2022.3月
主宰句
松明の日射しの押せる磯馴松
月明に流れ始めし枯浮巣
寒紅のひとり芝居に椅子ひとつ
寒椿まで五歩ほどのしづごころ
一休寺を尋ぬるところ梅暦
魚の氷にのぼり神々呼びます炎
きさらぎの水渡りくる越天楽
水仙叢さかしく人を払ひゐし
あたたかくベビーシューズが落ちてゐる
蛇穴を出づ筆筒に筆やつれ
巻頭15句
山尾玉藻推薦
あと一人来ない駅頭クリスマス 蘭定かず子
枯木立無線の声の割れてをり 坂口夫佐子
雪積んで辺りやさしき凸と凹 山田美恵子
雪やんで夜空ととのふジャンプ台 大内 鉄幹
龍吐水に日差し絡まる懐手 今澤 淑子
冬籠遠くは見えぬ老眼鏡 湯谷 良
食パンに山と角あり開戦日 小林 成子
冬枯や澱み分けゐる太鼓橋 髙松由利子
風花の一陣は松躱しけり 上林ふらと
煤逃の帽子をとりに戻りけり 成光 茂
おほかたは四角く冬の灯さるる 大東由美子
停留所ごとにコンビニ年つまる 藤田 素子
月光や枯草の香をおしとどめ 五島 節子
鯛焼を家族の数ともうひとつ 窪田精一郎
冬ざれや瀞場へ舟が舟を曳き 上林ふらと
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
あと一人来ない駅頭クリスマス 蘭定かず子
昔、JR東海のCMに流れていた山下達郎の「クリスマス・イブ」の切ないフレーズ「君はきっと来ない」をふと思い出しました。しかし原句は「あと一人」なので、数人で待ち合わせをしている景でしょう。こころ踊る聖夜の駅頭の賑わいが思われるだけに、遅刻の人を気遣う作者の胸中がよく伝わってきます。
枯木立無線の声の割れてをり 坂口夫佐子
「無線の声」とはトランシーバーの声なのでしょうか。「声の割れてをり」から察するに、その声は比較的大きいもので、ひっくり返ったり掠れたりし、耳障りの悪いものだったに違いありません。それまで「枯木立」の木洩れ日をゆっくりと楽しんでいた作者にとって、迷惑この上ない声だったようです。
雪積んで辺りやさしき凸と凹 山田美恵子
最近阪神間ではめったに積雪しませんが、珍しく辺りが雪景色となった日の感慨でしょう。「凸と凹」から、地形やものの形が判別できるほどの積雪で、「やさしき」にも珍しく降った雪を楽しんでいる境地が顕著です。雪に生活を脅かされる雪国の人の詠みではなく、明らかに都会人が非日常の雪に抱くロマンから成った一句です。片山由美子氏の<まだもののかたちに雪の積もりけり>
も、同様の眼差しで詠まれたものでしょいう。
雪やんで夜空ととのふジャンプ台 大内 鉄幹
北海道旅行で札幌のスキージャンプ台を仰ぎ、その恐るべき高さに肝を潰したことがあります。「雪やんで夜空ととのふ」と、群青いろを極めつくした静寂の夜空を描くことで、その空へ聳え立つジャンプ台の高さと迫力を十二分に伝えています。他力本願的な巧みな叙法にこころ惹かれます。
龍吐水に日差し絡まる懐手 今澤 淑子
「龍吐水」とは寺社などの手水舎で龍の形をしている蛇口から出る水のこと。「日差し絡まる」とは、龍の口が吐くやや捩れた水に日がきらきらと輝いている景なのでしょう。その景と、思い切り飛ばした季語「懐手」との取り合わせに、この句の手柄があります。結果、龍吐水と日差しが綾なすこまやかな景が、何ごとも面倒くさそうに突っ立つ人物をこの上なく強調することとなりました。
冬籠遠くは見えぬ老眼鏡 湯谷 良
「遠くは見えぬ老眼鏡」は当然の事です。しかし、作者は敢えてこう述べて、「冬籠」とはいえ老眼鏡を外さねばならぬ用もしばしばあり、結構ややこしいことだと愚痴をこぼしているのです。愚痴俳句は賛成できませんが、そこをうまく躱し諧謔味を含んだ句となっています。
食パンに山と角あり開戦日 小林 成子
「開戦日」からパールハーバーをふと思いましたが、それが「食パンに山と角あり」にどう繋がるのかを説明すると、忽ちポエムが失せてしまいそうです。直感で納得させるのが俳句、理を持ち込まないのが俳句です。
冬枯や澱み分けゐる太鼓橋 髙松由利子
寒々しい枯一色の神苑での嘱目詠。一切が枯れる中、盛り上がるような太鼓橋の存在だけが際立ち、それが池の澱みを一層強く印象付けています。もしこの太鼓橋が木や石のもので沈んだ色のものだったら、「澱み分けゐる」と写生はしません。読み手はこの写生により、自ずと鮮明な朱色の太鼓橋を思うでしょう。これが写生の力です。
風花の一陣は松躱しけり 上林ふらと
「風花」をじっと眺めていると風の様子がよく見えてきます。松の木にもろにぶつかって乱れる風も見えれば、松の手前で上手く向きを変える風も見えたのでしょう。「松躱しけり」は風花という対象をじっと見詰めていたからこそ得られた発見です。同時発表句<冬ざれや瀞場へ舟が舟を曳き>も印象に残りました。深淵の深くて寂とした藍色の世界を、小さな舟が舟を牽引して横切って行く景は、なんとも寒々しい限りで、「冬ざれ」を実感させる見事な切り取りと言えます。これも写生の力です。
煤逃の帽子をとりに戻りけり 成光 茂
上手く「煤逃」が出来たというのに、間の抜けた話です。俳句は基本一人称ですので、無論この人物は作者自身でしょう。茂さんが再び巧みに家を抜け出られたかどうか、甚だ疑わしいことです。ほどよい諧謔味が好もしいです。
おほかたは四角く冬の灯さるる 大東由美子
家々の窓、オフィスビルの窓、マンションの窓、列車や車の窓など、大方は「四角」。日暮の早い冬、それらの窓は競うように「四角く」灯り始めます。楽しい感覚句。
停留所ごとにコンビニ年つまる 藤田 素子
この「停留所」はバス停でしょう。言われてみればバス停毎に、ローソン、セブンイレブン、ファミリーマートと次々眼に止まります。コンビニが「年つまる」の思いを強くするとは、いかにも現代ならではの感覚です。
月光や枯草の香をおしとどめ 五島 節子
寒夜、余りにも明るい月光が一面の「枯草」を照らし上げる景。そこから生まれた感覚に独自性があり、それをズバッと言い切った心憎い一句で説得力も十分です。
鯛焼を家族の数ともうひとつ 窪田精一郎
この「もうひとつ」には何か目的があるのでしょう。お供え用でしょうか、愛犬に分け与える為でしょうか、それとも自身の為のもうひとつでしょうか。「鯛焼」ごときにいろいろと想像が膨らむ愉快な一句です。