2016.11月
主宰句
手窪てふうれしき容豊の秋
声聞きしことはなけれど榠樝の実
火宅に灯ひとつふたつと秋の蛇
喪ごもりの家の柿の実夥し
義仲寺のかりがね寒き杉手桶
上の座に熊皮敷ける十三夜
かまつかの丹のさだまりし葬かな
すくも火に神々眠き夕べかな
留守宮の空へぬけたる杓の音
吹かれつつ蓑虫きつと地獄耳
巻頭15句
山尾玉藻推薦
夜の秋のロビーで買ひし海のもの 小林成子
雁や干せばかがやく割烹着 蘭定かず子
月白や鯉よりて藻の匂ひ立つ 山田美恵子
夏果の岩塩に寄る牛の貌 大山文子
さざ波に影の生るる法師蟬 垣岡暎子
蟬声の底ひなりけり本能寺 坂口夫佐子
大夕立艫も舳も約りし 深澤 鱶
襖絵の海開けてある無月かな 山本耀子
雨止んで金魚色濃き城下町 根本ひろ子
それぞれの帯の高さに踊りけり 大東由美子
編棒を取りに二階へ夜の秋 松井倫子
秋風やジャングルジムの檻めける 藤田素子
夏菊にふた夜過ごせし白柩 今澤淑子
送り火に屈みに来たる隣の子 助口もも
夕風に揺るる順ある瓢かな 藤本千鶴子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
夜の秋のロビーに買ひし海のもの 小林 成子
旅の途中ふと秋の気配を覚える夜。旅に在った作者が土産物を買いにホテルのロービに降りて行ったところ、土産物コーナーに並ぶ新鮮な海産物がロビーに潮の香を放っていたのでしょう。「夜の秋」と「海のもの」の取り合せが程よいひびき合いをしています。「山のもの」「野のもの」「畑のもの」では一句として成立しないでしょう。
雁や干せばかがやく割烹着 蘭定かず子
一般家庭で「割烹着」を着用する女性を見かけなくなりましたが、「割烹着」はやはり働き者の母を強くイメージさせます。だからこそ「干せばかがやく」には実感があるのです。悠久的な「雁や」の詠嘆を受けて「割烹着」は全く遜色ない対象と言えるでしょう。
月白や鯉寄りて藻の匂ひ立つ 山田美恵子
作者の足音に寄ってきた鯉たちが水面を騒がせた途端、池の藻が強く匂ったのです。よほど鯉たちの勢いが凄かったに違いありません。「月白」の薄明りの中、むっとするような藻の匂いです。
夏果の岩塩に寄る牛の貌 大山 文子
草食動物の牛は餌から塩分を摂取できないので岩塩をよく舐めるようです。しかし作者は、岩塩を舐める牛の舌にではなく「牛の貌」に焦点を絞りました。「顔」ではない「貌」の表記から、それが酷暑の夏を過ごした牛なりの疲れを漂わせていたことが想像されるでしょう。
さざ波に影の生るる法師蟬 垣岡 暎子
さざ波をさざ波が被さるように追いかけ、先のさざ波に翳りが生じる景には、いかにも晩夏らしい気怠さが漂っています。「法師蟬」がけたたましく鳴いて気怠さを弥増すようです。
蟬声の底ひなりけり本能寺 坂口夫佐子
寺町通商店街の外れにある本能寺に足を踏み入れると、そこは異次元のような静寂さです。樹齢を重ねた大銀杏の下で蟬時雨を浴びると、間違いなく「底ひ」の思いがするのでしょう。
大夕立艫も舳も約りし 深澤 鱶
突然の「大夕立」に、作者の眼前をいく船も忽ちの内に烟り始めたのでしょう。そんな瞬時の船の変容を描いて「艫も舳も約りし」の感覚は斬新で大胆、尚且つ的確であると考えます。
襖絵の海開けてある無月かな 山本 耀子
襖絵の力強い大海も、襖が開かれていれば迫力もあったものではありません。座敷はいかにも締まりのない空間。折からの「無月」のぼんやりとした明るさの中、一層もの足りなさを覚える作者です。
雨止んで金魚色濃き城下町 根本ひろ子
大和郡山の嘱目詠。この地は「金魚」の養殖が盛んで、市役所には勿論のこと、酒屋に喫茶店に眼鏡屋に金魚が泳ぎ、溝川を覗いても屑金魚がちょろちょろしています。雨が止んで町中がしっとりとした中、あちこちで金魚が鮮やかに翻っているのです。小さな城下町に金魚の緋いろが自然と溶け込んでいます。
それぞれの帯の高さに踊りけり 大東由美子
「踊り」の艶やかさは胸や腕をしなわせるところにあり、帯より上の身の動きがものを言います。ところで躍る老若男女の帯の高さはまちまち。そこに着眼したのが掲句であり、詠みに全くぶれがありません。「踊り」の本情を捉えた巧みな一元句と言えます。
編棒を取りに二階へ夜の秋 松井 倫子
部屋内を抜ける夜風にふっと編み物の事を思い出し、確か二階にあった筈と「編棒」を二階へ探しに行った作者です。でも直ぐ編み物を始めた訳ではなく、そのうちにと身の横に編針を置いたのでしょう。「夜の秋」とはそんなものです。
秋風やジャングルジムの檻めける 藤田 素子
夏の間はそんな風に感じなかったのですが、今日ジャングルジムの端を通った時の正直な寸感でしょう。「秋風」はすべてのものに翳りを生んで蕭蕭と過ぎていきます。
夏菊にふた夜過ごせし白柩 今澤 淑子
「夏菊」は秋のそれのように大輪でも華やかでもなく、香りも乏しものです。そんな「夏菊」に囲まれてこの柩は二晩を過ごしたのです。金襴の柩ではない白い柩が一層哀しみを誘います。
送り火に局みに来たる隣の子 助口 もも
独りで焚く「送り火」は淋しいものです。そこへ隣の子が「何ンしてるン」と不思議そうに近づいてきたのでしょう。細ごまと説明する作者の横顔が嬉しそう。日本の佳き習慣は是非残したいものです。
夕風に揺るる順ある瓢かな 藤本千鶴子
棚にぶら下がる瓢には大小があり、それぞれが夕方の風に応えるのに間合いがあったのでしょう。それを「夕風に揺るる順ある」と表現した点で瓢の句らしい飄逸さが生まれました。