2022.5月

 

主宰句

 

春キャベツ刻み過ぎしが足らぬなり

 

観音の腰あたりより蝶生まる

 

茫々の半月浮かぶ春子山

 

何の巣と拾うてをれば囀れる

 

花の日の陰の神まで翁づれ

 

川の面に映えことごとく夕桜

 

鯛飯の蓋とれば花満開に

 

嘴太の声も習うて雀の子

 

春眠の嬰に流るる飛行船

 

くらくらと竹叢出づる番蝶

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦    

 

目覚めし首立てて白鳥残りけり    山田美恵子

 

雪代の化石の谿をし吹きけり     蘭定かず子

 

木の芽煮て有馬は細き道重ぬ     湯谷  良

 

まんさくに風出で遠嶺耀へり     根本ひろ子

 

料峭や用水桶のちりめん皺      坂口夫佐子

 

涅槃絵図胸の赤子を抱きなほし    五島 節子

 

野遊のひとり屈めばみな屈み     小林 成子

 

ひと畝の学習畠の麦踏める      西畑 敦子

 

啓蟄や掃き出し窓の開いてゐる    松井 倫子

 

屈むこといよいよ大儀苗木市     鍋谷 史郎

 

啓蟄や蹼は草踏み締めて       今澤 淑子

 

合流のもつれへ落つる紅椿      松山 直美

 

虹色を発す涸池の捨て瓶       井上 淳子

 

土に痩せ枝に膨らみ寒雀       石井 耿太

 

鳥ぐもり齢とるほど人見知り     成光  茂

 

今月の作品鑑賞

         山尾玉藻               

目覚めし首立てて白鳥残りけり   山田美恵子

 「白鳥」は自分の背に長い首を折り畳むようにして眠り、その猫が眠るような姿は余り美しい光景とは言えません。が、眠りから覚めて首を立て直すと美しいシルエットを取り戻します。そんな白鳥を見て、作者はその美しさに少し寂しさを見て取っているようです。作者の「残る白鳥」という意識が働いた由縁です。

  雪代の化石の谿をし吹きけり    蘭定かず子

 以前この渓谷からナウマン象の化石が出土したのかも知れません。下五「し吹きけり」が、谿を駆け下る「雪代」の気負いを表出しており、これは未だ地中に眠り続けているかも知れぬ他の化石を目覚めさせるほどに響いていたのでしょう。僅か十七文字が雄大な歴史的ロマンを語りかけてくるようです。

木の芽煮て有馬は細き道重ぬ    湯谷  良

 湯の町「有馬」はとても入り組んだ細い坂道ばかりで、「細き道重ぬ」は的を射た表現です。折から、路地にそった土産物屋から「木の芽」の佃煮を作る匂いが漂い、作者は遅い春が訪れた有馬をゆっくりと楽しんでいます。

まんさくに風出で遠嶺耀へり    根本ひろ子

 「まんさく」は早春の花の中でさきがけ的な花、ちりちりと紐状の花びらも珍しい花です。その黄色い花がきらめきつつ風にそよぎ、それに応えるように遠くにのぞまれる嶺々もきらきらと輝いています。奥行きのある景に春を迎えるこころ踊りが躍如としています。

料峭や用水桶のちりめん皺     坂口夫佐子

春風が肌に冷たく感じる日、「用水桶」に張られてあった水の面が風に押されて細やかな襞を畳んでいたのでしょう。しかし「ちりめん皺」の細やかさが逆に肌寒さを募らせ、読み手にも料峭感がよく伝わってくる肌触りを覚える一句となっています。

涅槃絵図胸の赤子を抱きなほし   五島 節子

 恐らく赤子を抱くのはその母親、母に抱かれる赤子は熟睡中でしょう。母親は「涅槃絵図」に興味津々で、絵図をしっかり見ようと身を乗り出さんばかりなのです。しかしそこは母親、その前に胸の赤子をしっかりと抱き直すことは忘れません。

野遊のひとり屈めばみな屈み    小林 成子

 「野遊」の最中、一人が野花を摘み始めたのでしょうか、それに気づいた他の人達も次々と局んで花を摘み始めたようです。楽し気に交わす声々が風に乗って聞こえて来ます。

ひと畝の学習畠の麦踏める     西畑 敦子

 作者は長らく大阪の長居植物園でボランティア活動をされています。小学生の為に「学習畠」が設けられていて、今日は「麦踏」の体験学習の日なのでしょう。たった一畝でも子供達にとっては貴重な体験です。真剣な面持ちで麦の芽を踏む子供達が見えてきます。子供達は麦を踏んだ足裏の感触を、後のち忘れないことでしょう。

啓蟄や掃き出し窓の開いてゐる   松井 倫子

 家屋の殆どが木造で、また掃除機も無かった頃、「掃き出し窓」はとても便利で、箒で家内の塵埃を掃き出したり風を通したりしたものです。今は掃き出し窓も珍しく、それが開かれたままなら気になるでしょう。「啓蟄」の日、開けっ放しの掃き出し窓は、地中から這い出てきた虫達を誘っているようでもあり、愈々気がかりです。

屈むこといよいよ大儀苗木市    鍋谷 史郎

 前出の野遊の句と異なり、局むのは厄介であると少々嘆き節となっています。局んで苗を選びたいのは山々ながら、古びてきた膝を何度も使うのは骨の折れることです。「苗木市」ならではの老齢の思いが綴られていて、苗木市でのこの発想はなかなかユニークで、また実感が籠められています。類想類句の心配は不要でしょう。

すかんぽや段取り通りいかぬこと  林  範昭

 真面目な作者のこと、何かの目的の為に細やかに順序や方法を念入りに検討されていたのでしょう。それでも人が係るとそうそう思惑通りに事は運ばないものです。野放図に伸びる「すかんぽ」があざ笑っているようです。

啓蟄や蹼は草踏み締めて      今澤 淑子

 この「蹼」は残り鴨でしょうか。陸に上った鴨はどこか不自然で、「草踏み締めて」からも不格好に歩く様子が想像され、こころ和む思いへと繋がって行きます。そんな楽し気なショットと「啓蟄」とをモンタージュさせ、自然界の生あるものが活動し始める気配をいろ濃く伝えます。

合流のもつれへ落つる紅椿     松山 直美

支流が本流に流れ込む辺りは水がもつれ合っていますが、その水音は高らかに春の訪れを伝えています。掲句、水辺の「紅椿」の一輪が、その縺れへ引き込まれるように落ちた瞬時を捉えた写生句です。<落椿われならば急流へ落つ 鷹羽狩行>を自ずと想起させる一句です。

虹色を発す涸池の捨て瓶      井上 淳子

 この句の鑑賞は敢えてする必要はないでしょう。しかしこの即物写生に徹した一句にはたと膝を打ちました。大方の人が見向きもしないような景に着目し、写生という詠法による小さな発見があり、大袈裟ですがこれが俳句の醍醐味です。破調も却って句の印象を強めています。

土に痩せ枝に膨らみ寒雀      石井 耿太

 「土に痩せ」は乏しくなった餌を求め地面を懸命に啄む様子、また「枝に膨らみ」は羽根を膨らませじっと暖をとる様子を描いたもので、どちらも寒中の雀を的確に捉えています。これを対句的に並べ、「寒雀」の微笑ましくも哀れな様子を十分に伝えています。

鳥ぐもり齢とるほど人見知り    成光  茂

 作者自身を正直に述べられた句として鑑賞しました。実は私も「人見知り」がひどく、この負の性格は人生経験を重ねれば重ねるほど大きく自己を支配するのです。「鳥ぐもり」の頃、本能に従い厳しい旅に発つ鳥達を思うにつけ、ちっぽけな自分がますます疎ましくなってきます。