2018.5月

 

主宰句 

 

岩が根の日に愛さるる菫草

 

鴨引いて吾が顔のばうばうと

 

この子には負けるにかぎるチューリップ

 

花ミモザより湖を駆くる風

 

春昼の見えぬ裸火見てゐたり

 

瀧音に掛けきし巣箱夜に思ふ

 

春ごとや入江は光はなさざる

 

柄杓やや大き過ぎたる甘茶仏

 

はらからの在りて猫の子眠し眠し

 

水の辺にししむら運ぶ霾晦

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                

月の出に茶山のうねる余寒かな         大山 文子

上声の豆打つて闇いれかはる          深澤  鱶

坂上がる暮しの大事二日灸           今澤 淑子

春眠の淵より目覚めたる正座          湯谷  良

駄菓子屋の春の炬燵に呼ばれけり        西村 節子

尺八は風音魚は氷に上り            山本 耀子

 

何見むと子の跳ねてゐるチューリップ      山田美恵子

旧正の日向に鶏のいさかへる          蘭定かず子

一団の歩みほつるる梅の風           上林ふらと

雛段のまへの座布団ずれ易し          小林 成子

春陰のゆにはに侍るうるし沓          坂口夫佐子

一歩ごと潮垂らしゆく水雲籠          河﨑 尚子

のけぞれる猿の腰かけ雪のひま         井上 淳子

卒業の裏門広く開けてあり           根本ひろ子

白息が弓袋の列正しけり            松本 和子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻           

月の出に茶山のうねる余寒かな      大山 文子

 昼間の茶山の畝は伸びやかで眩しい景を描いたのでしょうが、夕月の出と共にそれは趣を異にするようになったようです。蒼白く浮かび上がる畝のうねりは、冷ややかさと翳りを湛え始めた様子です。その感慨が「余寒」に繋がっのでしょう。

上声の豆打つて闇いれかはる       深澤  鱶

 家人が張った声で「鬼は~外」と豆を打った後、戸外の闇が「いれかはる」とはどのような状態を言ったものでしょうか。実際の闇が他の闇に入れ替わる筈はなく、これで鬼を追い払えたと安堵するこころの眼が働いた「闇いれかはる」なのです。日本人が共有するこの安心に季語「節分」の本意があるのです。

坂上がる暮しの大事二日灸        今澤 淑子

 作者の家は坂の上にあり、坂と関わる日常なのでしょう。その生活を「大事」と断定することは、即ち丈夫な足腰が必須であると己に言い聞かせることと同じ。「二日灸」に実感が籠っています。

春眠の淵より目覚めたる正座       湯谷  良

 「春眠の淵より目覚め」で作者がよほど熟睡していたことが知れ、目覚めた今は未だ意識がぼんやりとしていることが窺い知れます。そんな心理状態の中、無意識のうちにする床の上の「正座」の姿に可笑しみが漂います。

駄菓子屋の春の炬燵に呼ばれけり     西村 節子

 「駄菓子屋」の前を通りすがり、奥の部屋から馴染の店主のおばちゃんの声がかかったのです。「春の炬燵」に座すその貌はいかにも長閑そうで、暇そうな商いぶりも窺えます。そこは優しい作者のこと、おばちゃんの招きににこにことして応じたに違いありません。

尺八は風音魚は氷に上り         山本 耀子

 「尺八は風音」の発見に成るほどと膝を打ちました。吹き始めの隙間風のような音色も然り、その強弱や高低の音色に様々な風音が思われてきます。尺八の奏でる風音と対句のように据えた「魚は氷に上り」がよきひびき合いをしている一句です。

何見むと子の跳ねてゐるチューリップ   山田美恵子

 そう言えば小さな子は何かを確認しようとよく跳ねていますね。作者にはこの子が何を確かめようとしているかには興味はなく、懸命に首を伸ばし飛び跳ねる子の愛らしさにこころ惹かれているのです。「チューリップ」の明るさが子供の動きをより鮮明に見せてくれます。

旧正の日向に鶏のいさかへる       蘭定かず子

 陽暦となった現在でも農事や漁業などは陰暦を重視し、一年の始まりである「旧正」には慶祝の思いが深いです。そんな旧正月の「日向」で諍っている鶏たちの景にも、ほのぼのとした目出度さが漂っているのです。旧正月らしい穏やかな祝祭性があります。

一団の歩みほつるる梅の風        上林ふらと

 作者はツアー客などがどっと梅園に入ってきた場面に遭遇したのでしょう。人々は梅の香に誘われ、思い思いの方向へ散り始めました。そんな景を表し「歩みほつるる」とは非常に巧みな表現です。

雛段のまへの座布団ずれ易し       小林 成子

 かわいい雛の客が入れ替わり立ち替わり雛段の前の座布団に座り、すまし顔で雛たちを見上げているのでしょう。日頃座布団に膝を揃えることなど無いだろう子供たちのぎこちない立ち居が窺えてなかなか微笑ましいです。「ずれ易し」が眼目となっています。

春陰のゆにはに侍るうるし沓       坂口夫佐子

 斎庭(ゆにわ)とは神々を祀るために浄めた場所を指しますが、この場合は神の御前ほどの意味でしょう。「春陰」は曇りがちな春の候を指すやや主観的な季語で、一句に少々重いニュアンスを添えます。そこから読み手は禰宜の「うるし沓」の鈍い光や冷ややかさ、また辺りの厳とした気配を覚えることとなります。

 一歩ごと潮垂らしゆく水雲籠       河﨑 尚子

 上五に据えた「一歩ごと」で、刈り取られた「水雲」で盛り上がる籠を運ぶ労働の厳しさが想像され、同時に「潮垂らしゆく」から瑞々しさや豊かさが香り立つようでもあります。

のけぞれる猿の腰かけ雪のひま      井上 淳子

大木に積もっていた雪が解け、枝の黒々とした「猿の腰かけ」が露わとなっている景を切り取りました。「のけぞれる」の写生の眼が、厳寒を耐え抜いたその旺盛な生命力を語っているようです。

卒業の裏門広く開けてあり        根本ひろ子

 平素はひたと鎖されている学校の裏口も、「卒業式」の今日だけは解放され明るい日差しを浴びているのです。「広く」の思いには、大らかに自由に飛びたって欲しいという卒業子への作者のエールが籠められています。

白息が弓袋の列正しけり         松本 和子

 「弓袋」を掲げた学生たちが大勢集まっているのでしょう。引率者でしょうか、その列の乱れを正す声が飛んのです。無論学生たちも「白息」を吐いていたのでしょうが、作者はそれらよりもずっと濃い白息が勢いよく飛んだ一瞬を見逃さなかったのです。