2018.1月

 

主宰句 

 

一陽や金の弧となる子のゆばり

 

くつくつと女笑へり薬喰

 

その柱に凭れば梟きつと鳴く

 

着ぶくれて歌劇の町に入りにけり

 

冬桜のあたり引力なきやうな

 

この森に耳ありて枯れ尽しをり

 

雛僧が煤竹の尾をひきずりぬ

 

煤逃がももいろの稚抱ききたる

 

繫がつてゆける白雲年の内

 

勝手よき手鍋ひとつと冬籠

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                 

サフランや神々もまた妬まへり       蘭定かず子

烏瓜たぐりてをれば牛の顔         山田美恵子

鴨渡る鈴蘭灯をつなぎつつ         湯谷  良

みせばやの咲きはじめたる日裏かな     坂口夫佐子

共産党の誘ひ茸の傘大き          山本 耀子

栗園に子等を放ちぬ雨上がり        大山 文子

ひとの棲む隙のありけり虫の闇       深澤  鱶

神鈴に嫗のすがる黍嵐           西村 節子

丹波路のかかりの空の冬桜         小林 成子

日を摘んでつんで夕さる松手入       今澤 淑子

地滑りの土赫あかと穴惑ひ         河﨑 尚子

楢もみぢ背さびしきクラーク像       藤原 冬人

きのふよりけふ風照りの熟柿かな      根本ひろ子

見えやすき烏瓜より色づける        大東由美子

角伐られ鹿の大きな真顔かな        松山 直美

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻 

 

サフランや神々もまた妬まへり        蘭定かず子

 ギリシャ神話には神々の恋がたびたび綴られています。最高位の女神ヘーラーはかなり嫉妬深い性格で、夫ゼウスの浮気を直ぐに察知する能力に長けていたと言います。一方、「サフラン」の花はことさら華やかではありませんが、その蕊は繊細ながら焔が揺らめいているように見えます。その点で両者の取り合せには強い説得力があると言えるでしょう。

   烏瓜たぐりてをれば牛の顔           山田美恵子

 「烏瓜」を手に入れたくて蔓を手繰っていたところ、不意に「牛の顔」が出現して作者は驚いた様子です。「烏瓜」の蔓が絡みついていた小藪の向う側に牛がいたのでしょう。牛だって突然作者の顔を間近にして驚いたに違いありません。俳諧味ある一句です。

   鴨渡る鈴蘭灯をつなぎつつ           湯谷  良

 たまたま「鈴蘭灯」が続く道路か橋の上空を鴨が渡っていくのを発見した作者です。鴨の群は鈴蘭灯が続く方へ方へ渡って行ったのでしょう。こころの写生となっている「鈴蘭灯をつなぎつつ」が一句に奥深い立体感を生んでいます。

   みせばやの咲きはじめたる日裏かな       坂口夫佐子

 「みせばや」はか細い茎にピンクの小花を淡々と咲かせ、儚げな雰囲気を漂わせる花です。そんな花が「日裏」に咲き始めたのがなんとも健気に思えた作者は、陽光が巡って来るのを「みせばや」の花と共に心待ちにしているのでしょう。

   共産党の誘ひ茸の傘大き            山本 耀子

 電話勧誘があったのでしょうか、それともチラシを不意に渡されたのでしょうか、共産党よりの誘いは作者にとって小さな驚きだったのかも知れません。ふと目にした大きな「茸の傘」から受けたちょっとした驚きのように。

   ひとの棲む隙のありけり虫の闇         深澤  鱶

 夜、通りがかった人家と人家の狭い闇のどこかで、「虫」がしきりに鳴いていたのでしょう。それを「ひとの棲む隙のありけり」と少し捻ってみせました。

   神鈴に媼のすがる黍嵐             西村 節子

 老婆が神社の鈴の緒を引っ張っている光景ですが、「神鈴にすがる」と見て取ったところに独自の感慨があります。小柄な老婆が神の鈴を懸命に鳴らしている姿に、何かを強く祈願する老婆の胸の内を思っているのでしょう。添景の「黍嵐」のざわつきで老婆の落ちつかないであろう心境を巧みに語らせています。

   丹波路のかかりの空の冬桜           小林 成子

 そろそろ枯一色の丹波地方にさしかかろうとした時、作者は一木の「冬桜」にこころ惹かれています。その景に敢えて「空」を仲介することによって、丹波地方特有のどんよりとした曇り日を読み手に想像させ、「冬桜」の寒々と取り留めもなく咲き続ける様子を強調したのです。

   日を摘んでつんで夕さる松手入         今澤 淑子

 日差しの中での「松手入」の作業の様子を「日を摘んでつんで」とリフレインさせた点で、また「夕さる」と時間の経過を意識させる点で、「松手入」という静かで丹念な仕事ぶりを巧まずして表出しています。

   地滑りの土赫あかと穴惑ひ           河﨑 尚子

 「地滑り」のあった跡の斜面の赫土が災害の恐ろしさを思わせ、その辺りを這う「穴惑ひ」の哀れさをいよいよ感じさせる構成となっています。この一句も取り合せの妙と言えます。

   楢もみぢ背さびしきクラーク像         藤原 冬人

 深秋、「楢」は鮮やかな黄色にもみじし、眩しいほど明るい趣を湛えます。一方、右手で遥か彼方の真理を指しているという「クラーク像」の立ち姿は非常に気高いのですが、同時に孤高の寂しさの雰囲気を漂わせています。ましてその後ろ姿からは孤独がひしと感じられたに違いありません。楢の明るい黄葉がその思いをいよいよ増幅させたことでしょう。

   きのふよりけふ風照りの熟柿かな        根本ひろ子

 毎日「熟柿」が気掛かりで空を仰ぐ作者でしょう。少し風の強い今日は「熟柿」の艶が一層増したように感じられたのでしょう。「風照り」の表現がなかなか功を奏しています。

   見えやすき烏瓜より色づける          大東由美子

 既にあちらこちらで「烏瓜」が熟れている筈ですが、作者がいつも見ていた烏瓜も漸く色づいてきただけのことでしょう。それを「見えやすき烏瓜より」と言い放った点で、人の心理を巧みについている一句と言えるでしょう

   角伐られ鹿の大きな真顔かな          松山 直美

 奈良春日野の「角伐会」詠でしょう。雄鹿の神経を尖らせたような表情に、角を伐られた恐ろしさを未だに忘れられないでいる鹿の胸の内を推し量った作者です。「真顔」と感じた点にそれが思われます。