2016.10月

 

 

主宰句  

 

足もとに水輪のとどく晩夏かな

 

新蕎麦に正一合の昼の酒

 

風ぐせの萩まつさきに刈られけり

 

芋虫のまるごとといふ転げやう

 

なにがなく来しがかほどの黍嵐

 

棒切れで月白の水打ちゐし子

 

日照りつづきは曼珠沙華嗤ふゆゑ

 

鴨たちへ足の向く身の露けしや

 

このごろの懐具合柚は黄に

 

ととのひし松ととのはぬ松暮秋

 

巻頭15句

                             山尾玉藻推薦              

大前を退る沓音日の盛           大山文子

雪渓の空の近きを恐れけり        蘭定かず子

白雲に少し近づくラムネかな       坂口夫佐子

蛇すべり込む葭原の水の照り        山本耀子

蟬しぐれ蟬の屍をこぼしけり        助口もも

室蘭のトラックに蹝く雲の峰        小林成子

睡蓮の張り詰めてゐし弁財天        深澤 鱶

通されてしばらく昏し簟         山田美恵子

仕出し屋のうしろ流るる祭川        松山直美

鉾縄に仕上げの鋏入れられし        河﨑尚子

昏れぎはに海猫をこぼせり大夕焼      大内和憲

立ち上がるとき畳の香夕立晴       大谷美根子

裸子を裸のままに預かりし         西畑敦子

木の暮を禰宜捧げゆく文書箱      林 範昭

神戸より戻りし夜の水中花      涼野 海音

 

今月の作品鑑賞

          山尾玉藻     

 

大前を退る沓音日の盛       大山 文子

強い日差しの下で神事が執り行われ、祝詞を捧げ終えた神官が後ろすさりに大前を離れていきます。沓がにじる度に敷き詰められた真砂が音を立てたのでしょう。灼け切った真砂はどんな音を立てたのでしょうか。読み手の想像を大いに喚起させる一句です。

雪渓の空の近きを恐れけり     蘭定かず子

この雪渓はかなり高山のもので青空へ聳え立つスケールの大きなものでしょう。作者はその凄みを雪渓にではなく雪渓に直接関わる空に感じ、仰ぎ見て率直に「恐れけり」の感慨を覚えたのでしょう。大自然への畏敬に実体感があります

白雲に少し近づくラムネかな    坂口夫佐子

空を仰ぎながら飲むラムネは爽やで美味しいものです。作者もそんな爽快感から、火照る体が少し軽やかになっていくのを覚えているのでしょう。「白雲に少し近づく」とはその感覚を指しているのです。

蛇すべり込む葭原の水の照り    山本 耀子

葭の隙を縫いながら蛇がゆっくりと水へ消えていったのでしょう。それを目撃した作者には、葦原の水面に今までとは違う気配が漂うように思えたのでしょう。その感応の証が下五を「水の照り」と結んだ点にしっかりと見て取れます。

蟬しぐれ蟬の屍をこぼしけり    助口 もも

蟬が盛んに鳴く木の下での寸感。木から不意に零れ落ちてきた蟬が動かなくなったのでしょう。そんな景を描くのに鮮やかにシフトチェンジし、蟬の声々が仲間の蟬の屍を零したと断定したのです。この表現が意外な臨場感を生みました。

室蘭のトラックに蹤く雲の峰    小林 成子

自分が乗る車の前を「室蘭」ナンバーのトラックが走っているのを見て、忽ち北海道へこころ馳せた作者でしょう。しかし、北海道は遠く立ち上がる雲の峰よりもずっと遥かなる地。作者はまたトラックのプレートの「室蘭」の字に眼を戻します。固有名詞「室蘭」が理屈無しに効果的です。

睡蓮の張り詰めてゐし弁財天    深澤  鱶

睡蓮が咲く池に迫り出すようにして弁財天堂があるのでしょう。弁財天は音楽や財福をつかさどる女神。その女神を讃歌するごとく、睡蓮が挙って赤白の花弁を張っているのです。華やかさの中の絶対的な静寂に包まれた世界を描きだしました。

通されてしばらく昏し簟      山田美恵子

人の家を訪ねて簟を敷きのべた部屋に通されたのです。明るい炎天下を来た作者が部屋内を暗く感じるのは特別珍しいことではないのですが、簟の冷たい感触がその感覚を一層募らせたのでしょう。

仕出し屋のうしろ流るる祭川    松山 直美

祭の日は仕出し屋は多忙でお祭りどころではないのでしょう。しかし店の裏を流れる川面に店内の灯がこぼれて華やかに揺らぎ、川音までも常とは違い弾むようにも聞こえてたのでしょう。

鉾縄に仕上げの鋏入れられし    河﨑 尚子

祇園祭の山や鉾は木の部材を組み合わせ縄のみ組み立てられますが、綿密に縛られた縄模様はとても美しいものです。組み上がった最後の縄に鋏が入り涼やかな音を立てました。男衆の歓声がどっと上がったことでしょう。

立ち上がるとき畳の香夕立晴    大谷美根子

夕立の後は戸外のものはことごとく生気を取り戻し、一木一草さえ匂い立つようです。部屋内も同じ、ちょっとした動きにも涼やかさが伴い、それまで感じていなかったものを改めて意識させる雰囲気となります。「畳の香」が正しくそれなのです。

裸子を裸のままに預かりし     西畑 敦子

裸子なのだから「裸のまま」は当然、などと野暮は言わないこと。はてこれからこの子をどう扱おうか、と思案する作者の少し気の毒な胸中を読み取らねばならないでしょう。そうは述べずに述べている、なかなか巧みな表現です。敦子さん、こんな時は思い切って裸の付き合いをするしか手はないかもしれませんよ。

木の暮を禰宜捧げゆく文書箱    林  範昭

文子さんと同じく神官を詠んで場所設定が対照的です。うす暗い木暮の中を文書箱を丁重に捧げていく神官のシルエットが見えてきます。気になるのは文書箱の中身ですが。

神戸より戻りし夜の水中花     涼野 海音

「神戸」には洒落たイメージがあり、それに反し「水中花」は色褪せたイメージがあります。その点に少し狙いがあるのかも知れません。しかし、この二物が醸し出す世界に陰陽ないまぜの大正モダニズムの匂いがして、やはりこころ惹かれます

水音を吸ひつぐ夜空初穂出づ     大東由美子

稲の根に活力を与える為に梅雨明けの稲田は干され、穂を結ぶ頃はまた十分に水が張られると聞いてます。「初穂」の頃、田では夜通し水音が絶えないのでしょう。「水音を吸ひつぐ夜空」とは、夜空に昼間の暑さがまだ残っているような思いから成った感慨でしょう。しかし同時に「初穂」を見出してこころ安らぐ作者でもあります。