2018.12月
主宰句
淀吟行三句
深秋のひとつ影なる馬と騎手
デビュー戦制しし馬に小鳥くる
淀さまの悋気に飛びし蓮の実
鶲らの声瀧じめりしてゐたり
袴の父をなもみなんぞ付け戻る
傾ける甕にきつぱり冬来たる
茶の花を辞し茶の花へ礼参り
角屋より輪違屋まで日短か
日イ呼ぶに力つくせる花八つ手
柚子貰ふ当てある冬至近づき来
巻頭15句
山尾玉藻推薦
避難所に言の葉えらぶ秋扇 大内 鉄幹
夕映えの雲の奥より小鳥来る 湯谷 良
とんばうの羽根青空を切り取りぬ 山本 耀子
周遊券ありておりたつ花野かな 坂口夫佐子
朝顔の水色に髪荒びをり 大山 文子
自然薯掘夕日均らして去ににけり 蘭定かず子
台風の逸れて枝雀の大笑ひ 藤田 素子
敬老の日のはうきぎに色の出で 垣岡 暎子
丘の上に三叉路絞る月明り 小林 成子
走り根の先は地の中夕月夜 松井 倫子
十六ささげ家系図になき女どち 越智 伸郎
稲雀たちの描けるシンフォニー 辻 佳与子
その帽子花野の色となりゆけり 大谷美根子
血の濃きは相寄るらしも衣被 深澤 鱶
月白や手を振つて手の残りたる 山田美恵子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
避難所に言の葉えらぶ秋扇 大内 和憲
九月六日に発生した北海道胆振東部地震で作者在住の札幌市にも大きな被害が発生しました。「避難所」に知り合いの罹災者を見舞った作者でしょうか、その方の余りの悲嘆さを目の当たりにして慰めの言葉に窮したのでしょう。同じ罹災者として「言の葉えらぶ」に苦痛の胸中が垣間見えます。こう言った句を身に引き付けた、体重のかかった一句と言え、故に類想類句のない「秋扇」の一句となっています。同時発表の<茸飯提げて余震の母のもと>や<一灯に集ひ地震禍の月見豆>にも、出来得る限り平常を取り戻したいという罹災者としての胸中が静かに叫ばれていて、非常に胸を打たれました。
夕映えの雲の奥より小鳥来る 湯谷 良
きっちりと写生法に則った、美しい奥行きのある一句と言えます。小鳥たちの明るい美しい声々も聞こえてくるようです。同時発表の<炒子の銀指に張りつく厄日かな>も佳句。出汁用の「炒子」の鈍い銀色の皮は指によくこびりつくが、そのこころ障りが「厄日」の意識へと移行した点に大いに共感します。
とんばうの羽根青空を切り取りぬ 山本 耀子
青空の蜻蛉が大きく回転した瞬時の感慨を、巧みにしかも簡潔に述べたのが「青空を切り取りぬ」です。蜻蛉全体にではなく透けて見える「羽根」に焦点を絞り、読み手にも抜けるような秋天を実感させています。
周遊券ありておりたつ花野かな 坂口夫佐子
「周遊券」は一定の期間内に決められた区間を自由に行き来できるチケットのこと。作者は旅行中、車窓から見た美しい「花野」を急に訪ねてみたくなったのでしょう。その花野に佇んだ作者、恐らく遊牧詩人のような気分になったのではないでしょうか。
朝顔の水色に髪荒びをり 大山 文子
暑さも盛りを過ぎる頃、厳しい陽光に晒してきた髪の毛にも疲れが見え始めますが、そのような自意識が働く「荒びをり」の感覚には実感があります。その頃には濃い藍色の品種と異なる「水色」の朝顔が咲き始めますが、その「水色」の淡淡とした色彩が髪の「荒び」の感覚を一層募らせるようです。
自然薯掘夕日均らして去ににけり 蘭定かず子
自然に育った自然薯を掘るのは大変な作業と聞いています。薯のくねりを損なうことなく掘るには、時間と根気が必要とされるからでしょう。ところで掲句、「自然薯堀」が掘る様子ではなく、掘り出した跡の穴を埋める帰り際の作業を描いているだけですが、この景だけで作業の厳しさを描き切っています。それは「夕日均らして」で気づかされるように、辺りの地面を染め上げる夕茜いろに、随分と時間が経過した事実と作業を終えた安堵感を巧みに象徴しているからです。
台風の逸れて枝雀の大笑ひ 藤田 素子
早世した桂枝雀は天才落語家と言われましたが、極上の落語的センスの上に大いに努力を重ねた人だったと想像します。座布団の上でスケールある身振り手振りをし、時にはぶっ飛ぶような独特の笑い方もしました。掲句を「台風」が無事に逸れた安堵で「枝雀の大笑ひ」する映像を観ていると解釈する向きもあるでしょうが、それでは報告に尽き、狙いどころも感じられ、詩の世界とは隔たりがあり過ぎると感じます。しかし自分の自分に対する所謂自嘲を「枝雀の大笑ひ」と喩えたと感賞すると、ちっぽけな人間の負け惜しみが窺い知れてくるではありませんか。そこに大自然の力に比する脆弱な人間の普遍的心理が捉えられていると思うからです。
敬老の日のはうきぎに色の出で 垣岡 暎子
「はうきぎ(箒草)」は秋を迎えると仄かに赤く染まり始め、晩秋には見事なピンクに紅葉します。まあるく柔らかな形をしているので優しく嬉しい色です。目出度いイメージの「敬老の日」との相乗効果で温かで穏やかな情趣がぐんと深まっています。
丘の上に三叉路絞る月明り 小林 成子
実際には「丘の上」から小道が三方向に伸びていたのでしょうが、作者にはまるで折からの月明が三つの小道を丘の上に引き絞っているように感じられたのです。それほど蒼白い月明に照らされる現実の世界が幻想的に感じられたのでしょう。ファンタスティックな世界を詠み上げました。
走り根の先は地の中夕月夜 松井 倫子
大きく隆起した樹木の根を見て、普段は意識しないその根の先に思いを巡らせています。その思いは他でもない「夕月夜」の蒼白の世界に誘われたものです。やがて月が中天に達して「走り根」を一層浮き立たせ、月明は根の先にまで及ぶことでしょう。
十六ささげ家系図になき女どち 越智 伸郎
以前、長いささげを何故「十六ささげ」と呼ぶのか調べたことがありました。諸説ありましたが、米俵一俵の重さは十六貫であることから、大きいという意の「十六」が冠されたものという説に納得しました。ところで掲句、作者はいずれかの家系図を眺めながら、そこに記されているのが大方男性の名である点に気付き、それら男性の影で苦労を重ねたであろう女性たちへ思いを馳せていのです。どちらかと言うと不必要に長い「十六ささげ」ですが、逆にその長々しさが大いに必然性を帯びてくる一句しょう。
稲雀たちの描けるシンフォニー 辻 佳与子
稲が熟し穂を垂れだすと、雀が群を成して田に舞い降り、また舞い発ちます。その度に、無数の雀たちの影が一枚の大きなベールとなって大きく波打ちます。無数の羽音がひびき合い、その勢いで立った風が微かに鳴り、稲穂がさざめき立ち、さまざまな音が一つとなる瞬間です。作者はそのような景色を躊躇なく「シンフォニー」と喩えました。弦楽器や管楽器、打楽器など多種多彩な音が調和し一つとなって、広やかな絵を描くように奏でるのが「シンフォニー」で、なるほど稲雀たちの様子を喩えて的確です。それも「のような」「のごとき」などと穏やかな直喩の手段をとらず、直截的な暗喩で述べた点が快く感じられます。
その帽子花野の色となりゆけり 大谷美根子
「花野」に踏み込んだ帽子の人物がゆっくりと歩み始め、やがてその帽子は美しい花野の色に紛れ込んで行ったのです。敢えて帽子の色を限定せずにその色を想像させる「花野」ならではの一句です。
血の濃きは相寄るらしも衣被 深澤 鱶
「相寄るらしも」のもは詠嘆の意。この助詞一字で、これまでの作者の血族者への思いまでも伝わって来ます。人は歳を重ねるほど血の温かさを恋しく感じるもので、作者もこれまではさほどその感慨に更けることはなかったのでしょう。このように助詞一字が句意をぐんと深める範例のような一句です。
月白や手を振つて手の残りたる 山田美恵子
誰かを見送りに出たところ、折から「月白」で空が白んでいたのでしょう。帰って行く人に手を振る作者に、相手もそれなりに手を振り返したのでしょうが、作者には何となくあっけなく思われたのかも知れません。白々とした夕闇の宙に、思いを込めて振った作者の手が宙に力なく浮かんでいるのが想像されます。