2022.6月

 

主宰句

 

青饅のあをの跳ねたる割烹着

 

柚子咲ける朝は声をつつしめり

 

夕かけて筒井に日ざす昭和の日

 

八十八夜船頭小屋に声のして

 

遥かより蹄駈けくる朴散華

 

水に音葭に髄ある立夏かな

 

山々に朝の力初幟

 

飛び石を来る子を染めつ若葉雨

 

南風に雫とばされ太竹瓮

 

あはうみの月に這ひ出し蝸牛

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦            

 

花烏賊を引きし柳刃蒼みけり     蘭定かず子

 

野遊に見知らぬ人のまぎれゐし    山田美恵子

 

瑠璃蜥蜴出づや巌に鉄鎖垂れ     坂口夫佐子

 

船みちの賑はひ初めし花辛夷     湯谷  良

 

ましぐらに古巣へ月の波頭      今澤 淑子

 

幔幕の裏に人ごゑ雛売場       五島 節子

 

観音へおのづと流れ春の水      小林 成子

 

卒業期欅の寄生のきはやかに     松井 倫子

 

囀のかき消す鳩の恋の声       藤田 素子

 

桃の日の家裏を泣いて行く子かな   尾崎 晶子

 

あたたかや吾へ向きなほる母の耳   大東由美子

 

蟾蜍出づや村を捨てたる人の声    白数 康弘

 

みづうみをしばらくぬらし春の雪   松山 直美

 

風花や空の扉の開きしごと      田尻つばさ

 

雛の日や紺のスーツの調律師     福盛 孝明

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻           

花烏賊を引きし柳刃蒼みけり    蘭定かず子

 「花烏賊」は桜の頃に捕れるやや小ぶりの烏賊。それを細く引きながら、恐らく指先に桜の候特有の冷えを覚えたのでしょう。包丁を「蒼みけり」と反応したのはこの冷えの所為であり、それに加えて尖った「柳刃」の形が一層その感応を強めたと思われます。

野遊に見知らぬ人のまぎれゐし   山田美恵子

 「野遊」の最中、仲間以外の「見知らぬ」人が居ることに気づいた作者。偶々辺りを通りかかった人に仲間が声をかけたのか、それとも草摘の人がいつの間にか仲間に紛れていたのでしょうか。いずれにしても作者が愈々長閑な思いとなったのが想像されます。

瑠璃蜥蜴出づや巌に鉄鎖垂れ    坂口夫佐子

 「瑠璃蜥蜴出づ」と「鉄鎖」の存在に特別な関りはありません。しかし蜥蜴の美しい瑠璃色と俊敏な動きを想像すると、巌に垂れる鉄鎖の冷たげな色や量感が自ずと実感できます。巧みな二物衝撃の一句です。

船みちの賑はひ初めし花辛夷    湯谷  良

 「辛夷」が咲く早春は諸々が活動し始め、人の感覚も自ずと鋭くなります。作者も遥か沖の航路を行き交う船も増えていることに気づいたようです。遠い沖の船影と純白の「花辛夷」との取り合わせが印象的です。

ましぐらに古巣へ月の波頭     今澤 淑子

 月明下の裸木に鳥の「古巣」が見え、その古巣を目指すかのように、傍らの湖か海の「波頭」が途絶えなく駈け続けています。俳句は下五次第と言われますが、「月の波頭」と納めて心憎い出来ばえとなっています。 

幔幕の裏に人ごゑ雛売場      五島 節子

 「雛売場」は優美な雰囲気を湛えているものですが、それを囲う「幔幕の裏」から人の声が漏れてきたのです。作者は幔幕一枚で隔てられた現実と非現実の世界のギャップを面白く感じています。

観音へおのづと流れ春の水     小林 成子

 観音堂近くの小川でしょう。春を迎えた流れを見詰めていた作者がふと洩らした独り言のような十七文字です。理屈無しに詩ごころの豊かさを感じさせます。

卒業期欅の寄生のきはやかに    松井 倫子

「寄生(ほよ)」は寄生木の古名です。すっかり落葉した欅に寄生のシルエットが際だっています。折から「卒業期」、寄生に宿る月日と卒業を迎える者達の月日を重ね、しみじみと時の流れを思う作者です。

囀のかき消す鳩の恋の声      藤田 素子

 春は鳥の恋の季節。鳩も例外でなく懸命に鳴きつつ雌の周りをぐるぐる回り訴えます。しかしそのくぐみ声は空から降る小鳥達の張った「囀」には到底勝てません。「かき消す」で雄鳩の気の毒な姿が増幅します。

桃の日の家裏を泣いて行く子かな  尾崎 晶子

 「桃の日」、家の裏を子供が泣きながら過ぎていきます。作者は桃の日を意識している点から、この子は女の子でしょう。作者の気がかりがよく解ります。

あたたかや吾へ向きなほる母の耳  大東由美子

 母上は片耳が疎くなられたのでしょう。何故なら「向きなほる」から、作者の方へ聞こえる方の耳が向くようにわざわざ体の向きを変えられた様子が知れるからです。「あたたかや」と大らかに述べた所に、老いた母を慈しむ思いが籠められています。

蟾蜍出づや村を捨てたる人の声   白数 康弘

 地方では過疎化が進む一方ですが、作者の住む地も同様なのでしょう。作者は、今年も変わらず穴を出てきた「蟾蜍」の鳴き声と、村を捨てて行った人の声を重ね、寂しい現実をアイロニカルに詠みました。

みづうみをしばらくぬらし春の雪  松山 直美

 掲句、「春の雨」なら当然ごとでしょう。しかし「春の雪」ならごく瞬瞬でも湖面に浮かび、それから湖水と一つになる筈です。作者も雪が水に変る僅かな時を感じたからこそ「濡らす」と敢えて述べたのだと思います。

風花や空の扉の開きしごと     田尻つばさ

 青空から不意に耀いつつ降ってくる「風花」は、神が遣わされた美しい使者のようです。作者もそんな思いから「空の扉の開きしごと」と喩えたのです。甘い情緒に流されていないこの表現に共感を覚えます。

雛の日や紺のスーツの調律師    福盛 孝明

 一見「雛の日」と調律師とは無関係のようですが、調律師の「紺のスーツ」には礼を失しない堅実なイメージがあり、その点で雛の日と過不足なくバランスがとれています。俳句は詩、元より詩は理屈からは生まれるものではありません。