2020.4月

 

主宰句   

 

春雷や紅こころざす赤海鼠

 

閏日のメタセコイアの春の明け

 

媛神の近しと跳ねし上り鮎

 

蛇穴を出で石積みに余る石

 

桃の日の人形は足投げ出せる

 

艶つやの文旦ひとつ雛の段

 

縁先の父に日当たる雛の日

 

大石忌相むかふ膝くづさざる

 

野の花は咲くを惜しまず仏生会

 

日を好いて嫌うて跳べり睦五郎

 

巻頭15句

            山尾玉藻推薦                

 

鶏つぶしゐる背の雪解光まみれ     湯谷  良

 

傀儡師潮じめりの荷を解けり      蘭定かず子

 

子ら去んで家内四角き三日かな     西村 節子

 

晴ればれと成人の日の菜つ葉服     小野 勝弘

 

牡丹雪上目づかひに鯉浮き来      山田美恵子

 

夜更かしの灯の大揺れに除雪車来    大内 鉄幹

 

鴨たちの着水に水めくれけり      河﨑 尚子

 

痩せゐたる箒にひとつ竜の玉      松井 倫子

 

甘酒に割箸の立つ初山河        坂口夫佐子

 

獅子舞が餅花の香をかぎにけり     髙松由利子

 

雲梯を返しくる手や寒明くる      小林 成子

 

山始父の折りきし花まんさく      井上 淳子

 

凧乗せて夕べの風となる        永井 喬太

 

きつとなる紅き目尻や女正月      大東由美子

 

春浅し母の箪笥に繕ひ着        芦田 美幸

 

今月の作品鑑賞

            山尾玉藻          

鶏つぶしゐる背の雪解光まみれ    湯谷  良

 この景は田舎でよく目にしたもので特別な景ではない。しかし句跨りの「雪解光まみれ」がその場の空気を強く印象づけている点にこころが動いた。本来「まみれ」は「泥まみれ」「血まみれ」のように汚れを表する接尾語で、早春の眩しさや喜びを象徴する「雪解光」には適合しない。しかしこれを是としたのは、「鶏をつぶす」という人の情け容赦ない行為を目にしたこころの翳りから自ずと生まれた誠の表現であると思えたからである。

傀儡師潮じめりの荷を解けり     蘭定かず子

 「傀儡師」の荷物が実際に「潮じめり」していたとは限らない。荷物が解かれるとぷーんと潮の香がして、その匂いで潮じめりしていると推し量ったのかもしれない。この傀儡師、遠く淡路島から船で渡ってきたのではなかろうか。

子ら去んで家内四角き三日かな    西村 節子

 この作者の家にも二日まではお孫さん達が寄り合い、さぞ賑やかだったのだろう。その子たちも帰ってしまい、今はどの部屋もがらんとした静寂の空間となっているのだ。そんな淋しさで家中を見回した思いが「家内四角き」となったのである。

晴ればれと成人の日の菜つ葉服    小野 勝弘

 着飾った若者たちで溢れ返る成人式の式典会場前で「菜っ葉服」の青年を見つけ、清々しい思いを抱いた作者である。菜っ葉服の青年は悪びれる様子もなく胸を張り、にこやかにその場の雰囲気に溶け込んでいたことだろう。恐らく既に社会人として働いているのだという誇りが彼を輝かせていたのだろう。

牡丹雪上目づかひに鯉浮き来     山田美恵子

 「牡丹雪」が降り始め、その気配で池底に沈んでいた「鯉」がゆっくりと浮かび上がってきた。「上目づかひに」は、春の気配を待ち侘びつつもまだまだ疑う鯉の心情を慮ったような表現であるが、これはまた作者の心情でもあるのだろう。

夜更かしの灯の大揺れに除雪車来   大内 鉄幹

 北海道は寒に入ってから大雪となったと聞く。夜を徹し活動する「除雪車」の大きなライトは辺りを煌と照らしつつ、時には「大揺れに」なって進んでくる。この措辞より、大きな重機さえ苦戦する雪国の厳しさを改めて教えられた思いがする。

鴨たちの着水に水めくれけり     河﨑 尚子

 「水めくれ」とは、言えそうでなかなか簡単には言えぬ表現である。この独自の捉え方から、辺りの静けさを破るような鴨の数の多さと着水時の羽根の風圧や音がはっきりと見えてくる。

痩せゐたる箒にひとつ竜の玉     松井 倫子

 「竜の玉」の深い瑠璃色は何かを深く秘めるような色であり、これ以上のどのような美しい修辞も必要としない色と言える。だからこそ、たったひと粒で痩せ細った哀れな箒にさえ詩を呼ぶのだ。

甘酒に割箸の立つ初山河       坂口夫佐子

眼前の「甘酒に割箸の立つ」のちっぽけで俗な景が、「初山河」を添景にすると忽ち豊かな初春の景の芯の存在となる。新年詠ではそれらしい対象を目を皿のようにして探す必要はなく、掲句のように常のものや普通のものを対象とし、そこに常ではない初春の思いを重ねることを忘れさえしなければ良い。

獅子舞が餠花の香をかぎにけり    髙松由利子

 「獅子舞」のちょっとしたサービス精神の現われを透かさず捉えた新年詠である。「餠花」が香る筈もないのだが、それを大きな鼻でくんくんと嗅いでみせる「獅子舞」の仕草が慶ばしくまた可笑しい。

雲梯を返しくる手や寒明くる     小林 成子

 「雲梯」を同じ並びで眺めると、「雲梯」を前方へ進む姿にはやや鬱屈したものを、こちらに向かってくる姿には明るい気の漲りのようなものを感じる。前者の景では固く結ばれた拳に注目し、後者の景では来る白い手のひらに注目する所為かも知れない。掲句からも宙をひらひらと泳いでくる白い手のひらの印象は明るく、「寒明くる」を納得させる。

山始父が折りきし花まんさく     井上 淳子

樵だけでなく里山で働く者にとり、仕事始めの前に山神に供物をそなえ山仕事の安全を祈願する「山始」は厳粛な神事である。神事の後は酒宴もあるそうで、「まんさく」の花の一枝を手にしてほろ酔い気味で戻ってくるの父上の姿は、ほのぼのと目出度い。

凧乗せて夕べの風となる       永井 喬太

 上昇していた「凧」が漸く風に乗り、上空で安定し始めた。凧の様子を見守っていた作者は、それまで荒れ気味であった風も落ち着いてきたように感じ始めたのであろう。その思いを「風」を主体にした擬人法で延べて具象性を高め、夕べの景を印象付けた。

きつとなる紅き目尻や女正月     大東由美子

 華やかに始まった「女正月」の集まりであったのだろうが、誰かのひと言がある女性の気に障った様子である。薄紅色のアイシャドウでお洒落をしていたその人の「目尻」が急に引きつったのだ。一瞬にしてその場にひやりとした空気が漂ったのは明白である。さあ事はどう収まったのか、否いやそれとも、と読み手の興味は尽きない。

春浅し母の箪笥に繕ひ着       芦田 美幸

 今の時代、古い衣類を繕ってまで大切に着る人は少ないだろう。しかし最近亡くなられた母上の箪笥には、繕った品が大切に仕舞われていたのだ。今更にして母の人柄や生活ぶりをしみじみと思う作者である。この「春浅し」は切ない。