2018.11月

 

主宰句 

 

母が膝庇うて起てば菊かをる

 

広め屋の赤き振袖野分あと

 

蚯蚓鳴く後ろ釦のワンピース

 

鶏頭の傾きゐたる韓の壺

 

漆喰の壁のぬらぬら稲つるみ

 

椅子を起ち畳に座る十三夜

 

合戦の声ごゑたぐる蔓たぐり

 

仏らは蠟の火を守る秋をさめ

 

どびろくや夜を隔つる戸一枚

 

猪渡りし川に障子の漬けてあり

 

 巻頭15句

            山尾玉藻推薦             

烏瓜の花もその夜もあやふやな      深澤  鱶

 

今朝秋の車内を過ぐる木々の影      湯谷  良

 

盆市の花を結はへてゆく手許       蘭定かず子

 

狼の群像を霧這ひゆける         大山 文子

 

葬より戻りたる眼に椿の実        松井 倫子

 

盆東風や山に向く耳さとくあり      坂口夫佐子

 

言霊に濡るるいしぶみ秋あかね      山本 耀子

 

韮茗荷咲かせ家々繋がれり        大東由美子

 

月白の盥に身いつぱいの鯉        山田美恵子

 

夕映えの黍畑へ入る革の靴        小林 成子

  

衣被母と齢を笑ひ合ひ          西村 節子

 

青年の膝にしばらく仏舟         河﨑 尚子

 

夕焼を口実に夫呼びにけり        藤田 素子

 

虫の夜の棚に男の料理本         髙松由利子

 

そこいらの棒もて吊らる猪の足      上林ふらと

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

烏瓜の花もその夜もあやふやな    深澤 鱶

 烏瓜の花の縁は花弁は糸状に長く伸び、一糸一糸絡まりもせず、美しいレース状の不思議な花です。しかも夜に開花し朝に萎れてしまうので、どことなくいぶかしさを湛える花でもあります。さて読み手は夜の内に作者の身に一体何が起こったのだろうかと身を乗り出しますが、下五「あやふやな」で見事に体を躱されてしまいます。この仕掛けが口惜しいほど巧みで、またそこが「烏瓜の花」の不思議な魅力を伝える所以でもあるのです。

今朝秋の車内を過ぐる木々の影    湯谷  良

 今夏は命の危険を覚えるような猛暑続きで、今年ほど秋の気配を待ち遠しく思った年はなかったのではないでしょうか。空の色や日差しに微かながら秋の気配を覚える嬉しい朝、沿線の木々の影が電車内を次々と流れ、その見慣れた景にどこか優しさや爽やかさを覚える作者です。このような何でもない日常的な景にこそ季節の微妙な推移は潜んでおり、ぼんやりと生きていてはそれを見て取る視線は具わって来ないでしょう。我々はそれが感じられた瞬間、俳句に携わっている幸せと醍醐味を覚えます。

盆市の花を結はへてゆく手許     蘭定かず子

 「盆市の花」とは仏壇用や墓参用の花のことで、普段の花々に加えて華やかな蓮の花や鬼灯などが見えて来ます。それらが花屋の手により素早く一つに組まれ結ばれて行く景に、作者は眼を見張っているのです。下五「手許」の体言止めが効を奏し、読み手に作者の驚きぶりを一層強く伝えています。

狼の群像を霧這ひゆける       大山 文子

 本州や四国に多く生息していた日本狼は、明治の終り頃に東吉野で捕獲されたのを最後に絶滅したと聞いています。ところで東吉野にある狼の像は勇壮であると共に孤高の厳しさと淋しさを湛えています。掲句のごとく「群像」であっても、その一匹々々は同じ雰囲気を漂わせていたことでしょう。群像を濃い霧が覆い隠していく景は、狼の辿った厳しい歴史を象徴するかのようです。

葬より戻りたる眼に椿の実      松井 倫子

 艶やかに太る「椿の実」は決して眩しいものではなく、暗さと冷ややかさを秘しているものです。葬戻りにそれを見つめると、人を送って来た胸中に一層の翳りを呼ぶようです。

盆東風や山に向く耳さとくあり    坂口夫佐子

 盆を迎える頃、人はどこか清浄な思いとなるのは、ご先祖を迎えるという非日常的心理の働きがあるからでしょう。そこで普段は聞こえないような山音さえ聞こえたような気がしたのかも知れません。

言霊に濡るるいしぶみ秋あかね    山本 耀子

 碑に刻まれた言葉にこころ動かされ、作者は神妙な面持ちの様子です。実際には雨か露に濡れていた碑でしょうが、「言魂に濡るる」と見立てた点にそれが窺えます。取り合わせた「秋あかね」が作者の心情にほんのりと色を添えている点も好もしいです。

韮茗荷咲かせ家々繋がれり      大東由美子

 「韮」も「茗荷」も美しい花を咲かせますが決して観賞用の花とは言えません。掲句の「韮茗荷咲かせ」からも、掲句の各家が韮や茗荷を栽培していることが知れ、美しい花の空間で家々が繋がっている景が見えて来ます。地方に住む作者にしか得られない美しい一句、そして我が産土の地を讃える一句とも言えるでしょう。

月白の盥に身いつぱいの鯉      山田美恵子

 月が上がろうとするぼんやりとした明るさの中、「盥」の中で窮屈そうにする鯉が浮かび上がります。「身いつぱい」の生な表現で鯉の大きさや身のくねり具合を思わせます。

夕映えの黍畑へ入る革の靴      小林 成子

 偶々夕焼の「黍畑」を通りかかった「革の靴」であったのでしょうが、畑へ踏み込んだ目的や理由は全くは語られていません。しかし作者がその違和感を覚える景に何かを感じたのは確かであり、読み手も各々それを楽しめばよいのです。俳句は何かを感じた景を切り取り、それを十七文字に放り出すに限ります。

衣被母と齢を笑ひ合ひ        西村 節子

 母も年老いその娘の作者もそれなりの齢となったのです。互いにその事実に今更に気付き可笑しさがこみ上げたのでしょう。「衣被」が語るように、人はこんなちっぽけな幸せが嬉しいのです。

夕焼を口実に夫呼びにけり      藤田 素子

 夫婦の中で何かもめごとがあったのでしょうか、先ほどから作者は夫に声を掛け難い様子です。ところが「夕焼」が余りにも美しく、作者はこれ幸いと「ねえ、見て見て」と夫を呼んだのです。なかなかこころ憎い賢さですね。

虫の夜の棚に男の料理本       髙松由利子

最近は定年退職された男性ばかりでなく、若い男性も趣味として料理を楽しむ方が増え、『六〇歳からの楽々男メシ』『いい加減料理本』などと銘打った楽しそうな料理本も売られています。恐らくカラフルな写真を添えた大胆で楽ちんな料理方法が載っているのでしょう。作者も棚にそのような本があるのを見つけ興味を持った様子です。内緒でページを繰ってみたのかも知れません。

 そこいらの棒もて吊らる猪の足     上林ふらと

猟男たちが仕留めた猪の足を縛り、その辺に転がっていた木の枝にぶら下げたのでしょう。「そこいら」の俗っぽい一語で野趣ある猪狩の様子を存分に伝える一句ですね。