはその中の誰かが伏せた自転車もあります。そんな寸景も楽しく一層のどかな思いとなったことでしょう。
きさらぎの水しぶかする古筧 五島 節子
筧から山水が煌めきつつ勢いよく吐かれています。使い古された筧の景を切り取り、きさらぎの候の大地の恵みである水の清冽さを示しています。ふと水の恩恵を受ける清廉な暮らしぶりをも思わせる一句です。
金黒羽白浮かべる池の掌 永井 喬太
小ぶりの鴨の金黒羽白の眼は金色、雄の冠羽は長く、全体に黒色で脇は白のツートン、まるでタキシード姿のようでお洒落。飛来数は少ないですが潜りの達人。そんな金黒羽白を眩しく眺めながら、ふと池の面もこそばゆい思いをしているのではなかろうかと感じた作者です。詩ごころが「池の掌」に集約されています。
蹴られたりめくられたりし春炬燵 坂倉 一光
これは置き炬燵でしょう。余寒の日は重宝がられる春炬燵ですが、麗らかな日は鬱とおしがられて足で蹴られたり布団が捲られたり、つくづく人間は勝手です。生の表現で春炬燵のあり様を愉しく捉えています。
冤罪を晴らしやるごと桑ほどく 上林ふらと
雪国では枝の雪折れを防ぐ為に桑は縄で縛られますが、捕えられた罪人のような桑の様子に哀れを覚えていた作者。「冤罪を晴らしやるごと」の喩えにそれが窺え、解き放たれ枝々を伸ばす桑の全容が見えます。