2017.1月

 

主宰句   

 

蔵映り一気に冬となりし水

 

十二月八日汀に人の佇ち

 

風邪の身にメタセコイアが真つ赤なり

 

播州の塩買ひに出し懐手

 

猪喰ひにゆく口紅をさしにけり

 

隣席は酒つ気のなき牡丹鍋

 

猪肉を(たう)べし息を交はしけり

 

神杉のてつぺん見えぬ紙懐炉

 

一番槍といふが鴨居に雪もよひ

 

金襴の柩にありし冬の雷

 

巻頭15句

                   山尾玉藻推薦           

 

白鳥の一羽に水の定まりぬ       大山 文子

枯蓮の己の影に屈しゐし        小林 成子

けものらの息に点りぬ月夜茸      蘭定かず子

神留守の盥にのこる鯉の泥       湯谷  良

神留守の滝の裏側抜けてきし      深澤  鱶

文庫蔵を背に盛りなる鶏頭花      河﨑 尚子

寄生木のあをあをそよぐ秋出水     山田美恵子

走り根と交じる箒目冬構        坂口夫佐子

別の空使うてゐたる鷹柱        藤田 素子

末成りの糸瓜の尻に蝶の来し      山本 耀子

ペン持たぬ日の秋蝶のまぶしさよ    涼野 海音

水音にうねる松ヶ枝神の留守      西村 節子

窯にむき坐する人影十三夜       福本 郁子

秋冷やとじしろのある宝貝       越智 伸郎

秋晴や普段着のまま船に乗り      森 好太郎

  

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻        

白鳥の一羽に水の定まりぬ     大山 文子

 白鳥は大方群れを成す水鳥ですが、今は一羽だけが水に漂ってます。白鳥と水が静かに一体化した景に作者はこころ奪われ、自身も透徹した境地となっていったのでしょう。一見労を尽くさぬような詠みぶりですが、実に簡潔に詠み下しながらも深い思いを託する一句です。

枯蓮の己の影に屈しゐし      小林 成子

 千差万別の枯れようの蓮の中、それ自身が引く影の辺に咢をがっくり垂らす一本に興味を抱いた作者。その様子を捉えて「己の影に屈しゐし」とは誠に的確な措辞です。枯蓮を観察するとどこか人の世を思わせ、複雑な思いとなるものです。

けものらの息に点りぬ月夜茸    蘭定かず子

 暗がりで青白く発光する「月夜茸」は独特の臭気を発します。作者は昼間それを見つけ、「けものらの息に点りぬ」と夜の景にまで思いを膨らませたのです。この発想の転換と鋭い感応を大いに学んで頂きたいものです。獣たちの息に応えて「月夜茸」も怪しげな臭気を発した事でしょう。

神留守の盥にのこる鯉の泥     湯谷  良

神留守の滝の裏側抜けてきし    深澤  鱶

水音にうねる松ヶ枝神の留守    西村 節子

「神の留守」の句を並べてみました。

一句目、鯉の胃を空っぽにする為に何日間か鯉を綺麗な水に生かしているのでしょうが、この盥にも鯉がいたのでしょう。作者は盥に沈む鯉の吐いた泥に視線を落とし、ふと捌かれたであろう鯉の命を儚んでいるのです。そう言えば神無月だったか、との呟きが聞こえてくるようです

二句目、「滝の裏側抜けてきし」を、作者は激しく落下する滝の後ろの空洞を通り抜けたのだと解しました。落下する滝を創造したのも神ならば、その裏に意外な洞を創造したのも神の力です。神に対する畏敬の念を新たにした一句。

三句目、臥竜松のような地に近くうねる松の枝を想像しました。「水音にうねる松ヶ枝」から、松の枝と庭園の水音が感応し合う清澄な空間を思いますが、枝のうねりも水音も何処かしら寂しみを湛えているようです。「神の留守」の由縁でしょう。

文庫蔵を背に盛りなる鶏頭花    河﨑 尚子

 根岸子規庵で、作者は子規の著した多くの書物を保管する蔵を背にする「鶏頭花」に注目したのです。そのごつと突っ立つ「鶏頭花」に、子規の逞しい精神力を思い重ねたのでしょう。

寄生木のあをあをそよぐ秋出水   山田美恵子

 「秋出水」の後の大樹を仰ぐ作者のこころを捉えたのは「寄生木」でした。辺りが荒寥とする中で、まろまろと緑を湛える「寄生木」だけが生き生きと輝いていたからでしょう。

走り根と交じる箒目冬構      坂口夫佐子

 寺社の苑内の景でしょうか。「走り根」と「箒目」が相まって描く流線図は冷ややかで、これからの寒さを予兆させるに十分でしょう。「冬構」で寺社内の冬支度がいろいろ窺えます。

別の空使うてゐたる鷹柱      藤田 素子

 箕面吟行での特選の一句です。思いがけず鷹柱に遭遇した感動と実感が多々詠まれましたが、「別の空使うてゐたる」には驚きが簡潔に集約されていて、その力み過ぎぬ表現にこころ惹かれました。 

末成りの糸瓜の尻に蝶の来し    山本 耀子

この糸瓜は小さくて艶もないのでしょう。「糸瓜の尻」とはひょろりと反っている先っちょを指し、そこへ「秋蝶」がきて止まったのです。哀れな糸瓜が華やいだ一瞬です。上品な諧謔味があります。

ペン持たぬ日の秋蝶のまぶしさよ  涼野 海音

 今の時代ですから「ペン持たぬ日」をパソコンに稿を打たぬ日と解しても良いでしょう。いずれにしても少しゆったりとした時を過ごせる日、秋蝶が訪ねて来るのも嬉しい出来事です。

  窯にむき坐する人影十三夜     福本 郁子

 窯に火入れをし、これから夜通し窯の火と向き合う人影が見えて来るでしょう。あの人は今夜の冴え冴えと美しい十三夜月を仰ぐことがあるのだろうか、などと思う作者です。

秋冷やとじしろのある宝貝     越智 伸郎

 「宝貝」の貝殻の開口部は縦に細ながく内側に巻き込んでいます。この巻き込みを「とじしろ」と見立てた点が、なかなかユニークです。「秋冷」が不思議な貝の形の陰影を深めています。

秋晴や普段着のまま船に乗り    森 好太郎

 この船は豪華客船などではなく、生活に密着した渡し舟のようなものでしょう。作者は「秋晴」の嬉しさからつい用もないのに舟に乗ったのです。「普段着のまま」とはそんな思い語っています。