2023.8月

 

主宰句

 

形代の笹生に寄つてより流る

 

梔子のもとより雨意に聡き白

 

梅雨籠して不揃ひな皿小鉢

 

初蟬のこゑ八重雲にすぐ萎えし

 

日傘して門前蕎麦と決めゐたり

 

松籟に氷菓の匙を休めたる

 

こやりつつ鳰眺めゐる綾筵

 

手花火の輪の辺に父の来てゐたる

 

葭切も風もとどまり時知らず

 

枡酒を豊かに零し祭足袋

 

巻頭15句

     山尾玉藻推薦                   

 

鳥どちの声の和しゐる泉かな       蘭定かず子

 

豆の花きのふ睨んでけふ笑ひ       高尾 豊子

 

放生の手桶のならぶ藤の下        坂口夫佐子

 

のり弁の照りに箸入る立夏かな      五島 節子

 

鱚結ぶ背覗かれてゐるところ       湯谷  良

 

橅若葉ましらの如く峰駆くる       福持 孝明

 

ゴールデンウイーク大橋は羽根拡げ    大東由美子

 

母驚かすハワイアンブルーの氷菓     大内 鉄幹

 

梔子の一斉に咲き汚れなし        林  範昭

 

牡丹の回廊にゐて寂しむる        髙松由利子

 

ピンポンの音のする家五月くる      小林 成子

 

菖蒲葉をバケツに明日を待ちゐたり    鍋谷 史郎

 

島に大小船に大小夏来る         藤田 素子

 

子蟷螂はや気位の面がまへ        山田美恵子

 

差し潮に亀の流るる梅雨の月       今澤 淑子

 

今月の作品鑑賞 

         山尾玉藻   

鳥どちの声の和しゐる泉かな   蘭定かず子

 樹々に囲まれた「泉」は薄暗い中に存在するのでしょうが、泉の上方はとりどりの鳥達の囀で満ち満ちているようです。降り注ぐ鳥声により泉が一層澄み切って来るようにも思えます「和しゐる」に作者の満ち足りた心性が滲み出ていて魅力的な一句です。

豆の花きのふ睨んでけふ笑ひ   高尾 豊子

 豆の花は華憐ながら必ず実を結び、花言葉が「必ず来る幸せ」「約束」とされるのも納得できます。昨日含み始めたその花を「睨み」と捉え、今日開いたそれを「笑ひ」と捉えた点に、毎日童の顔のような愛らしい豆の花を慈しみ楽しむ作者が知れるでしょう。

放生の手桶のならぶ藤の下    坂口夫佐子

「藤」の花が咲き満ちる下に「手桶」が並べられ、魚の放生会の準備が整ったようです。手桶に満たされた水が藤の花の優雅な色に染まり、その中を動き回る魚影も殊の外美しかったことでしょう。

のり弁の照りに箸入る立夏かな  五島 節子

 白飯の上に海苔を乗せた弁当が「のり弁」、コンビニや弁当チェーン店の定番商品です。「照り」より光沢ある良質の海苔が想像され、ひと箸入れられた瞬間にパリッと快い音を立て、芳香が漂ったことでしょう。こんな些細な景にも「立夏」らしい明るさがあります。

鱚結ぶ背覗かれてゐるところ   湯谷  良

 松葉下ろしに切った「鱚」を松葉結びにし、それを具にした吸い物はなかなか上品な味わいで、よく祝い膳に並べられます。掲句から、慣れた手つきで鱚を結ぶ人物と、その背後から興味津々でそれを覗き込む人物二人が浮かんできます。どのような場所なのか、二人の関りはと、色々と思いめぐらせ、淡白な詠みながら読む楽しみの多い一句です。

橅若葉ましらの如く峰駆くる   福盛 孝明

 「橅」は結構標高の高い山地にも分布します。作者の眺める山並みも橅の若葉に覆われているのでしょう。遠目にはそれがまるで「ましら」が駆け抜ける勢いで広がっているように感じたのです。この独創的比喩より、橅の若葉する力の凄さに驚く作者が伝わります。

ゴールデンウイーク大橋は羽根拡げ 大東由美子

 ふと明石海峡を跨ぐ明石大橋を思いました。誠に大きな羽を拡げた形態で、煌めきながら本土と淡路島を繋いでいます。なるほど「ゴールデンウイーク」の主役のような存在です。

母驚かすハワイアンブルーの氷菓 大内 鉄幹

 母上への土産に「氷菓」を携えてきた作者ですが、それは「ハワイアンブルー」色のもの。トルコ石のブルー以上に強烈な鮮やかな色合いです。老齢の母上の戸惑いが手に取るように見える微笑ましい一句です。

梔子の一斉に咲き汚れなし    林  範昭 

「梔子」は雪白色ですがすがしく、一斉に咲き始めると辺りに清浄さが漂います。誠に「汚れなし」なのですが、この措辞は逆に雨や日に弱くすぐに錆色に汚れる花であることを語っているようでもあります。

牡丹の回廊にゐて寂しむる    髙松由利子

 両側に「牡丹」が咲き満ちる寺院の「回廊」に佇み、その美しさに暫く見とれていた作者。しかし牡丹の余りの絢爛とした咲きぶりに負け始めたのか、身の内に寂しさを感じ出したのです。思いがけない「寂しむる」の感応には、人としての実感が籠っているようです。

ピンポンの音のする家五月くる  小林 成子

 屋内からか庭先からか、「ピンポン」をする音が軽やかに聞こえます。それもかなりの腕前で、途切れることなく快く響いていたのでしょう。そんな爽快さが「五月来る」の意識に繋がったのでしょう。

菖蒲葉をバケツに明日を待ちゐたり 鍋谷 史郎

 前日から水を張った「バケツ」に「葉菖蒲」を漬け明日の端午に備えているのです。「明日を待ちゐたり」の何気ない措辞から、佳き風習を欠かさぬ人柄と暮らしぶりが窺い知れる佳き一景です。

島に大小船に大小夏来る     藤田 素子

 作者は高みから瀬戸内を眺めているのでしょうか。点在する「島」々もその間を縫うように過ぎる「船」々もとりどりです。そんな明るい景を遥かにして「夏来る」と何やらときめきを覚えている作者です。

子蟷螂はや気位の面がまへ    山田美恵子

 螳螂の顔は逆三角形で目が大きく、どことなく品位を誇っているようです。「子螳螂」とて変わりはありません。その風貌を「気位の面がめへ」と捉えてなかなか的確です。

差し潮に亀の流るる梅雨の月   今澤 淑子

 梅雨最中、大量の雨が降った後でしょうか、「差し潮」の勢いにも負けて「亀」が流されています。亀の哀れさが「梅雨の月」明りの下に描かれています。