2019.11月

 

 

主宰句  

 

有明の月より外す割烹着

 

山襞の応へて深し威銃

 

米原に五分の停車雁わたし

 

杉桶に束子のしづむ豊の秋

 

米櫃に音を仕舞ひし秋気かな

 

柿映ゆる水辺に手足休めけり

 

握り飯ほほばれば見え紅茸

 

この花野なら誘ひたき人のあり

 

火の絶えし竈ながらふ神渡し

 

峡の夜の音のひとつに桐一葉

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                                            

 

初風や脂吹きゐたる高野槙       大山 文子

 

竹林の勢ひかむさる秋の蛇       湯谷  良

 

朝顔の実の放埓に板庇         深澤  鱶

 

着なれたる旅の一枚いわし雲      蘭定かず子

 

足首の目覚めてきたる昼寝かな     大東由美子

 

鰯雲コンビナートへ打ち寄する     西村 節子

 

氷中にラムネつつ立つ厄日かな     山本 耀子

 

だんだんと気の塞ぎきし花蓮      坂口夫佐子

 

草刈女満身で雨弾きをり        大内 鉄幹

 

この水に孵りしものら蓮咲く      今澤 淑子

 

地蔵会の灯りのとどく運河沿ひ     小林 成子

 

恐竜の地をとよもせる威銃       山田美恵子

 

鳥渡る吊革のみな塞がつて       藤田 素子

 

田水沸く流し読みする承諾書      高尾 豊子

 

ぶいぶいの一撃に暮れ俄なり      加古みちよ

 

今月の作品鑑賞

            山尾玉藻       

初風や脂吹きゐたる高野槙    大山 文子

 暑い盛りにはその形や木肌と硬質な葉の茂りようから「高野槙」は見るからに暑苦しい樹であったことでしょう。しかし作者には、その日は幹に浮く「脂」が何処となく涼し気に光って見え、そのこころの動きが辺りを吹く風に秋の到来を実感させたのでしょう。良きこころの色が伝わる一句です。

竹林の勢ひかむさる秋の蛇    湯谷  良

 この時期竹は本来の緑を取り戻し、「竹林」は生気に満ち溢れ非常に美しいです。掲句の場合、少し風にざわついている竹林でしょうか、その葉擦れの音の下を「秋の蛇」がゆっくりと這っている一景です。竹林の「勢ひかむさる」の修辞により秋の蛇の勢いのなさが一層想像されてきます。

朝顔の実の放埓に板庇      深澤  鱶

 花が終わると「朝顔」はもう人の目を惹かず、ふと気づくとその実が思いのままに太っていたりします。その点を「放埓に」と述べて朝顔の種らしさを捉え、「板庇」という特殊性のない場所設定でその放埓さを強調してみせます。

着なれたる旅の一枚いわし雲   蘭定かず子

 旅をする時はちょっとした余所行き的な服装となったり、目的の場所に相応しい恰好をするのが一般的でしょう。それは旅という非日常を楽しもうとする心理の表れでしょうが、作者は日頃着慣れている一枚も用意してきたのでしょう。旅の途中でそれを身に纏い、その日はごく日常的な落ち着いた思いで旅を存分に楽しんだことでしょう。

足首の目覚めてきたる昼寝かな   大東由美子

 暖かさや寒さを微妙に感じるのは足首であり、「昼寝」の茫々とした世界よりいち早く目覚めるのも足首でしょう。その後、目覚めは足首から時をかけて体の隅々に伝達され、最終的に漸く頭脳にぼんやりと達し、遂に人は現実の世界に引き戻されるのです。昼寝覚めを「足首」で捉えて真があります。

鰯雲コンビナートへ打ち寄する   西村 節子

 この「コンビナート」は海浜を干拓した大規模なものでしょう。「打ち寄する」の感覚的フレーズから、先ず広やかな海が思われ、その海で生まれた「鰯雲」が徐々にコンビナートの空を覆い始めるダイナミックな景がこころに結ばれてきます。

氷中にラムネつつ立つ厄日かな   山本 耀子

駄菓子屋の店先の景を思いました。葭簀の影の氷の箱に「ラムネ」が無造作に突っ込まれていて、そろそろそこに日ざしが巡ってくる日中です。店の奥に人影もない。明るさと昏さのコントラストの小さな世界は、作者に「厄日」をふと意識させたのでしょう。

だんだんと気の塞ぎきし花蓮    坂口夫佐子

この水に孵りしものら蓮咲く    今澤 淑子

 蓮の花は事代のごとき清廉な美しさを湛えているだけに、作者のこころの在りようで様々な姿として映えるのでしょう。 

一句目、作者は花蓮の前でしばし佇んでいたのでしょうが、その内に花の余りにも潔白な姿に気が詰まってきた様子です。もともと何か気掛りを抱えていたに違いなく、「気の塞ぎきし」の胸中の呟きが正直でなかなか人間的です。

二句目、濁った水の中で開くだけに、花蓮を一層神々しく感じます。「孵りしものら」との呼びかけから、この水も濁っていて水中が見通せないのだと感じました。花蓮の美しさを介して、水中で生まれた見えぬ対象へもこころを遣ることができたのは、作者が何事にも妨げられない素直な境地であったからだと思われます。

草刈女満身で雨弾きをり      大内 鉄幹

 「草刈」をする女性に雨脚が激しくなってきのです。「満身で雨弾きをり」の印象的なフレーズで、大粒の雨の中でこれまで以上に懸命に力を入れ草を刈る女性像をクローズアップさせています。

   地蔵会の灯りのとどく運河沿ひ   小林 成子

 「地蔵会」は町内の辻の門っこや奥まった処でよく目にし、その蝋燭や提灯の明るさはどこか懐かしく嬉しいものです。作者が歩く「運河」にまでその明りがこぼれ、昼間の運河には無い趣が生まれていたのでしょう。

 

恐竜の地をとよもせる威銃     山田美恵子

恐竜の滅びし話熱帯夜       尾崎 晶子

 恐竜に関わる興味深い二句です。

一句目、「恐竜」の骨が発掘された地では農作物が栽培されるのでしょう。遠く鳴る「威銃」が、あたかも地中深く眠る恐竜を呼び覚ますような音に思えてきます。日常的対象と非日常対象が織りなすロマンチシズムな世界があります。

二句目、恐竜好きの人の話がその絶滅期へと及んだようです。「熱帯夜」がその熱い口調を思わせますが、只々溽暑を感じている作者には余り興味のない話かも知れません。「熱帯夜」が各々のこころの動きを示唆していて、とりどり愉しく鑑賞できる作品です。

鳥渡る吊革のみな塞がつて     藤田 素子

 混雑する車中で「吊革」も握れぬ状態ではよろけぬよう足を踏ん張るしかなく、縋る対象のない自分の頼りなさを実感するものです。折から「鳥渡る」の季節、作者は遠い北国から果敢に渡ってくる鳥たちに比し、自分がいかにもちっぽけな存在であることを改めて思ったことでしょう。

田水沸く流し読みする承諾書    高尾 豊子

 「承諾書」は堅苦しく細々と綴られているものですが、この場合はさほど詳しく読まなくとも大方の内容が知れるものなのでしょう。作者は「田水沸く」とのモンタージュで、胸中の鬱陶しさや煩わしさを強調したのです。

ぶいぶいの一撃に暮れ俄なり    加古みちよ

 顏か胸元かに「ぶいぶい」が思いがけずぶつかって来て、作者は一瞬ひるんだのです。その驚きと緊張が「暮れ俄なり」の思いを呼びました。実感を裏付けとした心象風景には説得力があります。