2023.2月

 

主宰句 

 

切岸の赫くつつ立ち猟期来る

 

杜夫魚(かくぶつ)の川にそひ行く折見舞

 

灯に体当りつやつやの冬の蠅

 

冬りんごとジャポニカ帳を抱へきし

 

松風のしぐれ遍路の早発ちに

 

暮が来るキャリーバッグに引き摺られ

 

葉付き柚もありて長湯す冬至風呂

 

外は雪ローストビーフ厚く切れ

 

たがふなく年の空あり浮寝鳥

 

大年の厨におはす湯気の神

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                

 

蠟燭の穂の曼荼羅に年移る       五島 節子

 

太古とも未来とも今澄める空      山田美恵子

 

山々の鎧ひはじめし懸大根       蘭定かず子

 

幌とつて青き匂ひの今年藁       坂口夫佐子

 

とろろ擂る父に総出の厨かな      尾崎 晶子

 

谷町の十夜帰りの紙袋         小林 成子

 

遠き喪へ色そこはかと葉鶏頭      今澤 淑子

 

コンクリを桜紅葉の流れけり      松井 倫子

 

あかがねの月にふためく冬鴉      西村 節子

 

山茶花の薄紅色を午後の雨       上林ふらと

 

月蝕に始めと終はりある秋思      高尾 豊子

 

梟やナンバープレート無き四駆     根本ひろ子

 

初冬やタワーマンション空にあり    小野 勝弘

 

よくよく見たる侘助のおぼこ振り    するきいつこ

 

すれ違ふ雪の匂ひの松葉杖       大内 鉄幹

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻            

蠟燭の穂の曼荼羅に年移る     五島 節子

 「蝋燭」の炎をよく見ると、外炎、内炎、炎心と色が異なっており明るさも違います。それを「曼荼羅」と捉えた点、そして「年移る」と結んだ点に、作者の心理的内面が見て取れるでしょう。見つめる蝋燭の穂の明暗が、今年一年の明となり暗となって心を過るのです。

太古とも未来とも今澄める空    山田美恵子

大きなスパンで眼前に広がる景や事象をじっくりと捉えると、こんなにも深い真実が見えてくるものかと感じ入った句です。その上、「太古とも未来とも見え」とつい表現しそうな所を、「今」と直截に表現して一句にこの上ない張りとパワーを生みました。何にせよ凄い一句です。

山々の鎧ひはじめし掛大根     蘭定かず子

 句会の席上、「山が鎧ふ」がどうも不明だとの意見がありました。しかし私は、それは山の樹々が紅葉を振るい落とし無機質な枯色を湛え始める頃の様子と解し、「山眠る」までの景を指す作者独自の感覚表現と見ました。手前に存在する白い「掛大根」との対比が巧みで、微妙な感覚を生かした奥行きある一句を成したと確信しています。

幌とつて青き匂ひの今年藁     坂口夫佐子

 「幌」とあるのでトラックに積んであった「今年藁」なのでしょうか。幌が除かれた途端、新藁らしい香が匂い立ったのです。それを「青き匂ひ」が的確に伝えています。

とろろ擂る父に総出の厨かな    尾崎 晶子

 作者の父上は「とろろ」には少々うるさい方なのでしょう。あれこれ材料を揃えて出汁をとり、山芋を擂るにも苦情が多く、家族全員が「厨」に駆り出されるのでしょう。父上を中心にした厨の賑やかな様子が見て取れます。

私の亡くなった主人もとろろ汁だけは人任せにできない人でした。

谷町の十夜帰りの紙袋       小林 成子

 大阪中央区谷町には寺院が多く、また「十夜」は浄土宗の秋の法要で三日間の昼夜に修する念仏法要です。法要の帰り、寺院からの返礼品が入っているのでしょうか。「紙袋」と結んだ点に、たとえ紙袋と言えども決して疎かには出来ないという敬虔な信仰心が伺えるでしょう。

遠き喪へ色そこはかと葉鶏頭    今澤 淑子

 それほど身近な人の死ではなかったとしても、やはり亡くなった人への思いが胸中を過るものです。この「葉鶏頭」は際やかな色のものではなく、薄いオレンジ色を湛えているのでしょうか。「そこはかと」に作者の心性を思います。

  コンクリを桜紅葉の流れけり    松井 倫子

誰もが見逃している何気ない景を捉えて一句にするのは作句の醍醐味ですが、掲句はそれを伝える一句と言えます。鑑賞は不要でしょうが、「コンクリ」の敷き詰められた街中で目を引く美しい「桜紅葉」ならではの一句であり、「流れけり」の意外な措辞で実を捉え、この点が一句の要であるのは明らかです。

 

あかがねの月にふためく冬鴉    西村 節子

冬の月は赤黒く、また引き締まって見えるのは、冷え切った大気やそれに震える人の心理が大きく働く所為でしょう。夜間騒ぐ「冬鴉」を捉えつつ、「あかがねの月」に穏やかな胸中ではなかったのは、実は作者自身だったようです。

山茶花の薄紅色を午後の雨     上林ふらと

 白や紅の「山茶花」は人の目を引き付けますが、「薄紅色」のそれは少し寂しさが漂う雰囲気でもあります。しかし、日中の「雨」に急に艶が生じ、その薄紅色を今更ながら愛する作者です。「午後の雨」が静けさを語っています。

月蝕に始めと終はりある秋思    高尾 豊子

 昨年十一月の皆既月蝕は欠け始めから元の満月に戻るまでに三時間半ほどかかり、顛末を見届けるにはかなりの時間を要しました。その間、外へ出たり家に入ったりして大騒ぎする人間に比べ、今更ながら大宇宙の神秘を思ったものでした。「春愁」と比べると「秋思」にはどこか乾いた感があり、そのイメージを巧みに捉えました。

梟やナンバープレート無き四駆   根本ひろ子

現実に「ナンバープレート」の無い「四駆」は運転など出来ません。「梟」と取り合わせた作者の胸中を慮ると、この四駆は作者の近しい方が遺された愛車だったのかも知れません。梟の鳴き声が侘しさを募らせます。

初冬やタワーマンション空にあり  小野 勝弘

 最近の「タワーマンション」は限りを知らないほどの超高層です。冬の到来を実感するその日、寒空へ伸びるそれを眺めたストレートな実感が「空にあり」なのです。

 

よくよく見たる侘助のおぼこ振り するきいつこ

 椿の一種「侘助」は花弁が少ない小ぶりの花で開き切らず筒形に咲く地味なもので、お茶花に好まれます。「おぼこ振り」とは、穢れを知らぬような白い花弁に薄紅の紗が少し入ったものだったのでしょうか。

すれ違ふ雪の匂ひの松葉杖     大内 鉄幹

辺りは今にも雪が降りだしそうな雪暗だったのでしょう。「雪の匂ひ」とは、「松葉杖」とすれ違った瞬間に雪の気配を強く実感したことを婉曲に述べたもの。松葉杖が作者に負の思いをもたらし、雪国に住む作者に生じたこれからの積雪に対するちょっとした覚悟のようなものを感じました。