2015.11月
主宰句
国栖人の掌の上の熟柿欲しかりし
たはやすく風をあしらふ曼珠沙華
當麻路の月に匂へる戻し藁
切支丹燈籠に色変へぬ松
秋水へ前垂れはたく骨董屋
雲水が荷を置く草のもみづれる
とろろ汁供ふ掻つ込み癖諭し
夫の墓銀杏黄葉をさても著て
祇王寺の床几に小鳥降りにけり
竹林の天辺さわぐ冬支度
巻頭15句
山尾玉藻推薦
雲版の一打に秋の渡るなり 蘭定かず子
明日帰ることを知らざる花火の子 小林成子
鷺草の翅のやつれに初風来 奥田順子
波打てる葦のこゑごゑ燕去ぬ 山田美恵子
頓宮のれんじ抜けきし秋の声 坂口夫佐子
ひぐらしや水の流れは藻の流れ 山本耀子
手より手へ草市のもの滴らす 深澤 鱶
かなかなや色分かち初む海と空 大山文子
とんぼ来てゐる雲梯の水溜り 西村節子
雨雲の海へ出でゆく花野かな 助口もも
うろくづのきらきら過る盆の月 松山直美
母急かせ父来しけはひ茄子の馬 井上淳子
次の間はをんな五人のとろろ汁 林 範昭
松風に振り返りたる補虫網 涼野海音
灯の窓に人影動く厄日かな 河﨑尚子
今月の作品鑑賞
山尾玉藻
鷺草の翅のやつれに初風来 奥田 順子
鷺草の花は鷺が大空に羽根を広げて舞うような優雅な様子に咲きますが、数日で黄ばんでしまう繊細な花でもあります。吹く風にふと秋の兆しを覚えた日、鷺草の花の翼辺りが萎え始めていたのでしょう。折角の初風に舞い立つことの叶わぬ鷺草に哀れを覚える作者でしょう。本来は新年の季語「初風」と異にする「秋の初風」ですが、この場合は句意からして秋は不要と思います。
波打てる葦のこゑごゑ燕去ぬ 山田美恵子
渡りの前になると何万羽の燕が葦原に集結しますが、塒入りには空が燕で暗くなるほどの壮観さです。掲句はその燕たちが南方へ発ってしまった後の景です。風に揺れて鳴る葭原の音を「葦のこゑごゑ」と見立てて、燕が去ってしまった葭原の寂しさを伝えています。
雨雲の海へ出でゆく花野かな 助口 もも
先ほどから気掛かりであった雨雲が海へと流れ始め、陽光が射し始めた花野がゆかしい色を取り戻して行くようです。同時に海がゆっくりと翳り始めます。言外に静かに移り行くグラデーションの世界が描かれているビジュアル的作品です。
うろくづのきらきら過る盆の月 松山 直美
水面に静かに映える盆の月を小さな魚の群が横切った瞬時を捉えました。省略の効いた写生詠に盆を過ごす作者の満ち足りた静ごころが窺えます。
次の間はをんな五人のとろろ汁 林 範昭
とろろ汁を出す料理屋での寸感でしょう。作者の部屋の隣の間の客はどうも女性五人らしいのですが、先ほどからよく喋りよく笑い合っています。その上とろろ汁を啜り合う音も賑わしいのでしょう。そのことを少々いとわしく思いつつ、作者もまたとろろ汁を啜る音を立てているのでしょう。諧謔味充分です。
松風に振り返りたる補虫網 涼野 海音
松原を抜ける補虫網の子が不意に後ろを振り返ったのです。作者にはまるでその子が折から吹き抜ける一陣の松籟に驚いて振り返ったように思えたのです。いえ、子供は本当に松の風音に驚いたのかもわかりません。そのどちらであっても良いのです。秋の気配を覚える晩夏のある日、というような趣が漂っているのが好もしいのです。
今生にしがみつきをり蝉の殻 藤田 素子
木の枝や幹から蝉の殻を剥がすのは意外と簡単なことではなく、思いがけなくも蝉の殻に抵抗されているような思いとなるものです。命の無い抜け殻であるだけに「今生にしがみつきをり」の措辞が蟬殻の虚しい存在感を弥増しています。
ガレージの屋根より夕立来りけり 影山 悦郎
夕立が来るのではないだろうかと思っていた矢先、不意に雨粒がガレージを激しく叩き始めたのです。ガレージの屋根はトタンやプラスチックでしょうから、その音はかなり賑やかだったことでしょう。爽快な表現で見事な夕立の一元句となりました。