2018.10月

 

主宰句 

 

柘植垣のまあるく濡るる新豆腐

 

家中のノブに灯の映ゆ野分かな

 

密々の噂にとびし蓮の実

 

月の出へ鳴りし花屋のレジスター

 

抱くなら漆黒の猫この良夜

 

まづしき木ゆたかなる木に水澄めり

 

色鳥の渡る真昼を子の眠る

 

母の家の把手のゆるぶ雁渡し

 

平成のはたてに垂れて大糸瓜

 

黄葉を踏んで発心らしきもの

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦         

回想のところどころの青田風       蘭定かず子

吹く息に形代の頭の反りにけり      山本 耀子

涼しき話持ち寄り母の誕生日       藤田 素子

夕雀ゐる草市の水たまり         大山 文子

揺り椅子に目を閉ぢにけり帰省の子    松井 倫子

駒草の二股径で間違へし         河﨑 尚子

氷室守とほき目をして袖濡れて      深澤  鱶

庭花火しつかり者がひとり居て      山田美恵子

いつせいに汗の振り向く保母の笛     坂口夫佐子

鉾町の先々見ゆる雨上がり        小林 成子

田廻りの男にさやぐ余り苗        西村 節子

ひと匙ごと目を閉づる子やかき氷     湯谷  良

日を孕む雲の被さる稲の花        松山 直美

鮎宿にむかし日させる川梯子       根本ひろ子

死ぬるものみな標本に昼寝の子      髙松由利子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

 

  回想のところどころの青田風     蘭定かず子

 作者の想い出の中に幾度か青田を吹く風の景が浮かんでくるのでしょう。「青田風」は青田の鮮烈な緑を運び続け、しんとした清冽さを限りなく拡げ続けます。それは今も昔も寸分違わぬ景であり、日本人の原風景と言っても過言ではないでしょう。だからこそ作者がいま目にする青田風が、遠い昔と全く違うことのない感応を作者に呼び覚まさせたのです。

  吹く息に形代の頭の反りにけり    山本 耀子

 形代流しでは「形代」で自分の体を撫でた後に思いを籠めて息を吹きかけます。しかし、作者は思いを籠め過ぎたのか、息で形代の頭の部分が反り返ったというのです。昔よりのならいを疑わぬ心理が垣間見えて、なかなか微笑ましい一句です。

  涼しき話持ち寄り母の誕生日     藤田 素子

 母の誕生日にはらからたちが集まり、それぞれが母を喜こばすような佳き話をしているのでしょう。「涼しき話」がそれを指しているのですが、実際には高齢の母に聞かせたくない現実的な話もあるのではないでしょうか、そんな含みもあるような一句です。

  夕雀ゐる草市の水たまり       大山 文子

 この「水たまり」は先ほど「草市」を過って行った夕立の置き土産なのでしょうか、それとも市の人が打った水で出来たものでしょうか。市を行きかう人も少なくなり、水たまりの水を飲む雀の姿も穏やかで、市を涼やかな風も抜けてゆくことでしょう。

  揺り椅子に目を閉ぢにけり帰省の子  松井 倫子

  ひと匙ごと目を閉づる子やかき氷   湯谷  良

 子供が目を閉じる景に焦点を当てた作品を並べました。一句目、この子は実家を離れて暮らすほどの年齢なのでしょう。それは「揺り椅子」に目を閉じながら、過ぎた日へこころを遣っている様子から想像されます。二句目、この子はまだ幼くて冷たいものが苦手なのでしょう。それでも「かき氷」の涼感をゆっくりと楽しんでいる様子です。「ひと匙ごと」がとても愛らしくてぎゅっと抱きしめたくなります。同じ「子」の語ながら、端的な表現で年齢や背景の違いが自ずと理解されます。

  駒草の二股径で間違へし       河﨑 尚子

 事柄に尽きているようで、そうではありません。作者は下五の展開「間違へし」の措辞で実は意識的に「駒草」の様子を強調しているのです。そこで読み手も、作者が気をとられてしまうほど駒草がとても愛らしかったのだろうと想像できるのです。

  氷室守とほき目をして袖濡れて    深澤  鱶

 「氷室守」の「袖濡れて」を理屈的に解せても、「とほき目をして」を解くのはなかなか難しいでしょう。氷が貴重なものでなくなった現在では「氷室守」も古季語となりつつある所以ですが、敢えてそれを詠む作者の意識の高さは貴重だと考えます。「氷室守」に抱く浪漫と熟練の詠みから成った一句と言えるでしょう。

  庭花火しつかり者がひとり居て    山田美恵子

 手花火をする子の中には、火花を怖がる小さな子や、火の付いた花火を振り回す元気な子もいるでしょう。そんな中、小さな子に優しい声を掛け、ふざける子をたしなめたりする、気配りの出来る子が一人いるのです。なかなか微笑ましい景です。

  いつせいに汗の振り向く保母の笛   坂口夫佐子

 「保母」さんが大勢の園児に向かって笛を吹いた瞬間、園児全員がふり向いたのです。それまで走り回っていた児、ジャングルジムに上っていた児、砂場に屈みこんでいた児ら、そのとりどりの汗の顔が一瞬にして光ったようでとても愛らしいですね。どのような場でもどのような瞬時にも詩は確かに存在するものなのです。

  鉾町の先々見ゆる雨上がり      小林 成子

 京都の街路が碁盤の目のように伸びているのは周知のことですが、祇園祭の鉾が並ぶ町の辻々に立つと隣町の鉾が遠く見通せて楽しいものです。「雨上がり」ならば一層見通しがよく、豪華に飾り付けられた鉾や祭姿の人々の生き生きとした様子がはっきりと眺められたことでしょう。

  田廻りの男にさやぐ余り苗      西村 節子

 少し丈を持ち始めた青田を男性が見回っている景ですが、作者はふと田の隅でそよぐ「余り苗」に目を止めました。立派な丈に育った余り苗が男性を呼び止めるように揺れているように感じられたのでしょうか。見逃すような寸景にこころ止める視線に優しさが滲みます。

  日を孕む雲の被さる稲の花      松山 直美

 「日を孕む雲」とは雲の影に入った太陽の光が雲の輪郭から漏れ、雲が金の輪の中に嵌っているような景を指すのでしょう。自然が織りなす神々しいほどの景と目立たず束の間を咲く「稲の花」を取り合せ、壮麗な趣を醸し出しています。

  鮎宿にむかし日させる川梯子     根本ひろ子

 「鮎宿」の裏口から裏を流れる鮎の川へ梯子が架かっており、そこに柔らかな日が射しています。それを目にした作者は、昔から少しも変わりない景なのだろうと感じている様子です。「むかし日させる」がその思いを端的に語っていると思います。

  死ぬるものみな標本に昼寝の子    髙松由利子

 「死ぬるものみな標本に」に一瞬ドキリとし、「昼寝の子」でなるほどと納得しました。採集した昆虫が箱に丁寧に並べられ、傍らで子供が伸びやかに昼寝をしているのです。ちょっと気を引く表現ながら、夏休みを表現せずに夏休みを描きだしました。