2020.12月
主宰句
疫神の遠目とならむ水の秋
出でなさる菊の主の役者顔
こころして山粧へば我もまた
山々は頂尽くす下り鮎
蓑虫の揺れに諭されゐるやうな
鬼の子の路銀あらずと揺れゐたり
カナリアの機嫌よろしき冬支度
小春日の吾が古漬を噛める音
マスクして才気いよいよなる女
梟の森へひろげてある金屏
巻頭15句
山尾玉藻推薦
皺ぐせの眉間へまたも地虫鳴く 山田美恵子
檸檬の香とばし始まる新学期 小林 成子
次の間もすとんと落とす秋簾 湯谷 良
こふ鶴のとほく降り立つ秋起し 蘭定かず子
星近き坊の膳なる衣被 西村 節子
秋澄むや古文書を繰る白手袋 坂口夫佐子
かたむけて半切すすぐ十三夜 今澤 淑子
朱の橋の先の地獄絵虫しぐれ 小畠 純子
縁側に机押し出す子規忌かな 山路 一夢
竹林の日の斑に入りぬ秋遍路 松山 直美
常識の常識ならず鵙の贄 藤田 素子
蕎麦咲くや風のおきゆく風の中 井上 淳子
唇に麻酔いまなほとろろ汁 林 範昭
いなつるび生乾きなる洗ひ髪 大谷美根子
かなかなの遥かに鳴けるやう鳴ける 成光 茂
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
皺ぐせの眉間へまたも地虫鳴く 山田美恵子
近頃眉間の皺が気がかりな作者だが、また眉間に皺を寄せている自分にふと気づいたのだ。恐らく先程から聞こえる「地虫」の声にそれを気づかされたのだろう。秋の夜、土の中から何とも知れぬジーと言う虫らしき鳴き声に耳を傾ける時、人はふと自分という存在に気付くのかも知れない。春の季語「亀鳴く」や「蚯蚓鳴く」と同様の趣向とは言え、「地虫鳴く」は不思議な静寂さを募らせる季語である。
檸檬の香とばし始まる新学期 小林 成子
コロナ禍で今年の夏休みは二週間ほど、子供たちにとって中途半端な休暇であったことだろう。それでも「新学期」はやってくる。掲句、食卓の「檸檬」がギュッと絞られ特有の芳香が漂った瞬間、家族全員のスイッチが二学期の始まりへ切り替えられたような一景である。この場合、他の秋の柑橘類では句意が立ち上がらず、あの酸っぱさで身の芯が引き締まるような檸檬でなければならないだろう。
次の間もすとんと落とす秋簾 湯谷 良
秋の日差しは結構強く、辺りに秋を感じるようになっても簾の出番は意外と多い。そんな日、作者が巻かれていた「秋簾」を解くと、隣室の人物も同じように簾を解いた。「すとん」のオノマトペに簾なりの重量感が感じられ、間を空けて鳴ったその音につい耳を傾けさせる一句である。
こふ鶴のとほく降り立つ秋起し 蘭定かず子
秋の収穫後、畑土を耕して蒔いておいた新藁を土に交じりやすくする作業が「秋耕」。明るい秋日の中の「秋耕」の景にはある種のゆとり感がある。遥かな田畑に降り立った「こふ鶴」の添景が、一層その雰囲気をたかめている。
星近き坊の膳なる衣被 西村 節子
宿坊で出された膳の「衣被」には、日頃食する衣被に感じない何かがある。仏に帰依し仕える僧侶の手になったものと意識するからだろう。その意識が山高き坊に宿るのだという敬虔な思いに繋がり、その切実さを「星近き」に籠めている。
秋澄むや古文書を繰る白手袋 坂口夫佐子
取り出された「古文書」を「白手袋」が慎重にめくり、辺りの空気にピリッとしたものが走る。作者にもその緊張感が伝わり、少し張り詰めた思いから自ずと「秋澄む」を感受したのだろう。
かたむけて半切すすぐ十三夜 今澤 淑子
大きなサイズの半切りはシンク内で斜めにして洗わねばならないが、掲句は無論そんな些事を述べているのではない。半切りをゆっくりと水洗いする時に立つ、檜や杉などの芳香を伝えているのだ。「述べずして述べる」は俳句の本道であり、更に「十三夜」のひんやりとした空気感がその情趣を一層深いものにしている。
朱の橋の先の地獄絵虫しぐれ 小畠 純子
遠くに見える「朱の橋」を渡れば「地獄絵」を蔵する寺院があるのだろう。闇に浮かぶ朱色の橋が「虫しぐれ」によって際立ち、その奥の闇の深さを一段と増幅させる。
縁側に机押し出す子規忌かな 山路 一夢
根岸の子規庵には今も愛用の文机があり、それは立膝をしなければ座れなかった子規の為に片膝分が切り取られてある。今日は子規の忌日、作者も文机を縁に押し出してちょっとした子規気分である。飾らぬ詠みぶりに好感を抱く。
竹林の日の斑に入りぬ秋遍路 松山 直美
秋、琅玕いろを湛える竹林は誠に美しく、揺れる竹の隙から日の斑が零れ散る景は印象深い。まして、白装束の遍路がその中へ分け入る景には、作者ならずと強くこころ惹かれる。
常識の常識ならず鵙の贄 藤田 素子
コロナの所為でこれまでの生活が一変、これまでの常識では生活できなくなった事が多々ある。しかしこの現状を詠んだところで詩に繋がる訳ではなく、掲句の「常識」とは人が持っている一般的な知識のことを指す。常識は個々によって、年代によって、差異があるもの。にも関わらず人は自己の尺度で世の中を判断する。思えば常識とは厄介なものだ。「鵙の贄」は鵙が生き抜くための行為だとするのは人間の知識、で、鵙は自分の贄を放置したまま忘れてしまうという。人の世でいう常識とは、何に対してつじつまが合い、何に比してより正しいか、「鵙の贄」でそんなことを考えさせられた。
蕎麦咲くや風のおきゆく風の中 井上 淳子
蕎麦の花が一面に広がる景は、どこか懐かしく温かな気持ちにさせる。それまでやや強い風で激しく揺れていた白い花々だったが、今もまだゆっくりと揺れている様子である。「風の置きゆく風」の措辞がとても穏やかで、楚々とした蕎麦の花の咲きぶりに非常に適っている。
唇に麻酔いまなほとろろ汁 林 範昭
手術で「麻酔」を経験した作者は、今なお「唇」にその残存感を覚えるのであろうか。そうではなくとも、本来麻酔というものに疑念を抱いているのかも知れない。「とろろ汁」はそんなもやもや感を一層募らせるだろう。
いなつるび生乾きなる洗ひ髪 大谷美根子
「洗ひ髪」には艶やかでしっとりとした趣があるものだが、「いなつるび」と取り合わせ、しかも「生乾き」の半端な感覚が加味されると、忽ちに危うさが切迫する。言葉のマジックである。
かなかなの遥かに鳴けるやう鳴ける 成光 茂
比較的近くの木で「かなかな」が鳴いているのだろうが、耳を傾ける作者にはその声は遥かから届くように聞こえたのだ。蜩は涼やかな声で鳴き、糸を引くように静かに鳴きおさめる。「遥かに鳴けるやう鳴ける」は実感であろうが、人の蜩に抱くイメージがこの感応を強く誘ったのはいうまでもない。