2024.3月

 

主宰句 

 

海鼠噛むあづま男をはかりかね

 

唇を掠めし雪のゆかりかな

 

待たせゐる男霰に打たれて来

 

口ほうとひらき春呼ぶ土偶かな

 

松羽目へまろびかへりし年の豆

 

柊挿しこの家の構へなつかしき

 

きさらぎや鶏の蹴散らす砂の綺羅

 

木の根明く山霊の声ききとどめ

 

淡雪やひとりの膳の手暗がり

 

梅ひとひら付け掃き癖の寺帚

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦           

 

凍滝の無念さうなる歪みやう     山田美恵子

 

裸木の日うら日おもて緩びなし    坂口夫佐子

 

祖師像の前の百畳寒に入る      蘭定かず子

 

次の間も煌と点せる煤払       湯谷  良

 

冬あたたか靴に履き口ひとつづつ   今澤 淑子

 

枯蓮の屈しし水の朗らなり      小林 成子

 

弁財天まで茶の咲ける雨の坂     松山 直美

 

いつせいに餅花揺るる赤絨毯     五島 節子

 

なまなましきは大根の稲架辺り    福盛 孝明

 

数へ日や包丁研師膝濡らし        松井 倫子

 

冷ます息温もりし息冬至粥      上林ふらと

 

尻向けし一羽に崩れ鴨の陣      尾崎 晶子

 

煤籠掃除ロボットお前もか      鍋谷 史郎

 

切れ目なきボルシチの湯気聖夜かな  大内 鉄幹

 

頭脳線の皺くつきりと革手袋     亀元  緑

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻   

凍滝の無念さうなる歪みやう    山田美恵子

 「凍滝」を眺めると大抵まっ直ぐには凍らず凸凹拗けており、常の瀧の勢いを思わせます。掲句の凍瀧も大きく歪んでいたのでしょう。それを滝の「無念」と捉えた点が新鮮で、自ずと普段の滝に横溢するエネルギーを想像させるに十分な表現となっています。

裸木の日うら日おもて緩びなし   坂口夫佐子

 「日うら」「日おもて」と確認している点から、この「裸木」はかなりの大木なのでしょう。「緩びなし」と断定して、裸木という存在を作者は大いに納得した様子です。きっと孤高の趣を湛える一木だったと思われます。

祖師像の前の百畳寒に入る     蘭定かず子

 禅宗では達磨大師を称して「始祖」と呼びます。「祖師像」の鋭い眼光を思うと、自然と百畳の間のしんとした静寂と冷えが伝わり、作者の「寒に入る」の感慨に大いに共感を覚えます。

次の間も煌と点せる煤払      湯谷  良

 作者は昼やや薄暗い二間続きの一間の「煤払」の真っ最中でしょう。昼の電灯を点している所から、部屋の一年の汚れや埃を微塵も見逃すまいとする意気込みが感じられます。そして、これから掃除する次の間まで既に明々と灯している点に、いよいよその気負いの程が窺い知れるでしょう。

冬あたたか靴に履き口ひとつづつ.     今澤 淑子

 実に当たり前のことを詠んでいるのですが、これまで誰ひとりとして其処に詩を感じ、一句にしようとは思わなかったでしょう。してやられた一句です。つまらない鑑賞は不要とします。

枯蓮の屈しし水の朗らなり     小林 成子

 「屈しし」の印象的な表現が首をがっくり垂らす枯蓮の台やくの字に折れ曲がった茎が鮮明に映像化されています。それに相対し「朗ら」の直截的表現が辺りの陽光を照り返す水面の明るさを快く伝えています。選び抜かれた文字の用法と配列が大いに成功している一句と言えます。

弁財天まで茶の咲ける雨の坂    松山 直美

「弁財天」「茶の花」「雨の坂」の語句の融合から、作者の穏やかで満ち足りた胸中が思われます。これは計算されたものではなく、偶然が必然を呼んだような何気ない自然の景と言えます。これをすかさず詩に昇華しています。

いつせいに餅花揺るる赤絨毯    五島 節子

 「絨毯」を敷き詰めたロビーか廊の嘱目詠でしょう。扉が開く度に風が入り、美しい「餅花」を揺らします。御目出度く穏やかな新年の景を切り取りました。

なまなましきは大根の稲架辺り   福盛 孝明

 大きな稲架に大量の大根が干されています。恐らく干されて間無しの大根で、作者の眼にはその白さが余りにもリアルで、また肉感的な景として映ったようです。「なまなましい」は実感の籠った感慨でしょう。大根干しの景をこのような角度から捉えた点がなかなか斬新です。

数へ日や包丁研師膝濡らし     松井 倫子

年の瀬ともなれば「包丁研師」がやってきて、道端に坐りせっせと包丁を研いで呉れます。丁寧な仕事ぶりの人ほど砥石と包丁に少しずつ水をかけ研ぐので、自ずと膝頭も雫で濡れていきます。そんな膝を眺めている作者にも暮の寒さがじんわりと伝わって来たのでしょう。

冷ます息温もりし息冬至粥     上林ふらと

 奥さんと向き合い「冬至粥」を啜る景ではないでしょうか。一方が粥を啜る「冷ます息」を吹きかければ、一方は啜った後の「温もりし息」を吐きます。その息づかいの違いが、穏やかさを増幅してゆきます。

尻向けし一羽に崩れ鴨の陣     尾崎 晶子

 「尻向けし一羽」とは、一羽の鴨がそれまで仲間達と組んでいた陣から抜け出た様子を表しています。するとその一羽に続いて他の鴨が一羽また一羽と陣を離れだしたのです。たった一羽が背を向けたのを機に、箍が外れたようにだらしない陣となってゆく様に興を覚えた作者でしょう。これは人の世で結束が崩れ始める状況と全く違わず、その点に普遍が感じられます。

煤籠掃除ロボットお前もか     鍋谷 史郎

 「掃除ロボット」は普段使いには便利なツールですが、大事の煤払には役立ちません。恐らく部屋の隅にでも放られているのでしょう。作者はそんなロボットに「煤籠」で肩身の狭い思いの自分を重ねたのです。無論<青蛙己もペンキぬれたてか 芥川龍之介>のパロデイーの一句で、嫌味のない可笑しみを生んでいます。

切れ目なきボルシチの湯気聖夜かな  大内 鉄幹

 「ボルシチ」はウクライナやロシア、東欧諸国の伝統的料理で鮮やかな紅色をしているスープです。そのスープから立つ湯気の様子を「切れ目なき」と語り、食卓の豊かさと暖かさを伝えています。本来の「聖夜」を象徴するような一景を切り取りました。

頭脳線の皺くつきりと革手袋     亀元  緑

 「頭脳線」は掌を横切る線で、厚めの「革手袋」のその辺りにもしっかりと皺が出来るものです。一見、掲句はそれを述べたに過ぎない句のようですが、手から外されやや丸まった革手袋を鮮明に映像化している一句です。これも写生力により革手袋ならではの寸景を捉えています。