2019.7月

 

主宰句 

 

麦の秋葬に寄つて相知らず

 

やましろのそれも雨なる竹酔日

 

藻の花に重なつてきし雨の糸

 

梅雨茸にうしろ姿といふがあり

 

立ち上がるたび梅雨匂ふ母の家

 

三日ほど星を恃みて梅干せり

 

待たせたる白服風をはらみゐし

 

繋がれて烏賊釣船の老いやすし

 

げぢげぢの脚懸命な狡猾な

 

郵袋を船よりおろす日の盛

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                        

 

舞ひきたる蝶に舞ひ立つ草の蝶      坂口夫佐子

 

花冷や大阪寿司に隙のなし        大山 文子

 

春蘭のゆかしきみどり令和くる      山本 耀子

 

雨音に朝寝の端の白むなり        湯谷  良

 

朝桜とほりすがりのよかりける      深澤  鱶

 

孕み鹿水飲む脚の震へをり        河﨑 尚子

 

渓水の絶ゆることなき抱卵期       山田美恵子

 

かたかごの花人ごゑに傷みけり      蘭定かず子

 

花冷を来しそれぞれにルームキー     小林 成子

 

風呼んで風にあらがふ花ミモザ      西村 節子

 

号外に手を伸ばしたる霾ぐもり      大東由美子

 

遠足の列の余りし太鼓橋         藤田 素子

 

春キャベツ人口頭脳かたからむ      松山 直美

 

あやふさの重さに流れ花筏        大内 鉄幹

 

田螺らの温める神の田一枚        越智 伸郎

 

今月の作品鑑賞

            山尾玉藻         

舞ひきたる蝶に舞ひ立つ草の蝶     坂口夫佐子

 なんということない情景を詠んでいるようですが、蝶同士の関わりや相互の思いが色々はかられ、想像力を高めてくれる一句です。語らずして語るのが俳句の本道であり、このように放り出された句を解釈するのも俳句の楽しみだと思います。詩嚢が少し肥えたようで、ちょっと豊かな気分になります。

花冷や大阪寿司に隙のなし       大山 文子

 「大阪寿司」は木型を用いた押し寿司。昆布締めの鯛、焼き穴子、茹で海老、卵などの寿司が小口切りにされ、碁盤の目状にびっしりと色鮮やかに並べられています。「隙のなし」の言い切りがその芸術的ともいえる美しさを語っており、「花冷」の情趣とほどよいひびきを奏でています。

春蘭のゆかしきみどり令和くる     山本 耀子

 「令和」に改まった世を寿ぐ句を数多く拝見しましたが、掲句は「春蘭」の地味なうす緑色に祝意を託し、新元号の世を静かに迎える境地が具現されていて好もしいと思います。時を得た句を興に乗り過ぎずに詠むのは難しいですが、この句には無駄な気負いがなく、佳き齢を重ねてきた様子も窺い知れてこころに残る一句です。

雨音に朝寝の端の白むなり       湯谷  良

「雨音」に一度は目覚めたものの、また心地よい眠りへ誘われつつある作者でしょう。しかし浅い眠りの中でもどこかで雨音だけは意識しており、その思いを「朝寝の端の白むなり」と感じ取った点がなかなかの詩人です。詩の在りどころをしっかりと心得ている証です。

朝桜とほりすがりのよかりける     深澤  鱶

そのつもりで歩いていたのではないが、ふと見上げた「朝桜」の清しい美しさに心奪われたのです。辺りに人影も感じられぬ静かな朝であるからこそ得られた寸簡でしょう。何気ない一語「とほりすがり」が読み手のこころも豊かにします。

孕み鹿水飲む脚の震へをり       河﨑 尚子

鹿の脚はいたって細く、あれほどの体躯をよく支えられるものだと感心します。「孕み鹿」ならなおさらです。水を飲みつつ八の字に踏ん張る脚が細やかに震えているのを見て、哀れを覚えた作者です。

渓水の絶ゆることなき抱卵期      山田美恵子

 春の喜びを伝えているような「渓水」の音が絶えることなく、辺りの樹間から明るい日差しが漏れているのでしょう。そんな景が季語「抱卵期」により一層の豊饒さを湛え、自然の営みにある見えない連鎖が感じられてきます。

かたかごの花人ごゑに傷みけり     蘭定かず子

開花まで落葉樹の下で七年ほどかかるとされる片栗は、その俯く咲きぶりから、また山気に震える様子から、ひたむきさをひしひし感じさせる花です。山中にそんな花を訪ねるのもよいでしょうが、我々はそのもの言わぬ必死さを学ばねばならないのかもしれません。

花冷を来しそれぞれにルームキー    小林 成子

 桜の美しさがそう感じさせるのか、「花冷」は身にしみるものです。ホテルのフロントで渡された「ルームキー」の冷たい感触に、それぞれがあらためて「花冷」の身を感じている様子が想像されます。「ルームキー」というものでおさえて成功した一句です。

風呼んで風にあらがふ花ミモザ     西村 節子

 静かだった「花ミモザ」が揺れ始め、いよいよ大きく揺れだしたのです。それを捉えて花ミモザ自身が風を呼んだように見立てた点に独自性があり、畳み込むような「あらがふ」で読み手にも花ミモザに強い意志があると納得させる点が巧みです。

号外に手を伸ばしたる霾ぐもり     大東由美子

 「号外」を取り合う騒がしい手と黄砂でどんよりと烟る景とのマッチングから考えて、この号外は余り良い報せではないことが伺い知れます。因みに、過日のお祝いムードに満ちた新元号が令和と決定した折の号外でないことは確かです。

遠足の列の余りし太鼓橋        藤田 素子

 幼い子には急勾配の「太鼓橋」は恐ろしいものでしょう。「遠足の列」を組む子供の中には足がすくむ者もいて、後ろの子は進めず待たされているのでしょう。そんな景を「列の余りし」と無駄なく写生しています。やはり写生句は強いと実感させる一句です。

春キャベツ人口頭脳かたからむ     松山 直美

 人が脳を働かせる時はどうしても感情や利害そして人間関係に縛られるものですが、「人工頭脳」にはそんなしがらみが全くありません。しかししがらみがあればこそ人は柔軟に脳を使うものであり、その点をついたのが「人工頭脳かたからむ」でしょう。柔らかな「春キャベツ」とのモンタージュがとても爽快です。

あやふさの重さに流れ花筏       大内 鉄幹

 美しい「花筏」ですが、ちょっとした流れや風の所為でその形はたやすく崩れ、忽ちのうちにちりぢりとなってしまいます。そんな儚さを気分に流されず「あやふさの重さに流れ」と捉えたところに「花筏」の真実があります。

田螺らの温める神の田一枚       越智 伸郎

 境内にある田に水が張られ苗植えの神事を待つばかりなのでしょう。そこに「田螺」の姿が見られるところから、水が張られてからの日数も自ずと推し量られます。