2017.4月

 

主宰句     

 

春霰となりきし箒ふためけり

 

拭き艶の柱を四方に盆の梅

 

佛らに文旦上がる雛の節

 

水辺来し裳裾鳴りけり雛の間

 

子の滑り込んだる草の芳しき

 

囀の手押しポンプに応へたる

 

青空の隙へすきへと囀れる

 

春雷やうす紙かむる胡蝶蘭

 

足元のさざ波に色お中日

 

花蘇芳風の小暗く寄るところ

 

 巻頭15句

                   山尾玉藻推薦                  

人日の摑みてぬくき花かつを        蘭定かず子

編みさしに編み棒挿しぬ雪しぐれ      山田美恵子

雪だるまの絵手紙に無き差し出し名     小林 成子

青空の押しだす梅の蕾かな         坂口夫佐子

蠟梅や風の集まる池の底          大山 文子

ほどほどに混んで日のある初閻魔      深澤  鱶

若菜摘むもとよりあらぬあねいもと     西村 節子

柚子湯出で湯ぶねのへりの何やかや     山本 耀子

凝らし読む焚火明りの初神籤        林  範昭

にはとりのはじき返せしふくさ藁      西畑 敦子

初鶏の声わり込みし鳩の群         湯谷  良

枯葛に雀突つ込む夕明かり         井上 淳子

宝船メンソレータム足裏に         高尾 豊子

冬ざれや河原へ架けてある梯子       河﨑 尚子

あをぞらにまなうら痛む初日記       松本 薬夏

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻                  

人日の摑みてぬくき花かつを      蘭定かず子

 新年も七日ともなると厨仕事も普段とあまり変わらなくなるもので、厨に立つ作者も自ずと正月気分が薄れていたのでしょう。しかし何気なく摑んだ「花かつを」のふわりとしたほのぬくい感触に、ふとまだ七日であることを思い出したのです。「まだ新年の内」という穏やかで温かな何かが胸中に広がったことでしょう。

編みさしに編み棒挿しぬ雪しぐれ    山田美恵子

 昔は編み物をよくした私も、「編さしに編み棒挿しぬ」の動きをまざまざと思い出しました。この動きは編み物に集中していた自分を一旦絶つ一瞬の動作と言えます。作者も立ち上がる時、編みさしに片方の編針をついと差しこみました。「雪しぐれ」の冷たさが、致し方なく立ち上がった心情をそれとなく語っているでしょう。

  雪だるまの絵手紙に無き差し出し名    小林成子

葉書から今にも転がり出さんばかりの可愛い雪だるまの絵に、作者は目を細めています。「無き差し出し名」と言いながら、作者は差出人を先刻承知なのです。そう、差出人はお孫さん。「孫、孫」と言い募らなくても孫は詠めるものであり、掲句のような孫俳句は大歓迎です。

  青空の押しだす梅の蕾かな         坂口夫佐子

 春の気配が一進一退する候、晴天の下で「梅の蕾」が膨らみ始めました。今にも開かんばかりの蕾の様子に、「青空の押しだす」と思い切って空にシフトチェンジした点が非常に斬新であり、しかも蕾のもつ本源的なエネルギーを鮮やかに活写しています。アニミズムの一空間が独自の表現法で描かれた一句と言えるでしょう。

  臘梅や風の集まる池の底         大山文子

 浚われて底が露わとなった池ほど味気なく寒々しいものはありません。そんな景を後ろに「臘梅」が芳しい香りを漂わせている。全く相反する対象を遠近にして、作者は二物を融合させる風に注目しました。乾びた池底にも風に乗った臘梅の香が流れていたことでしょう。

  ほどほどに混んで日のある初閻魔     深澤 鱶

 白毫寺の「初閻魔」に詣でた日も程よい混み具合でした。甘酒を頂きながら檀家さんと会話を楽しみ、日を溜めた萩壺を眩しく眺めながら、明るくゆったりとした淑気を実感していました。掲句からも、境内よりする参拝者の穏やかな声々に、閻魔王の睨みもさぞ緩んでいただろうと想像されます。真っ赤な幟も華やいでいたことでしょう。新年らしいのびやかな目出度さを思わせる一句。

  若菜摘むもとよりあらぬあねいもと    西村節子

 私も同様、齢を重ねるとはらからのない境遇を一層淋しく感じるものです。殊にゆかしい気分となる「若菜摘」などをしていると、女性は自分に姉妹がないことを改めて振り返る境地となるのでしょう。若菜を摘む指先の冷たさをふと感じさせる作品です。

  柚湯出で湯ぶねのへりの何やかや     山本耀子

 「柚湯」に浸ると今年も無事に過ごせたこの一年への安堵と感謝の思いに満たされます。しかしこの充足感も、湯船を出て辺りにあるとりどりの小物を片づけるという現実に、たちまち薄らいだのでしょう。この作者特有の穏やかな諧謔が快い一句です。

  凝らし読む焚火明りの初神籤       林 範昭

 この焚火は寺社の境内で年を越す「年の火」でしょう。「初神籤」に何を引き当てるかは、誰しもが気になるもの。「焚火明り」をたよりに神籤を読む作者の神妙な面持ちが想像されます。

  にはとりのはじき返せしふくさ藁     西畑敦子

 新年の門口や庭に敷く新藁を「ふくさ藁」といいます。放し飼いにされている鶏が、常のように蹴爪でそれを勢いよく弾き飛ばしたのでしょう。新年といえども鶏にとっては常と全く変わりません。しかしながら、弾き飛ばされた新藁が一瞬きらりと光り、忽ちその香が立った景は、これまた目出度い新年の一景に違いないのです。

  初鶏の声わり込みし鳩の群        湯谷 良

 元朝、鶏鳴が鳴りひびき、その声が地面に屯する鳩たちの中を筒抜けに過ったのでしょう。量感と余韻ある鶏鳴とくぐもった鳩の鳴き声を照応させた点、「声わり込みし」に実体感があります。

  枯葛に雀突つ込む夕明かり        井上淳子

 「枯葛」が草叢や木々に絡みつく景は興ざめなもの。しかし、思いがけず雀がそこへ突っ込み、作者は驚いたのです。深々と枯れ尽していると思われた世界にも、いきいきと生き抜く小さな命を改めて感じたことでしょう。その後は元の静けさが戻った「夕明かり」だけの世界。

  宝船メンソレータム足裏に        高尾豊子

 作者は毎晩、足裏に「メンソレータム」を塗り込んで眠るのでしょう。このごく日常的な行為と非日常的な「宝船」を関わらせている点に、今晩こそは佳き「初夢」を期待する作者の心境が手に取るように知れます。

  冬ざれや河原へ架けてある梯子      河﨑尚子

 河原へ下りるための一本の「梯子」が架けられてある景であり、一句はそれのみを提示します。しかし、たった一本の梯子という具象に、河原の白々とした涸れようと、辺りの涸れざま、そして見渡す限りのもの寂しい世界を、ずぼっと直に伝える力が生じています。全ては季語「冬ざれ」の働きです。これこそが俳句の命は季語とされる所以です。

  あをぞらにまなうら痛む初日記      松本薬夏

 中七までの呟きに新年の慶賀とはかなり隔たる心情が窺い知れ、新年詠に敢えて「痛む」の一語を据えた思いは深いと思われます。しかし一句のテーマであるのは「初日記」、言外にこれからは少しずつでも明るい内容を綴りたいという願いも伝わってきます。