2022.12月

 

主宰句 

 

をみな子のぬばたまの髪十三夜

 

籠うちは雑茸ばかりそれはそれ

 

薬園の日向にうかと秋の蛇

 

ねんごろに木通の種を吐く眉根

 

帚木のおもはゆさうに紅葉ぢ初む

 

山音に応へまほそと咲く芒

 

豆筵ざつと畳まる西明り

 

氷頭膾出されいよいよ伏し目がち

 

みてぐらの巌のあたりしぐれしか

 

はや冬ざるる黄檗の聯と額

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                

 

賤ヶ岳の何処あてどに秋の蜂      山田美恵子

 

ひまはりの頭の焦げくさき九月かな   蘭定かず子

 

閉ぢられし象舎の掲示穴まどひ     湯谷  良

 

水音に反る蓑虫の葉一枚        坂口夫佐子

 

上町の入り日見とどく西鶴忌      西村 節子

 

学園祭のなごりの色の烏瓜       小林 成子

 

蔓引きの蔓も草もと燻べをり      高尾 豊子

 

手つかずに古りし老酒蚯蚓鳴く     奥田 順子

 

秋彼岸流れに耐ふる藻の一途      松井 倫子

 

ビニールの鷹くつがへる鳥威      福盛 孝明

 

狐火や墓仕舞せしあとの闇       白数 康弘

 

漁火の銀河の裾にあつまり来      上林ふらと

 

柚坊や夜つぴて天地さかしまに     今澤 淑子

 

だんじりのこゑくぐり来し新豆腐    するきいつこ

 

碑のかたむきに垂れ秋の蛇       根本ひろ子

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻           

賤ヶ岳の何処あてどに秋の蜂     山田美恵子

 「賤ヶ岳」は羽柴秀吉と柴田勝家の戦の地と知られていますが、作者はそこで弱弱しく飛ぶ「秋の蜂」に出会ったのでしょう。それが戦に敗れた哀れな傭兵のように思え、「何処あてどに」との思いが自ずと生まれたのでしょう。

ひまはりの頭の焦げくさき九月かな  蘭定かず子

 「九月」は暑さと涼しさが中途半端な時節で、どっちつかずの季節感があります。一見元気な「ひまはり」も、やや首を垂れ始め、陽光を浴び続け花も錆色を兆しています。それを感覚的に「頭の焦げくさき」と捉えた点に注目しました。

閉ぢられし象舎の掲示穴まどひ    湯谷  良

 象が亡くなった事を報じる掲示板でしょうか、象舎の前のやたら広い味気ないコンクリートの地が見えてきます。実際に作者がそこに「穴まどひ」を見たとは限らず、もし穴惑がこんな所に行き着いたら困惑するに違いないと想像しているのです。こんな風に想像を大きく膨らませるのが俳人の俳人たる所以です。

水音に反る蓑虫の葉一枚       坂口夫佐子

 「蓑虫」が「葉一枚」とは未だ葉を十分に着込んでおらず、生身が露出しているのでしょう。反っているのも自ずと身を縮めている様子なのでしょうが、作者には近くの「水音」を嫌っているように感じられたのです。客観的な眼差しにこころの動きを重ねた真の写生句と言えます。

上町の入り日見とどく西鶴忌    西村 節子

 大阪上町の生國魂神社に正座姿の井原西鶴像があります。西鶴さんは重ねた両手を左膝に置き少し身を乗り出す気配を漂わせる粋な姿で、凡そ西南西の方を見ています。それを思い出し「上町の入り日見とどく」に大いに納得しました。

学園祭のなごりの色の烏瓜     小林 成子

 山辺のキャンパスで賑わった「学園祭」も過ぎ、常を取り戻した学園の藪に、「烏瓜」が赤々と垂れていたのでしょう。作者はその色にふと賑わった学園祭を思い出しているのです。「なごりの色の」に作者の心情が投影されています。

蔓引きの蔓も草もと燻べをり    高尾 豊子

 瓜類や豆類の枯れ蔓を引く「蔓引き」の作業は、蔓だけではなく蔓が巻きついた辺りの雑草も手繰ることとなります。中には青々とした草もあり、それらを一緒に燃せば当然炎は立たず煙るばかりです。しかしそんなことはお構いなし、次々と枯れ蔓も草もごったにくすぶらせるばかりです。

手つかずに古りし老酒蚯蚓鳴く   奥田 順子

 作者は「老酒」は苦手の様子です。「老酒」は賞味期限はおよそ三年、その後はどんどん劣化してゆくようです。「蚯蚓」はそれを伝えようと鳴いているのでしょうか。空想力をくすぐる季語「蚯蚓鳴く」が場所を得ています。

秋彼岸流れに耐ふる藻の一途    松井 倫子

 青々とした「藻」が水に引っ張られながらも、流されまいと耐えているのです。そんな中でさえ藻は懸命に美しい流線を描いていたことでしょうが、その様子を「一途」と捉えた点に大いに共感します。「秋彼岸」の穏やかな境地であったからこそ、こん風に藻へこころを寄せられたのでしょう。

ビニールの鷹くつがへる鳥威    福盛 孝明

 稲が稔る頃に誰もが目にする景ですが、作者はそこに興味を抱きました。本来勇猛な筈の「鷹」がお粗末な「ビニール」製で、しかもがさがさと情けない音を立てて風に返されているのです。「鷹」の一語で可笑しみを湛えた句になりました。

狐火や墓仕舞せしあとの闇     白数 康弘

 「墓仕舞」をする立場の者は、意を決するまで色々と悩むものです。そしてそれを成し終えて肩の荷を下ろしたつもりであっても、どこか悔やまれる思いがのこるものです。掲句、「狐火」への意識がそれを明らかに語っています。この場合「狐火」にはべた即きの良さがあると言えます。

漁火の銀河の裾にあつまり来    上林ふらと

 都会でははっきり目視出来ない「銀河」ですが、舞鶴在住の作者の作なら気を衒うことのない全くの嘱目詠でしょう。一見、「漁火」と「銀河」との二物を融合させた空想の絵画のようですが、これは紛れもない現実であり、真実であり、読み手が眼を見張るような壮大な世界を見せてくれる一句です。

柚坊や夜つぴて天地逆しまに    今澤 淑子

 本来揚羽の幼虫は柚や枳殻の葉を食する害虫ですが、我々は「柚坊」と称してどこか憎めない対象です。掲句の柚坊は一晩中葉に逆さまになって潜んでいたのでしょう。「天地さかしまに」の大袈裟な表現にも憐憫の情が感じられます。

だんじりのこゑくぐり来し新豆腐  するきいつこ

 「新豆腐」を買い求めた作者は、偶然秋祭の「だんじり」に出会い、だんじりの屋根から降る威勢の良い声を見上げたのでしょう。「新豆腐」を食べ乍らその声を思い出しています。

碑のかたむきに垂れ秋の蛇     根本ひろ子

 傾いている「碑」は忘れ去られたような古びたものでしょう。そこに長々と垂れ下がった「秋の蛇」も侘しさを漂わせていたことでしょう。「穴惑」ではなく「秋の蛇」の一句です