2017.6月

 

主宰句  

    

書庫奥につま立つ腓緑雨なる

 

水の辺に火熾す八十八夜かな

 

形代にふり向く袂ありにけり

 

青葉して眠りの浅きとりけもの

 

蕗原に危ふき日筋生まれけり

 

梅雨茸の森に掛かれる眉の月

 

水音をまへにうしろに実梅村

 

河骨のてごはき首にてごはき黄

 

若きらを抜けゆく日傘揺らぎけり

 

細身なる蚊の待つてゐし泉殿

 

巻頭15句

                   山尾玉藻推薦               

おほかたは怠けゐし鴨帰りけり       深澤  鱶

子雀のころがり出でし茶臼山        松山 直美

孕鹿風を嗅いでは歩みけり         山田美恵子

紅梅に竿かけて干す剣道着         大山 文子

巣籠りの欅に雨の集まりぬ         蘭定かず子

水の面を蹴つて発たざり春の鴨       河﨑 尚子

啓蟄の鞴にのこる灰明り          根本ひろ子

渦潮の底ひへ睫毛伏せにけり        松本 薬夏

にごる日をわれもわれもと葦の角      今澤 淑子

屋形船の昼の図体日永なる         山本 耀子

初蝶に泥のてのひら差し出しぬ       大東由美子

をんな声に遅れ匂へり沈丁花        坂口夫佐子

凍ゆるむ土塀にまざる貝の殻        藤本千鶴子

梅の香とたづねて来たるあらぬ人      岡本 匡史

仕立屋のユニオンジャック卒業期      藤田 素子

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻         

 

おほかたは怠けゐし鴨帰りけり    深澤  鱶

 鴨は懸命に潜って餌を漁る以外、殆どの時間を浮寝をして過ごしているようです。作者はその景を「おほかたは怠けゐし」と捉えていますが、決して揶揄しているのではなく、むしろそんな鴨たちを羨ましく思っていたふしが窺えます。しかし、鴨たちが北国へ帰ってしまった今は、鴨たちの長旅の苦労をつくづく偲んでいるのでしょう。巧みな措辞で自然の風物に自己の心情を投影しています。

子雀のころがり出でし茶臼山     松山 直美

「茶臼山」は大坂冬の陣で徳川家康が、夏の陣では真田幸村が陣を設けた山で、当時の戦が偲ばれる歴史的名所です。その山裾辺りを「子雀」がちょんちょんと弾んでいたのでしょう。深い謂われなどに全く関わりないような「子雀」の、頑是ない動きを「ころがり出でし」と捉えたのです。偉大な対象にちっぽけな対象を添えた意外性が効を奏して、慈愛の眼差しを感じさせる句となっています。

孕鹿風を嗅いでは歩みけり      山田美恵子

 「孕鹿」が少し顔を上げて鼻をぴくつかせたのを見かけ、鹿が「風」を嗅いだように思った作者です。鹿は風の香をしっかり確認したかのように、また歩き出したのでしょう。鹿のそんな仔細ありげな様子に、作者は「孕鹿」のナーバスさを感じ取ったようです。

紅梅に竿かけて干す剣道着      大山 文子

可憐で匂やかな「紅梅」の枝にかけた干し物竿に、ごわとした無粋な「剣道着」が雫していたのでしょう。紛れもなく春が動き出した一景です。ふと「紅梅」に初々しい乙女を、「剣道着」に朴訥な青年をイメージしたのですが、読み過ぎでしょうか。

巣籠りの欅に雨の集まりぬ      蘭定かず子

 作者は欅にかかる「巣籠り」の頃の鳥の巣を仰ぎながら、巣の中で卵を抱く親鳥に思いを馳せているのです。しかし生憎の雨降り。親鳥と卵を案じる作者には、雨が欅にばかり強く降るように思えてならず、その思いが「欅に雨の集まりぬ」との呟きとなったのです。人のちょっとしたこころの動きが詩をうみました。

水の面を蹴つて発たざり春の鴨    河﨑 尚子

 蹼で水を騒がせた後、一向に飛び立つ気配を見せずに静かに浮かぶだけの鴨に、なるほど「春の鴨」だと納得する作者です。その頼りなげな様子に、北へ帰れなかった鴨の哀れさを感じたに違いありません。とは言え、鴨にもいろいろ思う所があるのでしょうが。

啓蟄の鞴にのこる灰明り       根本ひろ子

 作者は「鞴」に残る灰を眺め、ふと「啓蟄」を意識したのです。それは灰に冷たさではなく温かさを感じた故です。まるで「灰明り」に誘われ地中の虫たちが動き出したように感じられます。

渦潮の底ひへ睫毛伏せにけり     松本 薬夏

 「渦潮」を覗き込むと吸い込まれそうな錯覚に陥り、それを掻き消そうと眼を閉じるのはごく普通の行為でしょう。しかし、「底ひへ睫毛伏せにけり」には「渦」と身を一つにしようとするナルシシズムが窺えます。若い人らしい眩しさと危うさが混在する世界がここにあります。

にごる日をわれもわれもと葦の角   今澤 淑子

 葦の芽がどっと吹きだす候、弱弱しい日差しのうすら寒い日が多いものです。作者にそんな気候を「にごる日」と感応させたのは、「われもわれもと」芽立つ葦の盛んな活力に他ならないでしょう。写生という手段を用いて早春の季節感をまことに言い得ている一句です。

屋形船の昼の図体日永なる      山本 耀子

 この「屋形船」は夜桜見物の遊船でしょうか。麗らかな陽光を浴びて真っ黒な影をどっしりと落とし、夜の為の提灯や飾りがむやみに揺れているのが想像できます。その様子が辺りの春光にいかにも不似合に思えた作者は、「昼の図体」と皮肉ってみせたのです。

初蝶に泥のてのひら差し出しぬ    大東由美子

 作者は畑仕事か花の種や苗を植えていたのでしょう。ふと目を上げると「初蝶」が飛んでおり、嬉しくて思わず泥まみれの手を差し伸べたのです。美しい「初蝶」につい汚れた手を伸べてしまった悔やみが微妙に漂う、女性らしい一句です。

をんな声に遅れ匂へり沈丁花     坂口夫佐子

 「沈丁花」の香は沈潜とした漂い方をするもので、決して華やかな明るいイメージではありません。そこにした「をんな声」は辺りを払うような際立ったものだったのでしょう。「をんな声に遅れ匂へり」とは、宣なるかなの感覚。

凍ゆるむ土塀にまざる貝の殻     藤本千鶴子

 粘土等の材料に異物が混入すると「土塀」は脆くなるので、「貝の殻」は偶然材料に混在していたものか、それとも表面に装飾された現代のものかも知れません。いずれにしろ、「貝の殻」にはそこはかとなく夢があり、「凍ゆるむ」の思いを誘ったのでしょう。

梅の香とたづねて来たるあらぬ人   岡本 匡史

 思いがけない時、思いがけぬ方から「梅の香」が漂ってくると、漸く春の到来を実感し嬉しくなるものです。そんな候、思いがけぬ人が不意に訪ねて来たのです。「梅の香」と共に不意に訪れたその人がちょっとした春の使者のように思え、こころ弾ませる作者です。

仕立屋のユニオンジャック卒業期   藤田 素子

 「ユニオンジャック」を掲げる仕立屋はかなり高級な仕立屋でしょう。「卒業期」を迎える若者達にも、いつかは高級スーツを身に着ける日が訪れるだろうか、作者はそんな思いを巡らせたのかも知れません。「卒業期」の句に類想がないと思われます。