2018.3月
主宰句
放られし雪が雪棹打ちにけり
水発ちし羽音に勢一の午
切り岸に巌突きでる水仙花
並足の早足となる芽吹き坂
観音の水瓶を出で春蚊かな
途中よりひたすら撓む蜷の道
ふりむきし顔のひらたし春の雷
遥かなる人影のよき野に遊ぶ
蛇穴を出で神鏡の灯いろ
花蘇枋をんな掻膝ほどかざる
巻頭15句
山尾玉藻推薦
屋敷林の隔たり隣る冬構 深澤 鱶
スコッチに蠟の封印木菟鳴けり 蘭定かず子
数へ日の馬場の鏡に風鳴れり 坂口夫佐子
柿の枝のあけぼの色の冬至かな 大山 文子
男衆に氷雨の裾を払はれし 今澤 淑子
枯葉の音集めて庭のあたたまる 山本 耀子
切干しのあからさまなる縮みやう 湯谷 良
校長室の窓に揺らげる鴨の水 小林 成子
図書館へ来て読む手紙十二月 河﨑 尚子
水鳥のどこへも行かぬ淵の藍 大東由美子
皹の手が鯉の値踏みに応へたる 山田美恵子
散るための白山茶花のまつ盛り 松山 直美
凍滝を見にゆく足をこしらへぬ 西村 節子
北風の色をあつめし朱雀門 越智 伸郎
凩の首尾よく入りぬ地下タウン 藤田 素子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
屋敷林の隔たり隣る冬構 深澤 鱶
季節風の強い地方で見かける「屋敷林」は、農家の暴風や防雪の目的に設置されています。隣り合う家々も孤立する家も必ず「屋敷林」を設えていますが、「隔たり隣る」でその様子を的確に描いています。また「屋敷林」はある種の風格を示すステータスの象徴とも感じられ、その特有の趣を醸し出す一句でもあります。
スコッチに蠟の封印木菟鳴けり 蘭定かず子
「蠟」の封印がされているスコッチはかなりの年代物でしょう。以前から私は「スコッチ」は西洋中世特有の翳りある重々しい香りがすると思っていただけに、「木菟鳴けり」との取り合せでその特有の燻香がいよいよ深く重たく漂って来るように思えます。
数へ日の馬場の鏡に風鳴れり 坂口夫佐子
服部緑地公園の馬場には、馬上の姿をチェックするために大鏡が設置されています。掲句もそんな馬場でしょう。「数へ日」ともなれば馬場に人影はまばら、寒風だけが馬場を吹き荒んでいるのでしょう。硬質で冷冽な大鏡に風が吹きつける様子を、「鏡に風鳴れり」と捉え印象的な景を描いて見せました。
柿の枝のあけぼの色の冬至かな 大山 文子
作者の庭の柿の木は今年は裏年だったと聞いています。その所為でもないでしょうが、作者にとって実のない柿の木はただ虚しい存在でしかなかったと思われます。しかし今、柿の枝は朝日に染まりほのぼのとした趣を湛え、その景は作者の「冬至」への意識へと繋がっていったのでしょう。柿を眺めてはこころ足りなかった胸内に、一陽来復の思いがじんわりと生まれてきたのでしょう。
男衆に氷雨の裾を払はれし 今澤 淑子
一般に「男衆」とは役者や芸者などの身の回りの世話をする男性を指しますが、掲句のそれは京都などの老舗の料亭で客の接待をする男性のことでしょう。玄関で作者の着物の裾が「氷雨」に濡れているのに気付いた「男衆」が、素早く懐から取り出した手拭で裳裾を払ってくれたのです。作者はその何気ない振る舞いにはっとして、しばしこころ奪われた様子です。
枯葉の音集めて庭のあたたまる 山本 耀子
寒さで身を縮めながら庭の「枯葉」を掃いていた作者ですが、体を動かしてゆく中に温まってきたのでしょう。その思いを掻き集める「枯葉の音」に託した点が、詩人として面目躍如たるところです。掻き詰められる「枯葉」の音は温かいものです。
切干しのあからさまなる縮みやう 湯谷 良
私の子供達は幼い頃から柔らかく仕上げた自家製の切り干し大根を好んで食べてくれました。笊に干した千切り大根は十日目位から急激にしなび始め、面白いほどよれよれに捩れてます。「あからさまなる縮みやう」で、この頃の乾びようを巧みに表出しています。
校長室の窓に揺らげる鴨の水 小林 成子
校長室の横の池で鴨が浮き寝をしているのでしょうか、窓の硝子に揺らめく水が映えてきらきら眩しい様子です。「校長室」という厳めしい場所の設定は、逆に冬麗の穏やかな雰囲気を増幅させました。
図書館へ来て読む手紙十二月 河﨑 尚子
手紙は作者が家を出る前に郵便受けから取り出して来たもので、それを「図書館」の席で開封し読んでいるのでしょう。「十二月」の寸暇に相応しい嬉しい内容のものであったに違いありません。
水鳥のどこへも行かぬ淵の藍 大東由美子
沼か池の一画は静けさと藍色を湛える淵となっており、いつもそこに漂う同じ水鳥を見かけるのでしょう。「水鳥」が深い「藍色」と一体となってしまいそうな、静寂の世界です。
皹の手が鯉の値踏みに応へたる 山田美恵子
京都広沢池の鯉揚げに、鯉を手に入れる目当てに料理人や家庭の主婦が集まってます。作業員が生簀の鯉を秤に乗せると、すかさず人々は「値踏み」をして作業員の反応を窺います。それにどう応えたかは分からないですが、作業員の「皹の手」が鯉揚げの仕事の厳しさを生々しく語っています。
散るための白山茶花のまつ盛り 松山 直美
山茶花の大方は紅色ですが「白山茶花」には紅色のそれには決して感じない清浄さが漂い、誰もが特別な視線を向けるでしょう。だからこそ敢えて述べた「散るための」「まつ盛り」の普通ごとが活きて「白山茶花」そのものを言い留めた句となりました。
凍滝を見にゆく足をこしらへぬ 西村 節子
「凍滝」を見るには寒冷地の山奥へ行かねばならず、しっかりした足つきでなければ辿りつけません。「足をこしらへぬ」とは、登山用の靴を履き足の保護や保温にも備える意味。そうまでして「凍滝」に会いにゆく点が好奇心旺盛な俳人らしいではないですか。
北風の色をあつめし朱雀門 越智 伸郎
平城宮址に復元された朱雀門は鮮やかな丹色を湛えながら威風堂々の姿で聳え立っています。その昔はこの門から羅生門まで大路が延々と続いており、寒風に立つ作者には「朱雀門」から抜け出た風がその大路を突っ切ってゆく様子がまざまざとイメージされたのでしょう。「北風の色をあつめし」の喩えが丹色の「朱雀門」を一層際立たせ、その孤高感を濃くしているようです。
凩の首尾よく入りぬ地下タウン 藤田 素子
街頭の北風が階段を下りてきたのか、地下鉄の列車に煽られた風なのか、暖かい筈の地下街で突然寒風に襲われることがあります。作者も同じ経験をして、「凩」の侵入をいぶかしく思っているのでしょう。アイロニカルな「首尾よく入りぬ」の表現が心憎いですね。