2021.9月

 

主宰句

 

簾して昔よくよく見えて来し

 

深井戸へ声落しあふ夏休み

 

けふも暑しと横向ける魚拓かな

 

傾いて揺るるを知らず水中花

 

路灼けて華のやうなる鳥の糞

 

打敷のま白ことさら盆の雨

 

茄子の馬嫌はれ爺も乗せて来よ

 

石棺をのぼり始めし秋の蟻

 

八朔の土蔵のうしろ姿かな

 

水の辺に山眺め来て扇置く

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦              

 

形代の目許のほのと見えてきし     蘭定かず子

 

でで虫の雨三昧の腿あらは       湯谷  良

 

梅雨蝶の風にあらがひ来るところ    山田美恵子

 

蟬骸避けたる杖に倣ひけり       藤田 素子

 

南瓜の割られあけぼの色にほふ     今澤 淑子

 

園丁が昼へ蹴つたる梅雨茸       根本ひろ子

 

打水に朝の影の流れけり        坂口夫佐子

 

はんざきの隠るる体の頭が二つ     西村 節子

 

白鷺の一羽過りし夜の甍        小林 成子

 

水口をいらうて来たる夏祓       大東由美子

 

芒原風やんで人拒みをり        白数 康弘

 

大瑠璃の声確かむる眉間かな      松山 直美

 

法螺貝の音の押し上ぐる雲の峰     五島 節子

 

梅ジャムに尖り消えきし日数かな    井上 淳子

 

水鉄砲スカートの子のすばしこし    尾崎 晶子

 

今月の作品鑑賞

     山尾玉藻 

形代の目許のほのと見えてきし   蘭定かず子

 真っ白の「形代」に自分の名前と年齢を書き、それで我が身を撫でて災いを形代に移す内に、自ずと形代が自分の分身のように思えてくるものです。「目許のほのと見えてきし」とは、そんな自愛の思いを具体的に述べたものです。

でで虫の雨三昧の腿あらは     湯谷  良

 「三昧」とは一心不乱に事をするさまを言い、言うならば我々は「俳三昧」の道を辿っていると言えるでしょう。掲句、「でで虫」にも三昧の境地があり、それを「雨三昧」と言い切った才知と、殻から出して這う肉叢を「腿」と言い切る観察力に、思わず膝を打ちました。

梅雨蝶の風にあらがひ来るところ  山田美恵子

 長雨の晴間を待ちかねていたように、「梅雨蝶」が作者の方へ舞って来ます。少々の風など物ともせず嬉々としたその様子に、作者にも当然ある梅雨の晴間の嬉しさが重なり、いよいよこころが弾んだことでしょう。

蟬骸避けたる杖に倣ひけり     藤田 素子

 作者の前を行く「杖」の人が地に転がった「蟬骸」をゆっくり避けて過ぎたのでしょう。その景に誘われるように作者も蟬骸を除けて歩いたのです。人は第三者が何気なくした行為にこころが動かされる時があり、その点でちょっとした不偏性ある一句と言えるでしょう。

南瓜の割られあけぼの色にほふ   今澤 淑子

 「南瓜」に刃を当て力一杯切る様子を詠む句が多い中、掲句はそれが真っ二つに切られた瞬間を見事な写生力で詠じています。「あけぼの色にほふ」と、南瓜の切断面の鮮やかな色に加え、その肉のむっとするような匂いをも詠み上げた見事な一句です。

園丁が昼へ蹴つたる梅雨茸     根本ひろ子

「園丁」が植え込みの中に「梅雨茸」を見つけ、それを日あたる場所へ蹴っ飛ばした一瞬です。「昼へ蹴つたる」の思い切った表現で、日だまりで露わとなった梅雨茸の哀れさを強調しました。

打水に朝の影の流れけり      坂口夫佐子

 朝の「打水」に忽ち鮮やかとなった庭木や草花の影が、打たれた水が流れ出すと共にゆっくりと滲み始めたのでしょう。そんな涼やかな景を逃がすことなく「朝の影の流れけり」と捉えた観察眼が素敵です。

はんざきの隠るる体の頭が二つ   西村 節子

 日中はめったに姿を見せない「はんざき」は、そのユニークな体躯に反し非常にナイーブな生き物です。そんな二匹が頭だけを出して岩陰に潜んでいたのでしょう。「隠るる体の」に可笑し味があり、はんざきに対する作者の慈しみの視線を感じます。

白鷺の一羽過りし夜の甍      小林 成子

夕べ遅くなるまで水辺で辛抱強く餌となる小魚を狙っていた「白鷺」でしょうか、漸く空腹を満たして塒へと帰って行くのでしょう。漆黒の闇を白鷺が水平に過る一瞬は、作者にとって思いがけない出来事であったに違いなく、この景は作者の眼裏にいつまでも焼き付いたと思われます。

水口をいらうて来たる夏祓     大東由美子

 「水口」を塞いでいる石は「加減石」と呼ばれ、折々この石を動かして稲田の水加減を調節をするのです。掲句の人物も「夏祓」に出かける前に加減石を弄り、安堵しつつ茅の輪を潜ったことでしょう。

芒原風やんで人拒みをり      白数 康弘

それまで吹いていた風が止み、今は「芒原」一帯に静寂さが戻ったのでしょう。所が、余りにも静か過ぎる芒原には何かが潜んでいるようで、人はた易く分け入るのを躊躇してしまいます。掲句、その心理描写をシフトチェンジして芒原自体が「人拒みをり」なのだと捉えました。その点に独自性があり、説得力もあります。

大瑠璃の声確かむる眉間かな    松山 直美

 美しい瑠璃色の「大瑠璃」は鳴き声も高く澄んで美しく、森の囀りの名手とも言われます。それを一瞬聞き止めた人物が、確かに大瑠璃の囀りであったかどうか、再度声を聞こうと聞き耳を立てているのです。その様子を描くのに「眉間」に焦点を当てた点がなかなかユニークです。懸命に集中する眉間はきりっと張り詰め、作者にはまるでレーダーのように感じられたことでしょう。

法螺貝の音の押し上ぐる雲の峰   五島 節子

 私は常々「法螺貝の音」を重々しいエネルギーを蔵する拳のようだと感じていました。無論、鉄拳ではありません。掲句に出会い、私のこの感覚は正しかったと自信を深めました。法螺貝の音は間違いなく「雲の峰」をぐんぐん育てる音なのです。

水鉄砲スカートの子のすばしこし  尾崎 晶子

 「水鉄砲」遊びの子供たちの中に女の子がいたのでしょう。「スカート」を翻しながら水の攻撃を素早くかわす女の子に、ただただ瞠目する作者です。