2017.9月
主宰句
冷麺の上の多彩に雨上がる
夕映えの指こまごまと星祭る
地ならべのもの昏れ始む草の市
どの家もうしろ姿の盆の川
空耳の耳大いなる生身魂
盆過ぎぬ倒木水漬く明るさに
紫蘇揉んで一途なる香を立たせけり
野の芯をさがしてゐたる秋の蛇
夕づける露草を猫舐めにけり
秋澄むや鱗のひかる磧石
巻頭15句
山尾玉藻推薦
ことほぎの百膳百の鮎の口 大山 文子
パーラーに母と落ちあふ日の盛 蘭定かず子
半裂の水にをんなの執したる 深澤 鱶
はんざきの近くに寢まる山の音 山田美恵子
梅の実を捥ぎ梅の枝に打たれたる 河﨑 尚子
大寺に汗の巡礼どつと来し 今澤 淑子
萩若葉夫の白足袋そろへおく 小林 成子
夕暮になれば泣く子よ罌粟の花 坂口夫佐子
青苔に走り根浮ける遠忌かな 松井 倫子
夕焼や母とのえにし硝子のごと 松本 薬夏
みなづきの空へ大屋根修理班 髙松由利子
影持たず夕ぐれ揺らす蚊喰鳥 松山 直美
思春期に入口出口さくらんぼ 藤田 素子
犬掻の母の背大きかりしこと 堀 志皋
補聴器の不具合に見え梅雨茸 石井 耿太
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
ことほぎの百膳百の鮎の口 大山 文子
後藤比奈夫、茨木和生両先生のご受賞と共に、私も東吉野の天好園で多くの俳人方に受賞を祝って頂きました。大勢の膳に天然の焼鮎が次々に配され、あちこちから感嘆の声が漏れました。そんな祝宴たけなわの現場を、大きく詠み且つ端的に絞り切った「百膳百の鮎の口」の具象詠が誠に素晴らしいです。殊に最終的に「鮎の口」にピントを絞り、大きく開いた鮎の口から天然の活きの良さを直に伝えた所は見事としか言いようがありません。
パーラーに母と落ちあふ日の盛 蘭定かず子
掲句、実は句会で私だけが選んだ句です。何故に落ち合う先が「パーラー」でなければならないのか、それも「日の盛」であるのだろうか。女性は甘いもの好き、「日の盛」であろうと二人揃えば自ずと「パーラー」に足が向く、などの理由付けは余りにも味気ないでしょう。落ち合う相手が母であり、たとえ「日の盛」であっても母を喜ばせたいという思いがそれとなく働く、良いこころの色が窺える一句なのです。佳い俳句との出会い、それは理屈ではなく直感に拠るものです。
半裂の水にをんなの執したる 深澤 鱶
はんざきの近くに寢まる山の音 山田美恵子
本来、不気味で不可解な「半裂」は女性好みではないでしょう。しかし同じ女性でも好奇心旺盛な俳人は別格、「半裂」と聞けば目の色が変わり、ついつい素通りできないのです。一句目、「半裂に執したる」ではなく執したのは「半裂の水」であることから、それが潜んでいると聞いた水にじっと目を凝らし、その場を動こうとしない女性の様子が鮮やかに見えて来ます。二句目、「はんざき」は上流の澄んだ水に生息する生きもの。作者も「はんざき」に会おうと今夜は山の宿泊りなのでしょう。時おりする山の中の音に耳を傾け、「はんざき」の動きではなかろうかと胸ときめかせている様子です。
ところで、大きな図体に反しちっぽけな眼と可愛らしい手足の「半裂」は、実はかなり貪欲な生き物で、水中で遭遇した動物に襲いかかり、時には共食いもするという恐ろしい一面もあるようです。そうと聞けば、いよいよ興味深い生き物。
梅の実を捥ぎ梅の枝に打たれたる 河﨑 尚子
「梅の実」をやや強めに捥いだ瞬間、その反動で跳ねかえった枝が作者の額か頬を打ったのでしょう。「打たれたる」の飾らぬ寸感が、梅の枝や青葉の瑞々しさを伝え、作者が思わず立てた声までが聞こえてくるようで、なかなか明るい一句です。
大寺に汗の巡礼どつと来し 今澤 淑子
「汗の巡礼」から日焼けして強健そうな巡礼の姿が想像できます。しかも「どつと」で、その人たちに威圧される作者の心情が見て取れて愉快です。
萩若葉夫の白足袋そろへおく 小林 成子
恐らくこの日は作者のご主人にとって晴れがましい日だったのでしょう。ご主人の為に「白足袋」を揃えながら、作者も晴れがましく、また清々しい思いとなっているのです。「萩若葉」の斡旋がそれを語っているようです。
夕暮になれば泣く子よ罌粟の花 坂口夫佐子
私の仕事部屋の窓からも、必ず夕刻になると幼い子の泣き声が聞こえます。それは決まって同じ声、同じ泣き方です。夕方ともなれば小さな子もそれなりに疲れ、不機嫌になるのでしょう。「罌粟の花」の揺れざまがいかにも気怠さを湛えています。
青苔に走り根浮ける遠忌かな 松井 倫子
張り巡る木の根も苔をきて、辺り一面が苔に覆いつくされているのでしょう。この美しい景は幾星霜の年月により織りなされたものであり、そこに漂う静寂さは「遠忌」を迎える作者のこころに十分に応えるものだったのでしょう。
夕焼や母とのえにし硝子のごと 松本 薬夏
非常に切なく哀しい句です。作者と母は、恋しくて身を寄せれば、必ずどちらからともなく傷つけ合うのでしょう。「夕焼や」が一層辛くこころにひびきます。人には年齢相応の悩みや苦しみがあるもので、折々それを飾らず正直に俳句に託せばよいと考えます。そうすることで人も俳句も豊かに深くなってゆくのです。
みなづきの空へ大屋根修理班 髙松由利子
寺院などの大屋根の修理光景でしょうか、作業のために大勢の瓦職人たちがどっと大屋根に上っていくのでしょう。「水無月」の語源は一般的に炎暑の為に水のなくなる月の意であり、どこか不安定な危なさの漂う時候でもあります。なにかしら祈りに似た思いで大屋根を仰ぐ作者なのでしょう。
影持たず夕ぐれ揺らす蚊喰鳥 松山 直美
「影持たず夕ぐれゆらす」には独自の感覚があり、夕空をひらひらへらへらと拠りどころ無い様子で舞う「蚊喰鳥」の鬱な様子を巧みに言い得ています。
思春期に入口出口さくらんぼ 藤田 素子
円らで愛らしい「さくらんぼ」は我々に素直で無垢な気持ちを思い出させるのでしょうか、作者の胸中にもふと自分の「思春期」の頃が蘇ったのでしょう。「思春期」は何かに憑かれたような一時期、だが気づけばいつの間にか通り抜けている時期でもあります。「入口出口」の表現に思いがけぬ説得力が生まれています。
犬掻の母の背大きかりしこと 堀 志皋
「犬掻」で泳ぐ人の背は平ぺったく、水中でむやみに大きく動く感がします。作者が見た母の「犬掻」の背も白々と大きく、子供ごころに自分の知っている母とは何処か違うという思いで眺めたのしょう。母の不格好な「犬掻」がとても切ないですね。
補聴器の不具合に見え梅雨茸 石井 耿太
先程から「補聴器」の調子が悪く、作者は不機嫌。ふと庭に目を遣ったところ偶々「梅雨茸」が見えたのです。と言っても、二物の間に何の因果も無ければ理屈もありません。ただ目に映った「梅雨茸」が、作者の不快感を一層募らせたのは明らかです。