2021.10月

 

主宰句

 

八朔や馬の睫に風の綺羅

 

遥かなる風の花野を見る花野

 

小鳥らの渡りありたる軍神 

 

さ筵の雑茸を選る膝ゆたか

 

杉山のかかり声する野分晴

 

ひやひやと水鉄砲にのこる水

 

さびしいとよほろつつきしゑのこ草

 

色鳥のいれかはり降る祇王祇女

 

円卓のとんぶり行つたり来たりせり

 

曼珠沙華パンデミックを嗤ひ出で

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦      

 

打水の音とときをり桶の音        坂口夫佐子

 

ひとひろの橋渡りたる涼かな      小林 成子

 

日盛に用足しに出る寂しさは       湯谷  良

 

その顔もその前脚も子蟷螂        五島 節子

 

床掛は月斗なりけり落し鱧        蘭定かず子

 

七夕やうからやからの老いやすく     松山 直美

 

柏手を見上げてをりし羽抜鶏       山田美恵子

 

ごきぶりの日向に追はれ出し誤算     藤田 素子

 

草ぐさを焔のやうに梅雨の蝶       永井 喬太

 

ジャムにして枇杷盗人が来たりけり    尾崎 晶子

 

「おはやう」を聞きたくて掃く夏落葉   井上 淳子

 

簾よりオリンピックの大音量       大内 鉄幹

 

駒鳥の嘴ふるふ森ふるふ         窪田精一郎

 

虫干やふいに鳴り出すオルゴール     奥田 順子

 

舗装路を打ちゐし夕立裏返る       安積 亮子

 

今月の作品鑑賞

     山尾玉藻        

打水の音とときをり桶の音    坂口夫佐子

 作者は「打水」から離れた場所に居て、水音とその合間にする杓が鳴らす「桶」の音を楽しんでいます。ポリバケツやブリキのバケツの音では詩心が湧かなかった筈です。また桶の語から打水の場所や水を打つ人物の様子も限定され、これもこの句の特色と言えるでしょう。

ひとひろの橋渡りたる涼かな  小林 成子

 「ひとひろ」とは人が両手を左右に広げたほどの長さを指します。作者はそんな狭い橋を渡りながら、左右に水の涼やかさを覚えているのです。「ひとひろ」という緩やかな表現を得て、「夜涼」が過不足なく伝わってきます。

日盛に用足しに出る寂しさは   湯谷  良

 真夏の「日盛」どきに外を歩くと殆ど誰にも出会わず、こんな日照り時を歩くのは自分だけだという孤独さえ覚えるものです。下五の「寂しさは」の強く念を押したような呼びかけには強い実感が籠められています。

その顔もその前脚も子蟷螂    五島 節子

可愛いさみどりの「子蟷螂」をみるとつい指でつついてみたくなるもの。作者も子蟷螂にちょっかいを出しつつ、「その顏もその前脚も」と大いに納得しています。子供ながらも蟷螂らしい二点に注目して愉しい句になりました。

床掛は月斗なりけり落し鱧    蘭定かず子

 青木月斗氏は酒席で請われると快く筆をとられたことを父から聞き及んでおり、現にあちこちの料亭に氏の墨蹟の色紙や短冊が遺っています。その事実に「落し鱧」を添えて、いかにも浪花らしい景を描きました。大阪俳壇の足跡の一端をそれとなく感じさせもします。

七夕やうからやからの老いやすく 松山 直美

 「うからやからの老いやすく」としみじみと述懐するのは、作者自身も老を実感しているからです。「七夕」の夜、親族が健やかで過ごせるようにと祈る作者です。

柏手を見上げてをりし羽抜鶏   山田美恵子

 この「羽抜鶏」は神社の境内で放し飼いにされる神鶏でしょう。いつものように我が物顔で境内を闊歩していて、たまたま参拝者が打った「柏手」の音を仰いだのでしょう。それが羽が抜け落ちて貧相な姿であるだけに、哀れでもありまた可笑しくもあります。

ごきぶりの日向に追はれ出し誤算  藤田 素子

 すばしこくてずる賢そうな「ごきぶり」はなかなかの逃げ上手です。ところが掲句のごきぶり、遁走した所が「日向」だったとは、まぬけなごきぶりもいたものです。そ奴を討ち果たした作者の安堵の貌が想像されますが、とんまなごきぶりで良かったですね、素子さん。

草ぐさを焔のやうに梅雨の蝶    永井 喬太

 梅雨の晴れ間を待ちかねていた蝶が、嬉々として草ぐさの上を舞う様子ですが、「焔のやうに」は表現過多と思われる向きもあるでしょう。しかし、その景に作者の梅雨晴れを喜ぶ感情が重ねられ、この措辞は自ずと賜ったものだったと思われます。客観的な眼差しに自身のこころが重ねられると真の写生句が生まれるものです。

ジャムにして枇杷盗人が来たりけり 尾崎 晶子

 この「盗人」は実際の泥棒を指すのではなく、あんなにも「枇杷」を捥いで帰った人と言う、作者の苦笑を意味する表現でしょう。そして今日、その人が枇杷を「ジャム」にして持ってきてくれ、作者のその思いに嬉しい変化が生まれたようです。盗人の表現が喜びの裏返しとなったのです。思わず笑みが零れる一句です。

「おはやう」を聞きたくて掃く夏落葉 井上 淳子

 辺りが未だ涼やかな朝方、顔なじみの顔々が「おはよう」と挨拶をして行くのでしょう。その人たちに必ずにこやかに「おはよう」と返される作者の人柄も窺えます。

簾よりオリンピックの大音量   大内 鉄幹

 コロナ禍の真っ只中に開催された「オリンピック」の是非はともかく、アスリート達の頑張りが暗澹とした境地の我々に明るさと希望をもたらせてくれました。「大音量」が家内の人の熱気と興奮ぶりを如実に語っています。

駒鳥の嘴ふるふ森ふるふ     窪田精一郎

 「駒鳥」はよく通る声でヒンカラカラカラーと馬の嘶きのように鳴きます。この時もその声が森中響き渡っていたのでしょう。その透徹した声を「嘴ふるふ」と的確に表し、その声が辺りに響き渡る様子を「森ふるふ」と詩的に把握して見事です。この直截的表現はそう簡単に得られるものではないと感心します。

虫干やふいに鳴り出すオルゴール 奥田 順子

 「虫干」のついでに箪笥に仕舞われていた古い「オルゴール」が取り出されたのでしょう。その蓋が偶々開き、ゆっくりとメロディーを奏で始めたのです。「ふいに」の措辞がとても効果的で、思いがけないその音色が作者を懐かしい昔に誘ったのも窺い知れます。

舗装路を打ちゐし夕立裏返る   安積 亮子

 強固な「舗装路」の表面に注目していると、「夕立」の激しさや動きがよく解かるものです。掲句の夕立は強い風を伴うものでしょう。作者は強風が夕立の雨脚を強く押し戻す一瞬を見逃さず、それを「夕立裏返る」と大胆に捉えたのです。この切り取りにはまことにリアリティーがあり、読み手も夕立の激しさを目の当たりにします。