2019.10月
主宰句
相寄らず相揺れゐたる螢草
きらきらと門の塵掃く厄日かな
風鎮の藍湛へをり野分中
うつしみの顏が水面に白露なる
かまきりの顎の探りし雨意の風
林檎かじりて生意気な耳ふたつ
秋冷や日の丸を振る紙の音
瀬頭のかりがね寒き尖りやう
日照雨てふさひはひさはに草の花
道の神燕去にしと抱き合へる
巻頭15句
山尾玉藻推薦
旅立つる子の声金魚ひるがへる 湯谷 良
吾が影引つ張り上げて墓洗ふ 根本ひろ子
少年のジャンプにうねる夏野かな 松山 直美
土壁の潰えに迫る青みどろ 坂口夫佐子
駒草や下山の脚を怠らず 蘭定かず子
リビングの月差すところ籠枕 山田美恵子
日盛の水の香のする石の室 山本 耀子
衝立の孔明躍るお風入れ 林 範昭
揚梅のいよいよ饐ゆる蟬の声 河﨑 尚子
つつつかれ水母は水となりにけり 上林ふらと
一番星低く現る刈葱かな 大山 文子
梅干の滲む新聞山開き 深澤 鱶
射干を活けへつつひの昼の闇 小林 成子
蛇の子に翳りいよいよ草の照り 今澤 淑子
連中へ一升瓶と祭鱧 西畑 敦子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
旅立つる子の声金魚ひるがへる 湯谷 良
子供が飼っている「金魚」なのだろう。旅に出かける「行ってきま~す」の子供の声に、まるで反応したかのように金魚が翻った。金魚が子供を見送っているようでもあり、また留守の間の寂しさをアピールするかのようにも思える。
己が影引つ張り上げて墓洗ふ 根本ひろ子
祖先を敬う気持から墓参をするのは勿論であるが、自分が命ある身であることを知らされる時でもある。掲句、墓碑を洗う作者の動きが墓碑に濃く映えているのだろうが、中で下から上への影の動きに作者の先祖への深い思いが籠められている様子が窺い知れる。それは「影引つ張り上げて」の強い措辞より明らかで、同時に自分はこうして生きているということをしっかり確認している心情を強く伝える影でもある。
少年のジャンプにうねる夏野かな 松山 直美
この作者の少年の句は大方がお孫さんがモデル。孫を少年と見立てると孫俳句にたちまち息吹きが吹き込まれ、大いに共感を招くこととなる。躍如とした少年の「ジャンプ」が「夏野」にいよいよエネルギーを呼ぶようであり、臨場感ある一句。
土壁の潰えに迫る青みどろ 坂口夫佐子
「青みどろ」の張りつめた池の辺に崩れかかった「土壁」が立っているのだろう。放っておけば青みどろが土壁をも侵しかねない様子に鬱とした思いになる作者である。「青みどろ」の生命力は限りなく凄い。
駒草や下山の脚を怠らず 蘭定かず子
高山植物の「駒草」はピンクの愛らしい花だが、殺風景な砂礫にちらほらと咲く姿には力強さも感じられる。作者もそんな駒草に励まされつつ、少々疲れ気味の下山の脚を注意深く運んでいるのだ。
リビングの月射すところ籠枕 山田美恵子
十月号では<銭亀がリビングを這ふ雨ごもり>と詠み、この作者のリビングは句材に事欠かないようだ。掲句の「籠枕」は先ほどまで誰か(作者自身かも知れない)がごろ寝をしていたものだろう。今はそれに月明が及び、どことなく静かな夜の秋を思わせるひと駒である。
日盛の水の香のする石の室 山本 耀子
一泊吟行で訪れたこうもり塚古墳には、横穴式石室に大きな石棺が据えられいた。間近にする石棺の蓋には隙間があり、その隙の闇が生身の我々に多くを語りかけてくるようだった。そして石室の冷えとあちらこちらの滴りの光に、汗の身がひんやりとしていくのを覚えた。この感覚こそが作者の言う「水の香」であり、その香が立ち尽くす私達を忽ちのうちに覆っていった。
衝立の孔明躍るお風入れ 林 範昭
「孔明」とは中国三国時代の蜀漢の政治家で軍師の諸葛亮のこと。衝立には剣を振り上げて跳ねる勇ましい孔明の姿が描かれているのだろう。日頃は秘蔵品として闇に保管されている孔明であろうが、「お風入れ」の今日の孔明の姿は晴れ晴れしく雄々しい姿として作者の眼に映ったはずである。
鉾立の尻ポケットの木槌かな 河﨑 尚子
祇園祭の鉾は全て縄と楔で組み立てられ、組み立てに「木槌」は必需である。掲句、作業の最中かそれとも作業が始まるのか、いずれにしてもポケットの木槌には歴史ある祭を守る人々の魂が籠められているのだ。
一番星低く現る刈葱かな 大山 文子
葉が細く茸の低い夏葱が「刈葱」。冬と違い低く育った刈葱畑に合わせるように「一番星」も低く現れたのだ。昼の暑さが未だに漂うむっとするような一景。
梅干の滲む新聞山開き 深澤 鱶
「山開き」で誰かが持参の弁当を食べ、包んできた新聞に梅干の種をくるんだようだ。見落としそうな瑣事に注目して山開きの景に広がりをもたらせた。
射干を活けへつつひの昼の闇 小林 成子
古民家の景であろう。今は使用されていないだろう「へつつひ」の辺りに「射干」が活けられている。湿り気の昼闇の中、射干のオレンジ色が鮮やかでどこか懐かしく、古き良き時代を愛する心根が伝わってくる。
蛇の子に翳りいよいよ草の照り 今澤 淑子
草ぐさは小さな「蛇の子」に静かな影を落としつつ、同時に厳しい日差しには負けじと照り返していたのだ。作者はそこに、小さな生あるもの同士の慈しみ合いを感じた様子である。
つつつかれ水母は水となりにけり 上林ふらと
浮き上がってきた「水母」が誰かに指でつつかれた瞬間、忽ちその姿があやふやとなって消え失せたのだろう。本来、水母は模糊とした不透明なもので、「水となりにけり」の断定が効果的。水母自体を詠んだ見事な一元句である。眼差しにもメルヘンがある。
連中へ一升瓶と祭鱧 西畑 敦子
祭の日、見知りの人々に「一升瓶」の酒と「祭鱧」を差し入れにいく途中。「連中」の語から祭に目のない男衆が想像され、この一語が非常に効果的である。